goo

窓外写真

着信音のボリューム上げ朗報を待つ



朝目覚めると窓を開けて天気を確認し、しばらく寝っ転がったままぼーっと空を見ている。気持ちのいい時間です。曇り空や雨の場合も青空とは違った気持ちよさがある。LIVE感かな、おだやかなLIVE感、そんな気がする。
写真は木曜日の朝に撮影したもの。もちろんスマホで。毎日記録として撮っておくと、季節の移ろいが見えるかもしれないとおもうのだけど、ぼーっとしているので写真を撮るのを忘れてしまう。毎日撮れば、カレンダーをつくれるかもしれない。ただし、1年前のカレンダーになるから実用性はゼ~ロだ。それでも10年続いたら、なにか違う用途が生まれるような気がしないでも、ない。どんなことでも10年続ければものになると聴いたことがある。
チャレンジしてみるか、でも出張が再開されたら別の場所で目覚めることになる。そうなると、継続できないよね。やはり継続とはむつかしいものだ。故に継続は力となる。




///////////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

価値観って?

似たもの同士と言われムッとする彼女



「価値観がおなじなので、つきあいました」というラブラブな二人をテレビで見た。なるほど、価値観かぁと、若い二人(男女)を見つめながら反芻した。価値観って無意識の中にある揺るがない性根のようなものじゃないのかと思っていたので、若くてもちゃんと見えているのかと感心した。たいがいは好き嫌いを価値観だと勘違いしているからね。
驚いたのは、その後のレポーターの発言だった。「価値観ですか、おなじなんですか、ということは、お二人は似たもの同士ってことですね、気が合いますよね」。その言葉を聞いて彼女は、ムッとしたような表情を浮かべた。じぶんに似た人がいるということに反発したのか、私は他の人とは違うと言いたかったのか、価値観を甘く見るなと言いたかったのか、なかなかシュールなシーンだった。
芸能人が「価値観が合わなくて離婚します」なんてことを言うので、価値観がどんどん軽くなっていくんじゃないか。好き嫌いじゃないからね。






////////////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

副作用副作用

待つことは祈りと知る待合室で



治療(中咽頭がん)を終了してから2年経過したけれど、副作用というものは時差攻撃をしてくる。抗がん剤と放射線というのは、命を救ってくれる力を持っているのだから、周辺にも影響を及ぼす。どんな薬もピンポイントで、というわけにはいかないものね。
手術というのはピンポイントで患部を取り除けるのだろうけど、それはそれなりにかなりの負担を身体に要求する。すなわち、治療というものはどんなものでもハードだということだ。だからコロナウイルスに感染したときの治療もかなり厳しいものだと想像できる。
いつどこで感染してもおかしくない状況だし、完璧な防御は不可能だから感染した人を責めることはできない。明日は我が身だよ、ほんと。自己防衛しかないとなると、やはりワクチン接種を考えないといけないか。ワクチンを打っても安心はできないけれどね。後手後手に回る対策、五輪に中心の政治、見せかけだけの掛け声、私利私欲、いろいろ考えることが多い日々である。





//////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小銭貯金

10円玉一枚で買える物がなくなった



小銭貯金をながい年月続けている。途中、引っ越し代につかったのでかなり目減りはしたけれど、1円玉、5円玉、10円玉の存在感はなかなかのものだ。ちゃんと数えると、目論見よりも金額は少ないだろうけどね。
昨年からのコロナ禍で外出を控えるようになったので、とうぜん買い物や外食の機会も少なくなり、お金のやり取りも激減。だから小銭貯金はできなくなっている。おつりをもらえないからね。
小銭貯金をするようになったのは、若かりし頃、無意識に貯めていた小銭に助けられたという経験があるからです。10円すらなかったのだよなぁ。小銭で生き延びた経験から小銭を大事にするようになった(助けられたご恩は・・・である)。
しかし、時代はキャッシュレスへ。コロナが収束するとキャッシュレス化が加速しそうだから、そうなると小銭貯金はできなくなるかも。いや、やめないぞ。硬貨と紙幣が流通する限り、小銭貯金は続けるのだ。そしてどっさり抱えて銀行で両替をしてもらうのだぁ~(イヤな顔するだろな。CMとの落差が見られるぞ)。





///////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

テレビドラマ

今週は最終回のドラマが並ぶ



コロナ禍で変わったことは、あれほど敬遠していたテレビドラマを観るようになったこと。いままで観なかったもんなぁ。朝ドラだけは観ていたか、それだけだった。なのに数ヶ月前からテレビドラマに目覚めた。理由の一つは、バラエティ番組というものがつまらなくなったと感じてきたから(出たとこ勝負みたいなところが)。
それならちゃんと原作か脚本があって演出家がいて、役者たちが何度も稽古をして、その他スタッフも力を注ぎ、時間をかけて完成させているドラマは、じぶんの時間を費やして観る価値があるのではないかとおもったのです。バラエティもむかしのように作り込んだものだったら見応えもあるのだけど。
ということでテレビドラマに興味を持った。今は、週に6本。これは我が人生史上初の快挙である。テレビドラマを楽しみにする日が訪れるとは、予想もしていなかった。コロナ禍じゃなかったら観ていなかっただろう。ただ寂しいのは、すぐに最終回を迎えること。むかしってもっと長くやってなかった? 内容にも影響するようにおもうのだけど、観る方の我慢がなくなったのか? さてさて??





//////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

冷凍食品

工場で食べたい出来たての冷凍食品



冷凍食品というものを買う機会は少ないのだけれど、気になったものがあったので買ってみた。テレビ番組でプロの料理人たちが全員合格という札を上げていたので、彼らの舌を試して見ようとおもったのだ。
冷凍食品は進化している。それは知っているが、「こりゃ~すごいぞ」というものには遭遇していない。もちろん、食べる機会が少ないからということもあるだろうけどね。
ただ判断は値段とも照らし合わせないといけない。でないと公平ではいだろう。
ということで、買ってきました。その商品の名前は『横浜あんかけラーメン』であります、ジャンジャカジャーン。ここの会社へは何度か仕事の打ち合わせで行ったことがある(社名を見て思い出した)。気持ちとしては応援したい。
果たしてワタクシの感想は、「よくできている」です。こうしてほしいというのはありますが、コストパフォーマンスは成立している。盛り付けの見栄えが悪かったので、伝わらないかもしれませんが、すみません。
ただ、これからも買って食べるかと聞かれたら、「それはちょっと・・・」。なぜなら、野菜どっさりが希望ですからね(個人的な好みです)。仕方がないです。





/////////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カツオくん

繊細であるが故に狡賢いカツオ



マンガ、サザエさんの主役はだれだ。間違いなくタイトルにもなっているサザエさんだよな。誰もが疑うことなくおもっているでしょう。しかし、ワタクシの目には「カツオくん」というタイトルが映る。どうしてもカツオ目線で見てしまうからか、それとも幼稚なのか、知能指数がカツオと同程度だからか、いや、ずーっとずーっとむかしにカツオに憧れていたからというのが答えかもしれんぞ。
カツオになりたい、そしてアニメのなかで暮らしたいという、あほうなことを妄想していた時期があった。その頃からカツオは、我が妄想の世界でヒーローとなったのである。
案外、同じことを妄想したことのある人は多いんじゃないか、隠さずに話しなさい! とうぜん、いいかげんな男どもだけでしょうけど。女性はサザエさんになりたい? うう、どうなんだろう、気になるな。もれなくカツオという弟もついてくるんだよ、そのこともひっくるめてサザエさんになりたい人、いるかな?? 波平さんもついてるよ~。





//////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カニカマバンザーイ論

腹八分目のハードル高く見える夕食



カニカマの進化は止まらない。カニカマは蟹ではなくカニという種類のものだ。華やかだ。料理をパッと明るくしてくれる。蟹も驚くカニだ。
ちょっと前までは侮っていた、しょせんニセモノと見下していた(お前は麻生か!)。悪かった、申し訳なかった、キミはすばらしい。蟹を買えないワタクシには感謝しかない。
もう蟹の代用品ではない。直接指名しての指名買いする商品である。いつのまにこんなに逞しく成長したのだ? いろいろ苦労があったとおもう。ボクはキミをベタ褒めしたい。
今回はカニカマに協力を得て冷やし中華なるものに登場を願った。さすがである、見事な仕事ぶりだった。ここにキミがいるといないとでは、大きくちがう。極論を言えば、冷やし中華でなくなってしまうかもしれない。単なる冷やし麺、キュウリのせになる。
感謝感謝で味わいながらいただきました。キミは冷凍できるのか? できるのであればストックしておこうとおもう。いつでもどこでもカニカマだ。チキンラーメンにも合うかもしれないな。カニチキラーメン、ヒットしそうだ(勝手な思い込み)。





//////////

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

昭和の部屋

レコードジャケット棚に飾って昭和



部屋の天袋のところにレコードジャケットを置いてみた。背景のふすまとレコードジャケット。まさしく昭和のコントラストではないか。レコードジャケットを部屋のインテリアとして使うというのは、昭和のセンスである。タイムスリップしたような気になるな。
友人にもらったレコードのなかには、彼の母上が聴いていただろうと思われるものも含まれていたので、バリバリの昭和を部屋に投入することもできるのである。なんか、昭和を集めたくなってきたな。
いま持っている昭和は、五つ玉のそろばん(もらった)、カメラ(もらったもの、親父の残してくれたものなど)、ギター2本、それくらいかな。昭和コレクション、ちょっと気になるけれど、ブレーキをかけたほうがいいな。
喫茶店でもやっているのだったらインテリアとして効果を発揮するが、じぶんの部屋に並んでいてもイマイチ寂しい気がする。店か、気まぐれにやれるのであればやりたいね(甘くないぞ!)。宝くじしかないか、うん。





///////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リモート

不思議が次々リアルになり腰が引け



リモート打ち合わせというのを体験した。電話とどう違う?顔が見えるか見えないか、そこが違う。あたりまえか、あたりまえだな。感想は、直接会って話すよりも照れてしまうし、話に入っていくタイミングがむつかしい、だった。反射神経を試される。
この状態で飲み会となると疲れ倍増じゃないか(想像してみた)。顔をつきあわせて飲んでいるよりも数倍疲れそうな気がする。でも、あー青春時代だったら、そしてそれが今だったら、楽しめたかもね。彼女がいたら毎晩リモートデートをしているだろう。それが青春というものだ(青春という言葉が古いか、化石言葉か)。
さてこの先、リモート飲み会というものを体験することはあるのか。友人の顔を思い浮かべると答えは「ない」だ。やりそうな輩が思い浮かばない。それなら家に来いよ、家で飲もうぜとなるはず(先日もそんな電話があった)。究極のアナログ人間ばかりに囲まれているのだと知った。友よ、時代は進んでいるのだぞ。






/////////////
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »