童門冬二さんのCD集の中に上杉鷹山ものがありました。
その最後に次のような言葉を残しています。
「もし、世界の終わりが明日だとしても、ぼくは今日林檎の種を蒔くだろう。」
この言葉はルーマニアの作家コンスタンティン・ゲオルギウが書いた
「25時」という作品の中に書かれている一節のようです。
上杉鷹山の生きざまの中にこの言葉を重ね合わせたという
童門冬二さんの言葉が凄く印象に残って書き留めたくなりました。
といっても、本日のブログ内では上杉鷹山には触れないのですが…。
私が心酔する故飯塚毅TKC名誉会長はその著書の中に次のように述べています。
「利己中心の生活を送るほど人生は長くない」
何かこの二つの言葉が凄く繋がりの深いものであり
私の人生を律する言葉にもなっているように感じます。
長いようで短い人生
もっと欲しいもっと欲しいで不幸のどん底に陥るよりも
十分に足りている今に感謝し
世の中に少しで思お返しできる自分になりたいと願っています。
心が折れそうになるとき
しっかりこの言葉を思い出したいと思います。
その最後に次のような言葉を残しています。
「もし、世界の終わりが明日だとしても、ぼくは今日林檎の種を蒔くだろう。」
この言葉はルーマニアの作家コンスタンティン・ゲオルギウが書いた
「25時」という作品の中に書かれている一節のようです。
上杉鷹山の生きざまの中にこの言葉を重ね合わせたという
童門冬二さんの言葉が凄く印象に残って書き留めたくなりました。
といっても、本日のブログ内では上杉鷹山には触れないのですが…。
私が心酔する故飯塚毅TKC名誉会長はその著書の中に次のように述べています。
「利己中心の生活を送るほど人生は長くない」
何かこの二つの言葉が凄く繋がりの深いものであり
私の人生を律する言葉にもなっているように感じます。
長いようで短い人生
もっと欲しいもっと欲しいで不幸のどん底に陥るよりも
十分に足りている今に感謝し
世の中に少しで思お返しできる自分になりたいと願っています。
心が折れそうになるとき
しっかりこの言葉を思い出したいと思います。