今回の記事は昨日の「版画村美術館へ行ってきました」の続きです。
版画村美術館創設者・高橋信一氏
これだけ素晴らしい美術館を創設しながらも、
美術館開館からわずか2年後に他界されました。
版画村美術館内の数少ない文語調の解説の中で
(高橋氏の死に)「会員達は途方にくれてしまった」と書かれていたことが
ものすごく印象的でした。
高橋信一氏が彫った佐渡を題材にした版画作品も何点か展示されていますが、
「佐渡」の題材の捉え方がとても粋で、おもわず嬉しくなってしまうものでした。
著作権の関係で展示室はアップできませんので、ダンナと息子で代用。
沢根の励風館や、河原田の松原・・・
今では有名になった小倉の千枚田も誰もがスナップを撮ってしまう
「あの」アングルではなく、
一見千枚田とわからないようなアングルでとらえて彫っている所など
「これが美術家の視点かあ」とうなってしまうものでした。
素晴らしい版画作品の数々です。
しかし、おそらく高橋信一本人は、自分の作品が沢山展示されていることは
あまり本意と思っていないかもしれない、とその著作を読むと感じられます。
「捨てない教育」 高橋信一・著1984年発行。30年も前の本です。
「佐渡を版画の島にする」という夢をかかげて、走り続けたその人は、
「自分の版画作品」で、佐渡を版画の島にするのではなく、
「佐渡で暮らす人が彫る版画」で、佐渡を版画の島にしようとしていたからです。
彼が遺した著作「捨てない教育」では、版画村についてこう書かれています。
「佐渡は歴史が古く、風景の美しい島で、情に深い人々は、実り豊かな郷土を
こよなく愛し、誇りにしてきた。
しかし、その佐渡も近代文明の波が容赦なく押し寄せてくる現代社会にあって、
大きな転換期をむかえている。」
過疎
その大問題を前に、高橋氏はこう言っています。
「それをくいとめるためには、まず島民がその現実を直視し、心を一つにしてあたるしかない。
島にとって何が価値あることなのか、真剣に考え、実践していかなければならない。
若者にとって、生涯を賭ける仕事のある、魅力的な島づくりを行う必要がある。」
最後の一文は重いですね。
さらに高橋氏はこう続けます。
「版画村の誕生、版画運動の出発は、同時に島作りのスタートでもある。
版画づくりは「村づくり」「島づくり」のための手段なのである。
版画という共通話題をもつことによって、村人たちの間に融和が深まる。
仕事の面においでも、生産、出荷などの労力分配が行われ、村落共同体としての結束が
強まることが狙いなのである。」
高橋信一氏は、版画を彫る芸術家である前に、熱烈な教育者でもありました。
「落ちこぼれ」など絶対いない、という強い信念を持ち、
ひとりひとりの生徒に「自信」を持たせるために、
絵筆を握らせ、絵を描かせ、
そして一本でも線をひいたら、「おまえは天才だ!」と猛烈にほめる、
そんな教師だったそうです。
手法は版画に限らず、時に自分の机の落書きを作品に昇華させたり、
毎日はいている(生徒にとって愛着があるであろう)汚れた上履きを題材にした
スケッチなど、様々な方法で生徒の関心を「絵」に向けさせたそうです。
美術感性を養わせるべく、生徒達を毎日のように自宅に連れてきて、
当時はまだまだ貴重品であった一級の美術本や作品にふれさせ、夜遅くまで版画製作に
とりくませ、日曜は朝から自宅を開放して最後は泊り込みさせ次の日は
そのまま学校へ向かわせた、とあります。
「ほめる時は本気でほめてやり、愛情をこめて叩く。
いいかげんにほめたのでは、子どもたちにすぐわかってしまう。
ふざけ半分で頭を叩こうものなら、たとえ先生であろうと、
軽蔑していこうことなどきかなくなる。
また口先だけの生半可な褒め方では、
心そこにあらずで、真意がつたわらない。
つまり、ほめるという行為ひとつをとってみても、
その姿勢、情熱のあり方で、その効果は天と地ほどの差があるということを考えるべきである」
と自らの教育信念(いやこれは人生信念でしょう。)と書かれています。
版画グループを作りながら、島内中をかけめぐった時もまさに同じように
島の人たちを励まし、奮い立たせ、絵に向かわせました。
観光名所ばかりを題材にして絵を描く人に
「こんなものは版画にならん!」
「もっと身の回り、生活の中にすばらしい題材があるだろう」
「身の回りの1mの範囲、あるいは50センチの範囲をじっとみてみい、
心に伝わってくるものがあるだろ、それを絵にすればいいんだ」
と叱咤し、
最後には、その方本人の家の納屋を案内してもらった時にみつけた
ムシロの上の一升枡を見て
「これだよ!りっぱに絵になるじゃないか」と叫んだというエピソードは、
苦労話でもあるのでしょうが、
高橋氏の筆の勢いから、楽しく愉快なエピソードに思えました。
美術館では有機コーヒーが一杯150円で楽しめます。
このお盆は・・・
高橋氏の作品「佐渡おけさ」がプリントされたもの。
外にはブランコもあり、子どもも楽しめます。
裁判所から美術館になる空白期間は、相川中学校の第二体育館であり、公園でもあったそうです。
遊具のブランコを残すなんて粋ですね。
版画村美術館は高橋氏の版画の展示場ではなく、
佐渡人の心の展示場にしようとした心は今も息づいています。
友人が佐渡に訪れたら、必ず連れていこうと思います。
高橋信一氏の著作「捨てない教育」は絶版になっていて簡単に読めないのが残念。
でも版画村美術館ではおいていました。
勢いがあって教育者なら読んでおいて損はないかも、と思いました。
版画村美術館創設者・高橋信一氏
これだけ素晴らしい美術館を創設しながらも、
美術館開館からわずか2年後に他界されました。
版画村美術館内の数少ない文語調の解説の中で
(高橋氏の死に)「会員達は途方にくれてしまった」と書かれていたことが
ものすごく印象的でした。
高橋信一氏が彫った佐渡を題材にした版画作品も何点か展示されていますが、
「佐渡」の題材の捉え方がとても粋で、おもわず嬉しくなってしまうものでした。
著作権の関係で展示室はアップできませんので、ダンナと息子で代用。
沢根の励風館や、河原田の松原・・・
今では有名になった小倉の千枚田も誰もがスナップを撮ってしまう
「あの」アングルではなく、
一見千枚田とわからないようなアングルでとらえて彫っている所など
「これが美術家の視点かあ」とうなってしまうものでした。
素晴らしい版画作品の数々です。
しかし、おそらく高橋信一本人は、自分の作品が沢山展示されていることは
あまり本意と思っていないかもしれない、とその著作を読むと感じられます。
「捨てない教育」 高橋信一・著1984年発行。30年も前の本です。
「佐渡を版画の島にする」という夢をかかげて、走り続けたその人は、
「自分の版画作品」で、佐渡を版画の島にするのではなく、
「佐渡で暮らす人が彫る版画」で、佐渡を版画の島にしようとしていたからです。
彼が遺した著作「捨てない教育」では、版画村についてこう書かれています。
「佐渡は歴史が古く、風景の美しい島で、情に深い人々は、実り豊かな郷土を
こよなく愛し、誇りにしてきた。
しかし、その佐渡も近代文明の波が容赦なく押し寄せてくる現代社会にあって、
大きな転換期をむかえている。」
過疎
その大問題を前に、高橋氏はこう言っています。
「それをくいとめるためには、まず島民がその現実を直視し、心を一つにしてあたるしかない。
島にとって何が価値あることなのか、真剣に考え、実践していかなければならない。
若者にとって、生涯を賭ける仕事のある、魅力的な島づくりを行う必要がある。」
最後の一文は重いですね。
さらに高橋氏はこう続けます。
「版画村の誕生、版画運動の出発は、同時に島作りのスタートでもある。
版画づくりは「村づくり」「島づくり」のための手段なのである。
版画という共通話題をもつことによって、村人たちの間に融和が深まる。
仕事の面においでも、生産、出荷などの労力分配が行われ、村落共同体としての結束が
強まることが狙いなのである。」
高橋信一氏は、版画を彫る芸術家である前に、熱烈な教育者でもありました。
「落ちこぼれ」など絶対いない、という強い信念を持ち、
ひとりひとりの生徒に「自信」を持たせるために、
絵筆を握らせ、絵を描かせ、
そして一本でも線をひいたら、「おまえは天才だ!」と猛烈にほめる、
そんな教師だったそうです。
手法は版画に限らず、時に自分の机の落書きを作品に昇華させたり、
毎日はいている(生徒にとって愛着があるであろう)汚れた上履きを題材にした
スケッチなど、様々な方法で生徒の関心を「絵」に向けさせたそうです。
美術感性を養わせるべく、生徒達を毎日のように自宅に連れてきて、
当時はまだまだ貴重品であった一級の美術本や作品にふれさせ、夜遅くまで版画製作に
とりくませ、日曜は朝から自宅を開放して最後は泊り込みさせ次の日は
そのまま学校へ向かわせた、とあります。
「ほめる時は本気でほめてやり、愛情をこめて叩く。
いいかげんにほめたのでは、子どもたちにすぐわかってしまう。
ふざけ半分で頭を叩こうものなら、たとえ先生であろうと、
軽蔑していこうことなどきかなくなる。
また口先だけの生半可な褒め方では、
心そこにあらずで、真意がつたわらない。
つまり、ほめるという行為ひとつをとってみても、
その姿勢、情熱のあり方で、その効果は天と地ほどの差があるということを考えるべきである」
と自らの教育信念(いやこれは人生信念でしょう。)と書かれています。
版画グループを作りながら、島内中をかけめぐった時もまさに同じように
島の人たちを励まし、奮い立たせ、絵に向かわせました。
観光名所ばかりを題材にして絵を描く人に
「こんなものは版画にならん!」
「もっと身の回り、生活の中にすばらしい題材があるだろう」
「身の回りの1mの範囲、あるいは50センチの範囲をじっとみてみい、
心に伝わってくるものがあるだろ、それを絵にすればいいんだ」
と叱咤し、
最後には、その方本人の家の納屋を案内してもらった時にみつけた
ムシロの上の一升枡を見て
「これだよ!りっぱに絵になるじゃないか」と叫んだというエピソードは、
苦労話でもあるのでしょうが、
高橋氏の筆の勢いから、楽しく愉快なエピソードに思えました。
美術館では有機コーヒーが一杯150円で楽しめます。
このお盆は・・・
高橋氏の作品「佐渡おけさ」がプリントされたもの。
外にはブランコもあり、子どもも楽しめます。
裁判所から美術館になる空白期間は、相川中学校の第二体育館であり、公園でもあったそうです。
遊具のブランコを残すなんて粋ですね。
版画村美術館は高橋氏の版画の展示場ではなく、
佐渡人の心の展示場にしようとした心は今も息づいています。
友人が佐渡に訪れたら、必ず連れていこうと思います。
高橋信一氏の著作「捨てない教育」は絶版になっていて簡単に読めないのが残念。
でも版画村美術館ではおいていました。
勢いがあって教育者なら読んでおいて損はないかも、と思いました。
ひなともさんも高橋先生からの講習を受けた方だったのですか~。しかし「洗って来い」というのは、どういうことだったのだろう????
色をつけすぎた?う~む、不思議な授業だったのですね。
本当に思いっきり褒めてくれる先生でしたが
「上手い!!」の次に「洗ってこい!」と続き
画用紙を水で洗い流して来いと言われた事があまりにも衝撃的だったので、30年以上経った今でも
はっきりと覚えているくらいです (´∀`)
あんな豪快な先生ってなかなか居ないですよね!