暖冬にもかかわらず、「雪の話題」。
ラッセルとは、「登山で、深い雪を掻き分け、道を開きつつ進むこと」とある。
先頭を行く人は、雪を「掻き分け・踏み固めて」、後続の人が楽に前進できるようにする。
非常な重労働で、数十メートル毎に、先頭の人が、最後尾に下がり、二番手の人が先頭に立つ。
これを繰り返して、前進するのが雪山登山である。
3月1日の「敵は本能寺」の稿に、「イカナゴ」様から、次のコメントを頂いた。
「・・・お年のようですね。(その通り、お年です)
ボチボチ・ソロソロ・ソロリソロリ・歩んで下さい。
ご無理をされないように。
(ご心配をおかけします、お気遣いありがとうございます)
それにしても貴方のご趣味はあまりにも、多すぎるのでは?
(殆どの人がそのようにおっしゃいます、ご指摘の通りです)」。
趣味の世界は、この雪山登山のように思われてならない。
先生と呼ばれる方々は、日夜研鑽に励み、
その道の極意を切り開き・体得する。
我々生徒は、その2番手以降につき、楽に習得を進めさせていただく。
したがって、生徒側は、余裕があれば、掛け持ちで幾つもの趣味を勉強できるが、
先生側は、日一日高度化を進めなくてはならず、
お楽しみは別として、ご専門一筋に過ごされている方が、多いように感じる。
気の多い自分としては、申し訳ない気もするが、それでもあれこれちょっかいを出している。
お世話になっているのである。
とここまで書いて、はっと気になった。
小生のは趣味といえるほどの、高邁なことなのだろうか?
ちゃらんぽらんに勉強し、いい加減に気の向くまま練習し、才能も努力もないゆえ上達もせず、
その日その日をマイペースで、自分なりに面白く遊んでいるだけである。
先生方には、申し訳ないのであるが、楽しく遊ばせていただいている、
ちゃらんぽらんが、いることをお許しいただかねばならない。
今後は、小生の場合には、趣味というのではなく、
「楽しみ」と呼ばせて頂くことにする。
そうすれば、「イカナゴ」様の趣味が多すぎるというご指摘はあたらず、
「楽しみの多い、幸多きお年の人」の仲間入りができるはずである。