まだ少し寒い山の中から書いています。
アルバムを整理していたら、3年くらい前の写真がでてきました。
海外ではありません。これは日本の広尾のほうかな。
反戦デモの写真です。
なつかしーなー。
ちょうどイラクへの戦争を始めてから一ヶ月たつかたたないか、くらいの時期に
友達が「デモいかない?」と誘ってくれたので「行くいく」といって
参加しました。
すんごい数の人が集まっていてびっくりしたのをまだ覚 . . . 本文を読む
わらびを大量にいただきました。
しかもめっちゃ太いのを、かかえきれないくらいに。
わらびはこの時期、大量に食べたので、そろそろ「飽き」モード。
「食モード」から「保存モード」に切り替えることにしました。
去年、友達から2000円で買ったムシロがようやく日の目を見ることになりました。
わらでできた敷物は、便利なんだけれど重いのが難点。
乾燥ワラビのつくりかたは・・・
①わらびを10分ほどゆでて . . . 本文を読む
仕事柄、封筒をたくさん使います。
といっても、個人の使用範囲なので多くて1ヶ月に100通程度で、少なければ10通程度。その全ての封筒に「再利用封筒」を使っています。
再利用封筒?
我が家にやってきた封筒の宛名に白い紙をはって、住所を書くやり方。
時間があるときなんかは「資源再利用しています」スタンプを押したり
雑誌の切り抜きなんかを貼ったりもしますが、何もしないときもあります。
このやり方で . . . 本文を読む
真野漁協にEMだんごをつくりに行きました。
「だんご」という響きにひかれて、ついふらふら~と。
専門家の人も来るというし、漁協が会場っていうところもあんまりお固くなくっていいなあ、という単純な動機で車を走らせました。
現場ではもう本当に実践の場、という雰囲気で
「さあやるよ、すぐやるよ。」
というムードが満々としていました。
すでに漁協のおばちゃん達が土やらEM菌やらを準備しておりました。
目 . . . 本文を読む
実はひそかに注目していたパン「マイマイ」。
やっと買えました!
かたつむり・・・ではなく米のほうの「まいまい」。
米を小麦粉並みに細かく製粉したものを使ったパンです。
米余り故のこの製粉技術が、5年くらい前に開発されたということは新聞で知ってはいたので、食べたかったんです。
製粉機械がまだ新潟にまで行かないとないので、米粉は海をこえてわたってきているらしいです。
佐渡の創業昭和23年のパン屋「中 . . . 本文を読む
都会から田舎へと渡るときに1番いやだな~と思ったこと。
それは自分でも意外なのですが、
「スタバがないこと」でした。
ナチュラルショップがないことでも、美術館に行けなくなることも
その次に嫌なことでした。
朝は6時から夜は11時までやっている『勉強部屋』スターバックス。
吉祥寺には5件か6件くらいあったので、常時使い分けていました。
家に帰ってもなかなかやるべきことや、仕事に集中ができない時は . . . 本文を読む
この広告を見た時は固まってしまいました。企業というものが、「イメージアップ」のために社会貢献をすることは自分も会社にいた人間だからわかっているけれど、これはね、さすがにね。「はずかしくないですか?」 と聞きたいものです。「地球の未来を守るため」キャンペーンと銘打って、EMぼかしなどのエコグッズを抽選でプレゼントし、売り上げの0.5%を基金にあげる、というもの。 やり方がなんだかおかしいなあ、と思っ . . . 本文を読む
すでに作った水車は100個以上。
工房タカノの高野さんは根っからの佐渡っこ、優しい笑顔で水車のアレコレを教えてくれました。
佐渡には元々水車の文化があった、というわけではないのです。
大工さんである真野町出身の高野さんが、旅先でであった水車に魅かれ、何度も実物を見て、写真を撮って、独学で水車を作るようになった、というんだから驚き。
そして、その雰囲気に同じにおいを感じました。
水車のこの部分に . . . 本文を読む
時々、今のわたしのような生活は「都会に住んでいたらできない」といわれます。
現実離れしているように思えるのでしょうか。
そう思われるのも無理ないかな、と思う一方で、
誰でもできる側面だってあるんだけどな、という思いもあります。
都会でも緑は増やせるし、都会でそれをやるほうがかっこいい!(かつ効果的)と思います。
東京の浅草橋で働いていた頃、通勤途中にこんなお宅をみかけた時は、まさに「これだ!!」 . . . 本文を読む
こうじをもらった関係で、たくさんの甘酒をつくることになりました。
私的には、なかなか良い出来に仕上がったのではないかな、と思って、集落の人に
ふるまってみたら
「お湯で薄めたような味がする」
「甘みが薄いね」
「私が作るものはもっと甘さが強いけどね」とクレーム(?)。
甘酒もそれこそ作り方には万別があって、大げさな言い方をすればその家その家のやり方があるようです。
その後、集落の人は電話で、た . . . 本文を読む