なかなか骨のある文体だ。
一部引用する。
一体今日行われている能はおおむね世阿弥その他発祥時代の作品をそっくり踏襲しているもので、このままに推移するときは現在の隆盛は宛てにならず、いずれ時代と大衆から置き去りにされる危険があり、そのおりには宮内省に保存される雅楽のような位置に追い込まれる他はないのであるから、斯道の発展のために時運に添うてあらたなる能を作らなければならぬというのが甚作の趣意であるが、これには私は反対で、およそ能のごとき完成された芸術にあっては、それはすでに発展しきったものなるがゆえに破壊の他には改新の余地なく、また完成されたものなればこそそれ自体において変化の相をはらみ、麤に入り細に入り真に入り俗にいる底の芸道の自在神通は約束されているはずで、ここではもはやいかなる新機軸も無慙な月たらずの姿を示すにとどまるであろうのみならず、実例としても江戸時代において多少新作のくわだてはありながら今日に残り得たのはわずかに「菊慈童」ぐらいのものか、先年高浜虚子山崎楽堂ら二三の着手は見たものの結局好事家のわざくれに終わっている有様に徴すれば、まず新作などは徒労の沙汰というべく、まして作者ではなく演者の立場にある甚作としてその努力はかえって当流の異端と目されるのがおちではないかと再三注意を与え、ただ現代の美はすくなくとも能の中からは燃え上がらぬという点ならびに甚作の文学的教養に不足を感ずる点については露骨に触れることを差し控えつつ翻意をすすめたにもかかわらず、思いつめた相手は聾同然、いこじな生まれつきでもある甚作はますます新作の間にしがみつき、すでに書き上げたいくつかの草稿を読み上げては、ここの舞は囃子はと心もそぞろのていなので、私はもう何を言っても無用と覚り、そのどれもが先人の作とは似ても似つかぬ貧相なものであることを指摘する気にもなれず、ふんふんと聞き流すばかりのうちに、やがて問題となったのが「蝉丸」の改作であった。
という具合。
「饒舌体」なんだろう、これで一文である。最近では町田康。
昔の小説は噛みしめなければその意味や重要さ良さを理解するのが困難で、飲み込むまでに時間がかかるのはスルメのようであり鮭とばのようであり干し芋のようでもあり、それはそれで脳の栄養にもなるのであるからたまにはいわゆる純文学というものも読んでみるのがわたしのような初老で頭が呆けかかってる年代には必要であろうし、たった70ページを2ヶ月近くかけて読むのもいわゆる遅読というものであろうが、本の内容を正しく理解しじっくり味わうには必要なことであって、特に「普賢」のような難解な文章は速読では駄目で今回のように熟読する必要があるのだが、熟読しても訳がわからんものはわからんもので単に時間の無駄という人もあろうが、読書というものは単に知識を得るだけに読むものもあるが小説というものはじっくりと読みながら様々な想像を膨らませるのが大きな魅力で、言葉や文章を噛みしめ理解しながら読み進めていくべきものであり、ときに気になる文章があれば控え書きなどしてのちに読み返してみるのも楽しみ方の一つだから今回もこのような私にしかわからない相関図と読書ノートが出来上がったわけである。
文章が長けりゃいいってもんじゃない。行動や想像と時間の流れを感じさせるような文章ができたら小説家デビューすることにする。