翌日11月4日、塩尻発8:13の中央本線で一駅先の洗馬駅に下り立ちました。所要時間は4分、昨日はこの区間を3時間ほどかけて歩いたことになります。
常夜灯と追分の碑
昨日はすでに夕暮れが迫って薄暗かったのですが、善光寺西街道の追分だった常夜灯が駅近くにありました。
洗馬宿の由来は木曽義仲の馬を今井兼平がここで洗ったという伝説があり、そこからこの洗馬(せば)という名前の由来がついたようです。
街並みは昭和7年の大火でたくさんの家が焼失したこともあって、道幅は広く比較的新しい家並みでした。
今では懐かしい火の見やぐらが町のほぼ中央にありました。
8:35 脇本陣跡 本陣予備脇本陣の庭園は道中でも稀な名園だったと記録に残っているようですが、これも昭和の大火で失われてしまったようです。
8:45 牧山の一里塚跡 江戸日本橋より数えて60里目
9:15 本山宿入口
まもなく洗馬宿を後にして、中央本線を挟み中山道は比較的静かな県道を進みます。稲が刈り取られた田んぼの向こうには黄葉の見事な山並みが迫って見えます。本山宿の入口に入ります。
「本山そばの里」という看板が現れます。
「そば切りの」発祥の地で、それまでそばはそばがきだったそうです
9:50 本山宿の街並み
北から旧旅籠川口屋、池田屋、若松屋の三棟が食い違いの斜交じ屋敷形式になっています(国登録有形文化財)
出桁造りの連子格子の街並みが美しい
10:20 日出塩の一里塚跡
江戸日本橋より61里目、まもなく細道の旧道に入ります。旧道は何度か分岐がありわかりずらいのですが、間もなく日出塩の一里塚跡にでました。
紅葉で見事な曹洞宗秀永山の庭園
江戸の時代「洗馬節」には「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」とうたわれたそうです。
11:05 「是より南木曽路」の碑
山深いところに松本藩、尾張藩の境であった「木曽路の碑」がありました。
島崎藤村の「夜明け前」冒頭の一節「木曽路はすべて山の中」の道
この先旧道は山の中にしばらく入っていきます。道なき道を落ち葉をカサカサ音を立てながら、熊の出没にまた怯えながらほんとに心細い思いで歩きました。まもなく国道に合流してほっとしました。
苔むしている旧道痕跡の残る、通行不可の旧片平橋(土木学会推薦の土木遺産)
木曽山脈から切り出される木材
12:15 若神子の一里塚
国道工事中の登坂車線を避けるように脇道を登って行くと国道を渡った高台に江戸日本橋62里目の「若神子(わかみこ)一里塚跡」がありました。
この辺りの集落からは水量の多い湧水が流れているのでしょう。至る所に水場がありました。
13:10 JR贄川(にえがわ)駅を過ぎると「贄川宿」の入口となります。
ここに昭和51年に復元された贄川関所があり、贄川は木曽11宿の始まりにあたっていたので、女改めもあり、女性の出入りは特に厳しく取り締まられていたようです。
贄川のトチの木
推定樹齢1000年、樹高33メートル、根本周囲」17.6メートルの巨木
14:20 押込の一里塚 江戸日本橋より63里目
陽がだいぶ傾け始めると、木曽の山に切り込んだ深山の山並みは陽の当たり方によって微妙に色が違って、山肌の色が変わって行く様子がとても面白いと思いました。
旧道の両側に漆器店が軒を連ねるようになると、木曽漆器の街平沢地区に入って行きます。
いよいよ贄川宿からこの日のゴール奈良井宿に入りました。日はすっかり山間に沈み宿場がタイムスリップしたように目の前に浮かびあがってきました。
今宵の宿泊、奈良井宿の旅籠「伊勢屋」に到着しました。
23キロ、歩数は35400歩でした。