テレビの報道を観ていると、それらの存在は復興へ向けてプラスなのかマイナスになるのかよくわからなくなることがある
今日も 『 首都圏の浄水場で基準値を超える放射能が含まれていることがわかりました。 一才未満の乳児には与えないで下さい~ 』 と言ったような報道が繰り返されている。一部損壊や犠牲者が出た東京だが、震源地に近いところに比べれば基本的には“揺れただけ”であのパニックだ。あらゆる交通網は麻痺、スーパーでは買占め、計画停電で不満をぶちまける...。こんな状態に一瞬にしてなってしまう東京(首都圏)の人間に“水に放射能が含まれています”と報道して、乳児がいない家庭がミネラル・ウォーターの買占めに走らないとでも思っているのだろうか?甘いだろうよ~!?
もう福島県周辺の放射能が検出された地域の野菜の出荷は停止されているが、遠く離れた首都圏では早速“偏見”が広まっている。指定された品だけでなく 『 ~県の品は放射能が... 』 なんて言ってる頭のおかしい奴が一杯いる。だいたいさぁ政府とかのあの発表は何なんだい?“基準値は超えているが食べても問題ない。でも出荷はさせません”って...わけわからんやん
テレビ等の報道はそうならないように“工夫し努力すべき”ではないのかな。地震・津波の発生から数日間、ひたすら発生時の映像を繰り返したり、何度も“一日のドキュメント”なんてのを流している。ネット等での要望が多く数日経過してようやく始まった“被災者情報、避難者のリスト”に関する報道。そう言うものを“視聴率を上げるための映像”をバカの一つ覚えのようにひたすら流す前に取り組むべきでは?
今回の震災によってテレビの存在は大きく考えさせられるだろう。ネットの活躍を美化、賛辞しすぎるキライもあるが、改めてあらゆる“伝達媒体”は見直されるべきではなかろうか。
こんなものを見つけました。これはなかな有意義な使い方ではないかと?
http://kizuna311.com/
『 復興 』 、 『 復興 』 と言われるがいったい誰がするのだろう。勘違いしている人達が多いが被災した人や自衛隊員だけでなく同じ日本国民、同じ国に暮らす人々全員がそう言う気持ちで望まないとダメではないだろうか。遠く離れた我々が募金に勤しむのも良いがやはり今までの“考え方”を改める時ではなかろうか
原子力発電所の問題。“原発反対、原発反対”と現地の人達が訴えるのはわかる。でもその発電所から電気をもらっている首都圏の人間はその存在を本当に考えなくてはならないと思う。だって原子力発電所が無くなればその分確実に電気が足りなくなるのだからどうするよ? 計画停電ぐらいで大騒ぎしている、計画停電ですら協力できない人間がいる首都圏の人間は原発の反対なんぞ訴えられる身分(立場)なのか?
例えば各家庭にあるテレビ等についてある“スタンバイ機能”だ。要はリモコンで操作できるように完全には電気を切らないものだ。これって一般家庭では、たかが1~数メートルの距離でしょ? でも多くの人が面倒くさいからリモコンでオン・オフを操作する。もちろんコンピュータのようにデータ等の保存の関係で主電源を切るわけにはいかないモノあるが、便利とはすなわち“ = 面倒くさい ”であるのだ。
さぁこれを読んだ皆さん、早速家の中にある主電源を切ってみようではありませんか~
そして長く使わないモノはコンセントを抜きましょう~
しかし、 『 かっこいいことばっかり書いてるが、そう言うZUYAおめぇはどうなんだよ~!? エレキ・ギターって電気使うんだろ?ライブ・ハウスも照明キラキラじゃあねぇか~? 』 と思われる読者も多いだろう
これはもう極力不必要な電気を抑えるしかないよな。例えばエフェクターボードでもステージのステージの間は電源を切れるものは切るとか。真空管アンプは“その暖まり具合”が命なので切ることは難しいが...。
後は何ができる? 今まで苦手だったアコースティック・ギターを練習してステージで弾くか?などと工夫をすれば節電は可能だ
去年カナダから友人のブラッドが環境問題の学会で来日した時、嫁と3人で富士山の裾にある富士エコパーク・ビレッヂと言う所に行ったのだが、そこではパーマカルチャーのアイデアを取り入れ、いかに自然の力を(破壊せずに)共有するかを真剣に考えている。体験型の環境教育施設なので実際に体験できる(宿泊も可)。興味のある方はぜひホームページ等でご覧になっていただきたい。
被災された方、亡くなられた方には本当にお気の毒であるが、この機を消して無駄にしないためにも我々生き残った者はエネルギーの問題を真剣に考えることが少しでもお見舞いに(ご供養に)なるのではないかとZUYAは思うわけであります。