12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ハインリッヒの法則

2007年03月16日 06時49分04秒 | Weblog

 たまたま、「3もじり」の続編めいてしまったのであるが、

この法則は、米国の保険会社員だったハインリッヒ氏によって、明らかにされた経験則である。

 この法則を、覚えやすく書くと、

   1:  30(正確には29):  300  と表現される。

大きな失敗(事故)が1件生じる裏には、

小さな失敗(事故)が29件生じ、

ヒヤリ・ハットする失敗(事故)が300件あるというのである。

今日生産の現場では、安全性向上対策として、

「ヒヤリ・ハット」を、撲滅しようと躍起になっている。

このような積年の努力の結果、労働現場での人身事故は、激減した。

そして、現在も引き続いてそのような努力が行われているのである。

 パソコンの操作においても、小生は誤操作を日常的に起こしているのであるが、

それに加えて、しばしば行われる「更新」のダウンロードがある。

更新は性能改善・機能改善を目的としたものであるが、

更新プログラムのミスがゼロというわけではないようである。

 ハインリッヒの法則によれば、小生の誤操作とプログラムのミスが、一定の回数に到達したとき、

重大なエラーを生じ、パソコン不調となっているのではと疑い始めたのである。

最近、小生を含み、身近な人達が、パソコン不調を経験しているが、

そんなことも原因ではないかと、愚考しているのである。

専門化がどう言おうが、小生は、これを

パソコンメーカやプログラム供給者の

「陰謀」と呼んでいるのである。


「3」もじり

2007年03月15日 07時50分04秒 | Weblog

“もじり“とは、辞書に

「言語遊戯のひとつ。言葉の語句や音調を同音または音の近い他の語に言いかけること・・・」

などの記載がある。

小生は、過去に、初めて自動車を運転する人に、
次のような、「3」もじりを作って話していた。

300km(3週間)  = どうにか街中が走れるようになる

3000km(3ヶ月) = かなり慣れてくる

3万km(3年)    = ベテラン

ところが、上には上がある。

ストレッチ体操の真向法協会機関紙
「健體康心」のコラム「真向一途」から、

「3」をもじっている、一文を紹介する。

{3分間} = 一日に3分間ストレッチを

{3日間} = この日を過ぎると、三日坊主ではない

{30日}  = 1ヶ月も続いた。そろそろ教室で仲間が出来る

{300日} = 1年生卒業

{3年}  = 石の上にも3年、千日行の達成。

{3000日}= 10年経過、本物

最近、物忘れがひどい、これを「3」もじりで表現すると、

3秒で1割忘れ、

3分で5割忘れ、

30分で9割忘れ、

3HRで99%忘れ、

3日で殆ど忘れるのである。

ある落語好きの人が、忘れることについて、うまいことを言っていた。

「すぐ忘れるから、何度聞いても、面白い」 その通り、

忘れることは、非常に大切なことである、
どんどん忘れようと思っているのである。

 しかし、何時までも忘れられないで困っているものもある。

それは、「忘れたいと思うことである」、これは誠に厄介である。

「忘れようとすればするほど、しつっこく、何時までもつきまとう」のである。


心と病気 その2

2007年03月14日 06時31分28秒 | Weblog

友人の手品師が送ってくれた小冊子を読んで、
の続編。

四十歳を過ぎたがん患者の
心を含めた生活史・ストレスの共通点について、

幾つか印象に残った点を、列記しておく。

西洋医学できちんと治療すれば良くなる可能性が高い「早期がん」は、
「進行がん」とは、違う病気という。

これらのことは、あくまで、「進行がん」に限っての話である。

1.がんになった人の共通点 = 
真面目で心理的なストレスを抱えていたり、
過度の疲労状態にある人

2.乳がん患者 = 
皆さん真面目人間。

真面目ということが問題であるという。

2・1.左乳がん患者 = 
発見される六か月前に体をボロボロに酷使している。
(肉体的の過度の疲労)

2・2.右乳がん患者 = 
家の中が思うようにいかないという、精神的なストレス。

また、考え方が理論的で、
「心の持ち方」というような超科学的話は受け付けない特徴がある。

3.大腸がんは、S状結腸の中部を境にして、
手術の難易度が極端に異なるのだそうである。

 これより上に位置する部分は、楽な手術となるが、
下に行くほど難しい手術のなるとのこと。

 男性・S状結腸の中部より肛門側に発生するがん = 
2年半くらい前に資金繰りだとか大変なお金の苦労とした人が多いという。

4.胃がん = 
仕事の頑張りすぎだけでなく、
朝早くおきてジョギングをしたり、体を鍛えているスポーツ選手に多いという。

  村上先生は次のように話しておられる。

「病気は、すべての命の親であるサムシンググレートからの何らかのメッセージ」

「治った人は、決して治そうとしていない人」

治った人は、病気のことは、一端脇の置いて

「自分は何をやるべきか」を考えている。

そして、客観的に自分の生活史を振り返り、
不自然と思われる部分を改め、

いままで満たされずにいたことが、満たされるようにしている。

これを「生き方のリセット」といっている。

 「人のことを真剣に思いやることで、
心の切り替え(リセット)」に成功した人の事例を紹介していた。

「病は気から」と昔の人は、うまいことを言っている。

早く科学的な解明が進むことを祈るのである。


心と病気 その1

2007年03月13日 06時32分46秒 | Weblog

  友人の手品師が送ってくれた小冊子を読んで、
感銘の強かったことを書き連ねてみる。

(人間学を学ぶ月刊誌 chichi 致知 2007年1月号 より)

対談者は、次のお三方。

村上和雄先生

(筑波大学名誉教授、高血圧の黒幕酵素“レニン”などの遺伝子解読に多くの業績、
世界的な遺伝子学者、 1月31日掲載“B&B”で、ご紹介した先生)、

土橋重隆医師

(内視鏡・腹腔鏡などによる国内初の外科手術を実施、
先端医療の外科医、著書「ガンをつくる心 治す心」)、

藤井悦子氏

(全国思風塾二代会長、41歳のとき直腸がん発病、以来転移のため8回の手術を経験、
H17年夏には、「サムシンググレートは語る in 琵琶湖」の実行委員長)

さて本論であるが、

土橋医師は、
「病院以外のところで、治癒不能といわれたがんを克服した方にたくさん出会い、
そして教わったことに、いくつかの共通点があった」という。

 藤井氏は、「こんな簡単な解決法があったなんて・・・」と発言。

その共通点とは、

「がんを治そう」とするのではなく、
「生きよう」とすることであるという。

「どうやって生きようとしたか」それがはっきりしていること、

言い換えるならば、
「心のあり方」を見つめなおしているのだそうである。

がんになる前の自分に戻って考え、
「そこに問題があるのではないか」と
「生き方をリセット」することが必要だというのである。

現代の医学は、
「病気を外側から診断して、外側から治療する医学」であるという。

病気によっては内側、つまり物質的に見えない部分、
すなわち、心が原因となっているのではないかというのである。

がん細胞だけ見て、根底にある原因を突き止めようとしていない。

つまり、がん治療に限界があるのは、原因不明のまま治療を行うからだともいう。

そのことを、村上先生は次のように話しておられる。

「病気はすべての命の親であるサムシンググレートからの何らかのメッセージ」

このような考え方は、
現代医学ではまだ認証・承認されているようには聞いていないが、

全面否定するにも根拠の乏しいものであろう。

古来より、人間は幾多の法則・理論を発見してきた、

しかし、法則・理論は、本来存在していたのである。

人は様々な事象を「発見したに過ぎない」のである。

遺伝子暗号を書いたのも、動かしているのも人間ではない。

命の親のような何者かがあるとしか考えられないと村上先生がおっしゃる。

(法則・理論を、創り・動かしているのは、神か仏かあるいは、
サムシンググレート「偉大なる何者か」と言われるのである)

対談者が直感的に感じておられることが、

早期に科学的な証明を経て、新たな法則・理論になることを、

切に祈るものである。


入場料3150円

2007年03月12日 06時44分24秒 | Weblog

 

 ミケランジェロのシスティーナ大聖堂の壁画等は、
天井の高さが15mあり、建物の天井部をそっくりそのまま再現している。

(数年前に撮影したものを掲載しておきます、
写真をクリックすると大きくなります)

大塚国際美術館は、全部見るには4.5キロも歩く、巨大な美術館である。

瀬戸内海国立公園内の渦潮で知られる鳴門海峡の近くにあるので、

13m以下という高さ規制により、展示室は地下3階~3階。

作品は、世界の有名な絵画を、実物大でセラミックに焼いて再現している。

強いて難を言えば、陶板のため、大きな絵画は、継ぎ目があること。

3150円の入場料は、わざわざ海外に行かなくても、世界の名品が鑑賞できることを考えると、あながち損ではない。

写真撮影(人物が写っていればよいらしい)も自由、触るのも自由、

こんな美術館は、世界広といえど、他にはない。

4月には、システィーナ大聖堂も大改修となり、大幅に充実すると聞いている。

折を見て、改修後の充実したものを見物に行きたいと思っている。

楽しみなことである。


いたわり

2007年03月11日 12時23分16秒 | Weblog

3月10日付け「遊びの極意」について、
“ひこどん”さんから下記のコメントを頂いた。

 “  夫婦は忍耐の一言だとかそのとおりかもしれない。

我が家では旅行中、私のショッピングと主人のお酒の時間でけんかになることが多いのですが、

これも数重ねるごとにお互い少しずつ譲り合うようになって喧嘩の回数が少なくなってきました。

忍耐も少しずつ慣れて忍耐でなくなれば好いでしょうね・・・・?  “

旅行という非日常的な環境が、お互いの垣根を低くし、いつもより多くの会話をもたらす。

この結果、見かけ上、幾らかの衝突が顕在化したのであろう。

九拾歳半ばの日野原先生は、友人・知人に会うと親しみをこめて、

「ハグ」をなさるのだそうである。

ハグとは、日本語で「抱擁」である。

動物はしゃべることができないから何者かに出会う(見る)と相手の音を聞き匂いを嗅ぎ、舐め、触れる。五感をフル活用する。

 ハグをすることによって、人間も五感をフル活用するレベルに達することが出来る。

そして、人の本質のに触れ安心感を得たり、感動の数を増やす。

日本人は、一般にシャイである。

表現力が乏しい民族である。

 旅先などの、非日常的な機会を捉えて、

「夫婦で腕を組む」などから始めて、 スキンシップを行うことは、

高齢化時代の夫婦の大切な過ごし方のひとつ、であるように思える。

非日常的といえば、連れ合いが病気になったときも、含まれる。

「 いたわり」の気持ちを態度で表すことを心がけるべきである。

このようなことが出来るようになると、

「耐え忍び・譲る」ことなど、いとも簡単に出来るはずである。


アマチュア

2007年03月11日 07時26分46秒 | Weblog

二世尾上松緑氏は偉大な歌舞伎俳優であった。

この方に、喜劇俳優の伊東四郎氏が中学生の頃(半世紀ほど前)、

無理やり楽屋に押しかけ台本を見てもらったときのこと。

1. アマチュアは、楽しむもの。

2. プロは、苦しむもの。

という、名言を授かったというのである。

この言葉は、伊東氏が終生座右の銘にしている言葉だという。

プロは、お客を如何に楽しますか、苦労しなければならないというのである。

反対に、アマチュアは、「自分が楽しむことが第一」であり、
自分が楽しければ、おのずと周りも楽しくなるというのである。

 小生のとっての「趣味であったり」、「暇つぶしであったり」することは、

すべて楽しめることが、大切である。

 大いに楽しむべし、である。


遊びの極意

2007年03月10日 07時32分46秒 | Weblog

S紙の文化欄に、ある作家が、
「働け働け」という生活信条から、

「遊べるうちに遊ばにゃ損」という心境に代わったと書いていた。

そして、必然的に必要となった
「上手な遊びの合言葉」に至ったというのである。

この心境の変化は、奥さんが一時病気になったことに起因して、
年齢と体力を考えることに気がついため、と書いてあった。

 現在は、温泉巡り三昧のようである。

そして肝心の「遊びの極意」とは、

1. 時間をせかさない 

(何事も女性は、することが多い、いらいらしないでじっと我慢して待つこと)

2. 買い物に干渉しない 

(女性の大きな楽しみは買い物である。存分に買い物を楽しませてあげること)

3. 気に障ることがあっても、口に出さないでじっと我慢

夫婦円満の秘訣は、
「忍の一字・奥歯かみ締め・見守るべし」とあった。

まさにこの通りである。

小生にも心当たりがある。

遊びに限らず、何事においても、
「耐え忍び・譲る」ことが、円満の秘訣である。

しかし、今は気楽な身分である、それ故この極意の必要は無い。

小生の遊びの極意は、「思い立ったら吉日」である。

お役所ではないが、
「すぐやる(すぐ予定に組み込む)」ことが、一番との極意となっている。

ひとたび先延ばしにすると、いつの間にか立ち消えになってしまい、 すぐ忘れてしまうのである、

こうなっても一向にかまわないのであるが・・・。

「暇つぶしであれ」、「遊びであれ」とにかく、

「したい」と思ったらすぐ実行するべしである。


原油価格

2007年03月09日 08時16分26秒 | Weblog

最近、ある方のブログで、ハワイでガソリン給油のとき、ガロン単位の価格に途惑ったとあった。

そんなこんなで、原油価格に思いが至った。

小生が20代のときは、大型船が蒸気タービンで動いていた。

 30代になる頃の1973年秋 第一次石油危機。

原油は、3ドル/バレルから、突如12ドルに高騰。
(注:バレルとは、酒樽一杯の量。 約159リットル)

あっという間に、1.5倍以上燃料を消費するタービン船は、姿を消した。

代わって現れたのは、ディーゼル船。

超大型ディーゼルエンジンが、瞬く間に開発・実用化された。

その後、第二次石油危機。

原油は、12ドルから、突如43ドルに高騰。

またまた、省エネ設備が、大きく浸透した。

そして、現在は、60~70ドルの時代をむかえた。

一段と、各分野で省エネが、拡大・浸透し、脱石油化が叫ばれ始めた。

財政改革にしろ、省エネにしろ、変革には痛みを伴うが、それを乗り越えると、新しい世界が開けるのである。

最近は、金属不足から、金属泥棒が頻発している。

これは、世の中にどんな変化をもたらすのだろうか。


 暇つぶし

2007年03月08日 05時35分55秒 | Weblog

先日の「ためしてガッテン」で見た、

「飛び切りおいしいカレーの作り方」を実験しようと、
アク取りの真っ最中に、メールの着信音。

昨日3月7日のブログのついて、
当事者から、関西弁たっぷりの、下記文面が届いた。

 

”  XXはん(これは小生の名前)、朝早うからよう言うてくれまんなぁ、ホンマに。  

でもチョット前に「話題の提供は惜しまない」ってなことを言った記憶があるからどもならんなぁ、しゃあない。  

私の写経が暇つぶしなら、あなたの料理も写真も旅行もパソコンも、あっちこっちを突っつき探すのも、

多趣味だなんて旨いこと言うてもみな暇つぶしやおまへんか。  

こないだテレビを見ていたら、町の発明家というおっさんが出てきた。  

足の踏み場も無い工場の中には、
もう、笑うしかない珍奇な発明品がずら~り・・・。

レポーターが、「お父さんにとって人生とは?」 と問いかけると、
おっさんは言った。

「人生とは、これ暇つぶし」。  

私はおっさんの表情と声の張りに感動した。  

そう、「人生は暇つぶし」。 

けだし至言であります。  

とまぁここまでがバチあたりな「暇つぶし写経」の言い訳です。  

しかし実際、自分のおこないから
「下心」や「やっかみ」や「もろもろの欲」等々が

薄まる日が来るんやろか、と気に掛かるこの頃ではあります。

 来たらいいのかなとも思うし、

来たら面白くないとも思うし・・・。  “

 

ちょっぴり柄でもない殊勝な心がけを、ひけらかしているが、

どうしてどうして最後の最後まで、小生同様、煩悩の虜でいるはずである。

しかし、かくも名調子の文面を見せ付けられると、

彼にこのブログの株を無償で譲り渡したくなった。

「どうかな、小生と筆者を代わろうではないか?」

その返事は決まっていよう・・・

「それくらいなら、自分でブログを始める」と言うに決まっている。


たわごとメール

2007年03月07日 07時47分59秒 | Weblog

パソコン復旧で、
快適にメールができるようになったと友人に知らせたら、

いつもの通り長文の「たわごとメール」が届いた。

彼の文章は、すばらしくテンポが良くて面白いのである。

(このブログを、彼に代筆させた方が、ずっと読者が喜ぶような気がする)

小生の下手な作文よりましなので、以下に一部引用させてもらった。 

   ・・・(前略)・・・

       写経・・・パソコン修理中の暇つぶしに始めたが、
こういうものは簡単に
「やーめた」とはいかないのに気が付かなかった。
   始めて2ヵ月余でやっと字の配列が揃ってきた。    

  でも・・・ 毎朝の1時間の精神集中が・・・と言うところまでには至ってない。

        真向法・・・続けている。

DVDに比べると、腰の前屈はまだ半分くらいだ(第2体操では顔が膝につかない)

けれど、驚いたことに、腰痛がなくなってきた。 

完璧ではないにしても、ゴルフには何の差支えもないし、

日常の、洗面のときや犬を抱き上げたり降ろしたりする時の動作に不安がない。 

 書き出したら一杯あるけれど、また後日。

 

写経を、「暇つぶし」というとんでもない動機で始めたようである。

 こちらも負けじと始めようかと思っが、
「やーめた」といかないと言うので、しばらく見合わせることにした。

 真向法(ストレッチ体操)もまじめに続けているようである。

 僅か2ヶ月ほどで、教材DVD演者の半分も曲がるようになっているのか!

(膝に顔がつかないと「のたまう」のである)
末恐ろしく脅威を感じた。

 あと数ヶ月で追い越されそうな勢いである。

 半年もすると、
ゴルフの飛距離が大幅に伸びたと言ってくるのであろう。

 何をやっても徹底的にやる男には勝てそうにない。

 


復元ポイントとバックアップ

2007年03月06日 07時02分18秒 | Weblog

 今回のパソコン不調は、50日間も修復に要してしまった。

完全復旧は、新規購入後ちょうど1年目となった。

ひとたび、パソコンがうまく動かないとなると、不便極まりない。

これを機会に、運用方法を変更することにした。

 その1:復元ポイント
新たにソフトをインストールするたびに、必ず復元ポイントを作る。

その2:月1回、月初めに必ずバックアップ
外付けHDDを利用し、バックアップ。

その3:絶対に失いたくないデータを、
別途 CD or DVD にコピー
(ただし、必要時)

以上の三段構えの対策を決めた。

当たり前のことであるが、基本動作に忠実であるべしというのが、
今回の教訓となった。

それにしても、少し面倒である。

他によい方法をご存知のお方があれば、
ご指導いただきたいものである。


あかぬける

2007年03月05日 07時12分58秒 | Weblog

 杉浦日向子の江戸塾 (PHP文庫)からの受け売りの続編。

江戸の女性は、渋めの柄が好みだったという。

上方は、「纏(まとっ)ていく文化
= 次から次へときれいなものを重ね着する文化」であるという。

これにひきかえ、江戸の文化は、
「省略していく文化」だという。

言い換えれば、すぐに大火で焼け出されるので、
極力物を持たないようにしたのだという。

「垢抜ける」ではなくて「赤ぬける」という表現を用いていた。

 赤は女の最後の「決め色」、
いつもは赤なしで勝負することを「赤ぬける」言うのだそうである。

 江戸の女性は、今日こそはというときに、
初めて、赤い紅をつけ、赤い下着で挑むというのである。

さぞかし、江戸の男は、たじたじとなったことであろう。

一度でいいから、こんな目にあってみたいのだが、
寅さん「もどき」では、到底望むべきもなさそうである。


共感

2007年03月04日 07時54分00秒 | Weblog

 田辺聖子さんのエッセイに、
好ましい日記やエッセイの姿が書いてあった。

読者(自分も含む)に共感をもたれ、
節度あることが、好ましいのだそうである。

そのための注意点として、
次のような、ポイントが掲げてあった。

1. エッセンスのみ

2. 大所高所の視点で

3. 自分の言葉で

4. やさしい言葉で(平明でわかりやすく)

5. 本音で

さてさて、自分の文章を振り返ってみると、
幾つか満足できない点が、必ずある。

まだまだ、共感の得られるレベルには程遠いようである。

そのうち、よい文章になることを期待して、書き続けることにした。

書かぬことには、前進も進歩も無いのだから。

 

50日ぶりに、ようやく、パソコンが正常に戻ったようである。

「ようである」と書いたのは、あと1週間くらい様子を見て、
最終確認をしようと思っているからである。

ようやく、ビデオクラブや土曜塾に顔を出せそうである。


ラッセル

2007年03月03日 08時05分43秒 | Weblog

暖冬にもかかわらず、「雪の話題」。

ラッセルとは、「登山で、深い雪を掻き分け、道を開きつつ進むこと」とある。

 先頭を行く人は、雪を「掻き分け・踏み固めて」、後続の人が楽に前進できるようにする。

非常な重労働で、数十メートル毎に、先頭の人が、最後尾に下がり、二番手の人が先頭に立つ。

これを繰り返して、前進するのが雪山登山である。

3月1日の「敵は本能寺」の稿に、「イカナゴ」様から、次のコメントを頂いた。

「・・・お年のようですね。(その通り、お年です)

ボチボチ・ソロソロ・ソロリソロリ・歩んで下さい。
ご無理をされないように。
(ご心配をおかけします、お気遣いありがとうございます)

それにしても貴方のご趣味はあまりにも、多すぎるのでは?
(殆どの人がそのようにおっしゃいます、ご指摘の通りです)」。

趣味の世界は、この雪山登山のように思われてならない。

先生と呼ばれる方々は、日夜研鑽に励み、
その道の極意を切り開き・体得する。

我々生徒は、その2番手以降につき、楽に習得を進めさせていただく。

 したがって、生徒側は、余裕があれば、掛け持ちで幾つもの趣味を勉強できるが、
先生側は、日一日高度化を進めなくてはならず、

お楽しみは別として、ご専門一筋に過ごされている方が、多いように感じる。  

気の多い自分としては、申し訳ない気もするが、それでもあれこれちょっかいを出している。

お世話になっているのである。

とここまで書いて、はっと気になった。

小生のは趣味といえるほどの、高邁なことなのだろうか?

ちゃらんぽらんに勉強し、いい加減に気の向くまま練習し、才能も努力もないゆえ上達もせず、

その日その日をマイペースで、自分なりに面白く遊んでいるだけである。

先生方には、申し訳ないのであるが、楽しく遊ばせていただいている、

ちゃらんぽらんが、いることをお許しいただかねばならない。

今後は、小生の場合には、趣味というのではなく、
「楽しみ」と呼ばせて頂くことにする。

そうすれば、「イカナゴ」様の趣味が多すぎるというご指摘はあたらず、

「楽しみの多い、幸多きお年の人」の仲間入りができるはずである。