JR須原駅8:06発、昨日の到達点駅大桑駅8:09
この駅も無人駅で私たちのほかにあと一組3人の青年のグループが降り、やはりこれから中山道を須原宿から一日で中津川まで目指すと話していました。私たちはこの日は妻籠まで、だいぶペースが違うなと思いながら一足先にスタートしたものの、30分ほど先の道の駅大桑で、すでに抜かれました。若い人はやっぱりすごいなー。
9:00イボ石の碑
中央本線沿いに踏み切を横切ること数回、間もなく「倉坂」という急坂を上ります
イボを箸で摘まみ、ここにおく仕草をすると取れると伝わっているそうです
イボは取れたか
9:10本陣跡
国道19号線を離れ、野尻宿に入っていきます
問屋、庄屋を兼ねた本陣跡は明治27年の大火で焼失してしまったそうです
多くの家が焼失してしまったようですが「野尻の七曲がり」といって
外敵を防ぐための街道は曲がりくねり、当時の面影が残っていました
9:20 西の外れ
野尻宿の出口の家は屋号を「はずれ」と言って野尻宿の外れを示すと案内板にありました
下在郷の一里塚(江戸日本橋より77里目)
中山道はしばらくJR中央本線沿いを進みます
10:20 中央本線の狭い地下水路のトンネルをくぐります
このあたりは貝原益軒著「きそ路の記」に
「野尻と三留野の間、あやうき路なり、この間左は山也・・・」と
当時は深い山と木曽川に沿ってどんなに難路だったことかと想像できます
まもなく木曽川は見事な渓流と花崗岩の岩盤が幾重にも重なった景観が開けてきました
11:45南寝覚
上松の寝覚ノ床のような渓谷は「南寝覚」と呼ばれているそうです
対岸に渡りお昼にしました。現在は整備された国道沿いも
当時は崖路を危険にさらされながら歩いたものと思われます
12:30三留野宿
本陣跡、旅籠屋も数件ありましたが、比較的小さな宿場だったようです
ここも明治14年の大火で宿の大半が焼失してしまったようです
この辺りは高い山々が迫って見え
大雨ともなると土石流がおこり難所だったようです
収穫も終えて、今は穏やかな風景が広がっていました
13:40 かぶと観音・袖振りの松
木曽義仲が兜の中に収めていた十一観音が安置されているかぶと観音
木曽義仲が弓を射るのに邪魔になった松を巴御前が袖を振って枝をなぎ払ったと言われている「袖振りの松」の水舟がありました
13:50 妻籠への道
三留野を過ぎると島崎藤村「夜明け前」の
「木曽路はすべて山の中にある」の道が続きます
14:00上久保の一里塚
江戸日本橋より八十里目」珍しく両塚が現存しています
蛇石道標 自然石道標で「中山道蛇石 右つまご宿」と書かれています
いよいよ妻籠宿に入ります
14:25 鯉ケ岩
明治24年の濃尾地震で頭部が落ちてしまった、中山道三名石のひとつ
14:30妻籠宿場
高札場跡 水車小屋 奥谷脇本陣跡
江戸時代の宿場の姿を色濃く残している街並みは国の重要伝統建造物保存地区第1号に指定され、当時を思わせる民家が街道沿いに軒を連ねています。電柱も地下に埋められ見事な街並みを形成していますが、とにかく観光客が多く、私たちは山越えしてきたこともあって、人の多さに戸惑ってしまいました。ただ、美味しいコーヒーショップでしばしの疲れも取ることができました。
15:30 大妻籠へ
宿場の人波も少なくなり、馬籠まで6.9キロの道標を見ながら大妻籠の石畳を進んで今宵の宿に着きました。この辺りは妻籠宿の「奥座敷」といわれ、近年海外の観光客も多かったようですが、コロナ禍では海外の観光客は皆無なので、この日も宿泊は私たちだけでした。
行程が長かったので、明るいうちに着くか心配していたのですが、なんとかヘロヘロになって到着することができました。(歩行距離:32,147歩)