2月も中旬だというのに、今朝の冷え込みは今冬一番だったのでは、と思うほどの厳しい寒さでした。三四郎の散歩にでかけようと庭にでたら、庭の水道栓をひねっても凍って水が出ず、水が残っていた器には薄氷がはり、冷え込みの厳しかったことを実感したのでした。ただ、昼間の野辺の陽だまりは紛れもなく、春の到来を告げ、オオイヌフグリが瑠璃色の小花を散りばめ、ホトケノザが「今年も咲いたよ!」と挨拶し、柔らかな白色の花のナズナが春の陽を浴びていました。寒さもあともう少しですね。
道端におおきく成長した犬鬼灯を見た時は、雑草の仲間とひとくくりにしてあまり気にも留めていなかったのですが、落ち葉の中から顔を出した犬鬼灯はとてもチャーミングに見えました。いったいこの花はいつが旬なんだろうと思うほど、よく咲いています。もちろん冬に向かっても花を咲かせ、その小さな花は、他の植物が枯れたり葉を落す頃、やっとその存在に気付くほどです。茄子科なので茎全体が茄子色をして、花後の果実は小指の先ほどの緑色の実をホオズキのようにつけ、やがてそれが光沢を持った黒へと変わります。この色へんげを楽しみにしていると、時に黒に変わる前に抜き取られていることもあります。
この写真の犬鬼灯も、次にそばを通る時は、黒くなった実になって会えますように!
この写真の犬鬼灯も、次にそばを通る時は、黒くなった実になって会えますように!
秋の七草のひとつ「葛の花」が今、盛んに咲いていますと、記したいところですが、どうしてこうも葛の花は捜しにくいのでしょう。葛の茎はツルとなって伸びに伸びて、ほぼ20メートルにも達するそうです。我家の家の周りでもこの葛のツルですっかり覆われた空き地や樹木、フェンスなどをよく見かけます。ところがその大きな3枚の丸葉の脇から顔をだすはずの花を見つけるのに苦労します。葉の陰に隠れでもしているのかと、葉の裏を覗き込むとそこには、もう大きな豆のような実がついていたりもします。万葉の頃から咲く葛の花、なかなか奥ゆかしいのですね。
土筆の風貌は、なんともかわいい!春先に土の中から、そろそろ芽を出してもいい頃かなと、まわりの様子を伺いながら顔をだしたところ、暖かい外の陽気に思わず仲間に声をかけて、揃ってあちこちから顔を出してみたとそんな微笑ましい感じがします。家の前の空き地で土筆を見つけました。土筆を見ると、息子がまだ小さかった頃のことを思い出します。土筆を見つけた息子に「土筆はこうやって袴をとると煮て食べられるんだよ」と言ったところ、翌日、友達を総動員して自転車の籠いっぱいに土筆を摘んできたのでした。その夜、夫と夜なべ仕事で土筆の袴をはずして、湯がいてあく抜きし、煮ては見たものの、息子は見向きもせず、大人とて、ほんの少しを食するのであればいざ知らず、そうたくさんは食べられず、大量の土筆を前に困惑したことを、ほろ苦い思い出として懐かしく今年も思い出しました。
昨日はTシャツ1枚で過ごせるような、暖かさを越えて暑いくらいの一日でした。近くの谷戸から鶯の初鳴きを確認しました。三四郎(犬)は、庭の日陰を探して伸びていました。やっぱり早すぎる春!そんな陽気の中で、背丈もまだ短い早春の野花「ホトケノザ」を道端に見つけほっとしました。しゃがみ込んで低いアングルから撮ると、まるで人の顔のような表情に見えました。うっかりすると通り過ぎてしまいそうな足元で、はっとするような豊かな表情を持つ野の花に出会え、春の陽に感謝です。
秋に空き地などで咲き誇っていたセイタカアワダチソウも花期を終えて、今では少しにごった色の綿毛をこんもりさせて初冬の空気にとけ込んでいます。すっかり「厄介者」の汚名を着せられてしまったセイタカアワダチソウですが、そもそも名前の由来は、咲いた後の花穂をお酒の醗酵したときの泡に見立てて名前がつけられたものだそうです。私にはこれがまだ産毛の残っているひな鳥の背中にも似て、そのモコモコ感に妙に暖かさを感じてしまいます。花穂から数万個の種がつくられて、その種は風に乗って運ばれ、来年はさらにセイタカアワダチソウの分布を広げるわけですから、その生涯はしたたかと言えるのでしょう。だけど、まるで寒空に背中をまるめているようにも見えて、あわれにもみえるのでした。
横浜でも冷え込みが一段と厳しくなった今朝、陽の光に照らされて色づいた木々はいっそう透明感をもって輝いていました。きっと額縁を通して見ると、どこを取っても名画のようになるのでしょうか。出勤途中で見た、竹やぶの一本の竹にからまった蔦の紅葉は竹やぶの中がうっそうとしているだけにその紅葉した色は際立って見えました。ほんとに日本の今の季節はすばらしいと思いました。
犬の散歩から戻ってくると、三四郎(犬)の足や胸元にひっつきむし(雑草の種)が刺さっていることがよくあります。ひっつきむしに要注意などと注意を払うことなく、帰ってくると刺さっているのです。私の足元にも刺さっていることもあり、このひっつきむしの先端が皮膚に当たると痛痒くなります。
秋も深まった茂みの中にまだ青々としたひっつきむしの花を発見しました。
この種にあたる形状はいかにも動物の毛や衣類にくっつきやすいかたちで、たんぽぽの綿毛みたいに風に運ばせることなく、動物や人に運ばせてしっかり子孫を絶やさないなんて、なんて賢く効率のいい方法なんでしょう。そう言えば今朝もなにげなく、三四郎の足についたひっつきむしを取って、その辺りにばら撒き、繁殖に貢献したところでした。
秋も深まった茂みの中にまだ青々としたひっつきむしの花を発見しました。
この種にあたる形状はいかにも動物の毛や衣類にくっつきやすいかたちで、たんぽぽの綿毛みたいに風に運ばせることなく、動物や人に運ばせてしっかり子孫を絶やさないなんて、なんて賢く効率のいい方法なんでしょう。そう言えば今朝もなにげなく、三四郎の足についたひっつきむしを取って、その辺りにばら撒き、繁殖に貢献したところでした。
暖を取りたくなるような冷たい雨の一日でした。こんな日はじっとしているのがまた心地よいものと、もともと怠惰な私などは思ってしまいます。
朝の散歩の道端で見かけた猫ジャラシもすっかり枯葉色になっていました。歩きながらついこの猫ジャラシの穂先を触ってしまいたくなるのは、子供の頃若草色の毛の生えた花穂を、よくちぎってはくすぐりっこをした遊びを体が憶えているからなのでしょう。いずれにしても、昔から私たちの身近なところにいた猫や犬からこの草は命名されたことがよくわかります。「猫ジャラシ」は猫の首に近づけてじゃらして遊ぶところから、別名「狗尾草(エノコログサ)」は子犬の尻尾に似ているところから。今朝見た猫ジャラシは、もう遊び相手がいなくなってしまった、そんな寂しげな表情をしていました。季節は確実に冬に向かっているようです。
朝の散歩の道端で見かけた猫ジャラシもすっかり枯葉色になっていました。歩きながらついこの猫ジャラシの穂先を触ってしまいたくなるのは、子供の頃若草色の毛の生えた花穂を、よくちぎってはくすぐりっこをした遊びを体が憶えているからなのでしょう。いずれにしても、昔から私たちの身近なところにいた猫や犬からこの草は命名されたことがよくわかります。「猫ジャラシ」は猫の首に近づけてじゃらして遊ぶところから、別名「狗尾草(エノコログサ)」は子犬の尻尾に似ているところから。今朝見た猫ジャラシは、もう遊び相手がいなくなってしまった、そんな寂しげな表情をしていました。季節は確実に冬に向かっているようです。