2024年のノーベル平和賞に日本被団協が受賞されました。
長年の積み重ねと昨今のきな臭い世情により受賞されたのかと思います。
核兵器使用の前提に戦争があります。
どこの国でも国民が望む戦争はないと思っています。
なのに、政治家や宗教のエゴにより国家間や人種間
時には国内での対立も全て犠牲は国民という構図になっています。
戦争で幸せになれる国民はいない
現代の戦争は、どの国の国民にとっても苦痛でしかありません。
ウクライナとロシアの戦争や、イスラエルと中東諸国との対立を見ても、
戦争で幸せになれる国民などいないという現実が浮き彫りになります。
国民が背負う犠牲
戦争が始まると、最も苦しむのはいつだって国民です。
ウクライナでは何百万人もの市民が家を追われ、
家族や友人を失い、厳しい環境で難民生活を強いられています。
毎日の生活が破壊され、未来への希望が失われる—これが戦争の現実です。
ロシアでも制裁や経済の停滞により、国民が苦しい生活を強いられています。
物価の高騰や失業、未来の不安…、
戦争の代償を最も重く感じるのは常に一般市民なのです。
そして、忘れてはならないのがシリアです。
シリア内戦は10年以上続き、数十万人の命が奪われ、
さらに多くの人が難民となり世界各地に散り散りになっています。
この国の市民が背負う苦しみは、他の戦争と何ら変わりません。
国家のエゴとそれに群がる者たち
戦争の背景には、しばしば国家や指導者たちのエゴが隠されています。
領土の主張、政治的な威厳、国際的な影響力を高めようとする欲望
—これらの自己主張が戦争を引き起こし、国民を犠牲にしているのです。
そして、戦争に群がる者たちも存在します。
欧米諸国や他の大国は、軍需産業やエネルギー市場を通じて利益を得ているのは否めません。
彼らは表面上は「平和」を掲げつつも、戦争が続くことで得られる経済的な利益を見逃しているのです。
イスラエルと中東諸国との対立でも、武器や軍事支援を供給する企業が巨額の利益を上げている現実があります。
許されざる行為
戦争によって利益を得ようとする行為は、許されるべきではありません。
ウクライナやシリアで家を失い、家族を失った人々にとって、
戦争は絶望しかもたらしません。
これらの人々が本当に必要としているのは、武器ではなく、平和と安定です。
国際社会は、この悲惨な現実を直視し、戦争を終わらせるための行動を起こすべきです。
国民の犠牲の上に成り立つ利益など、何の価値もない筈です。
結論
戦争で幸せになる国民はいない。国家のエゴが続く限り、戦争は終わらず、
その犠牲は常に無辜の国民に降りかかります。
私たちは、戦争の真の代償を忘れず、平和を願い続ける必要があります。