小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

東海道五十三次 池鯉鮒宿(愛知県知立市)から宮宿(名古屋市)まで 前編

2007-04-02 | 旧東海道歩き
400年前に江戸と京都を結んだ東海道を、地図を頼りに歩き始めて丸3年。やっと先週末に日本橋から332キロ地点に立つことができました。珍道中の相棒の夫と2人で、休日の土曜日から日曜日を利用して、大きな支障もなく4分の3までを踏破することができました。
池鯉鮒(ちりゅう)は、現在の愛知県知立市。この地名は神社の池に鯉と鮒が一緒にいたところから付けられたそうです。今でも街の商店の屋根には、屋号や昔の看板が掲げてあって、何代も家業が受け継げられている様子が伺えます。


知立市を過ぎると豊明市、国道1号線をしばらく進むと「阿野一里塚」左右1対のまま残っている珍しい一里塚がありました。現在は小さなベンチが置かれていて、菜の花と桜が静かに咲いていました。


しばらく進むと織田信長が今川義元の陣地を急襲して討ち取った場所といわれている桶狭間古戦場跡。小さな公園となっており、ここでも満開の桜が出迎えてくれました。


有松の町に入り、いよいよ名古屋市に入ったことになります。古い町並みが軒をつらねていて、うだつの軒が建物の風格に色を添えています。このうだつ「卯建」は「うだつがあがらない」の語源とも言われているだけに、当時はこの二階の壁面から突き出た袖壁は、火除け壁ともよばれて防火の役目を果たしていたそうです。裕福な商家はこの「うだつ」をあげた家を競って造ったそうです。


この伝統絞りの町並みは揃って「ありまつ」という絞りの暖簾を掲げて、「絞りの街」として観光に一役買っているようです。


有松に続く「鳴海宿」、ここも木綿の鳴海絞りが伝統産業として今も続いているという話ですが、有松が宿場としての街の景観を当時に近い形で残っているのに比べ、鳴海はすでに現在の住宅地として整備されて、面影をほとんど残していないのが少し残念でした。
この日は、名古屋に住む義妹夫婦に迎えにきてもらって、名古屋名物「ひつまぶし」を食べ、その後はライトアップされた桜の中の名古屋城を見て、久しぶりに楽しいひとときを過ごしました。(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする