航空自衛隊が保有する中型戦術輸送機C-1です。
戦後初めて開発された国産の中型輸送機。アメリカ軍から供与されていた輸送機の老朽化およびYS-11の性能不足を受け、防衛庁技術研究本部、及び日本航空機製造が開発を行い、川崎重工業が製造を担当した。初飛行は1970年(昭和45年)11月12日。試作機を含む31機が製造され、一機あたりのコストは約45億円です。
人員のほか、物資や小型車両等の輸送を担う。また、C-1をベースとした短距離離着陸(STOL)実験機である飛鳥や、ECM装置を搭載したEC-1が開発されました。
現在では機体の老朽化や、自衛隊の海外派遣など運用形態の変化に伴う航続距離不足等の問題から、後継機としてC-Xが開発中です。
機体は軍用輸送機としては標準的な形態であり、高翼配置にT字尾翼、胴体のバルジ(膨らみ)に主脚を収容している。主翼の後退角は20度、アスペクト比は7.8です。YS-11と違い、噴射式のターボファンエンジン(ボーイング727やDC-9と同じエンジン)を採用し、これを主翼のパイロンに2基搭載している。この強力なエンジンによって、C-1は600メートルの滑走路で離着陸が可能であり、高空での高速性能にも優れている。また中型機であるにも関わらず、空中で機体を90度近く傾けての急旋回が可能な高機動能力を持つ。
反面、騒音が大きく、基地近隣の住民から苦情が寄せられたり、騒音被害を理由とした飛行反対運動が起こったりもした。本機に限った事ではないが軍用輸送機であるため乗員に対する騒音、振動などへの配慮は最低限のものであり、特に民間の便乗者には評判が悪い。ただし貨物室は空調・与圧はされています。
ペイロードは、通常人員なら60名、完全武装の空挺隊員ならば45名(1個小隊)、床に金属ロッドを立てて担架を取り付けると36名の患者を輸送できます。車両ならば、ジープクラスの小型車3台を搭載可能。
後部の貨物ドアの一部分は傾斜ランプを兼ね、飛行中にも開くことが可能です。ここから空挺降下や、パレットに搭載した貨物(榴弾砲やジープを含む)の空中投下を短時間・効率的に行うことができます。
塗装は、初期は全身銀色でしたが、後に試作2号機を含めた量産機は、迷彩色(緑と茶の濃淡)に塗り替えられ、岐阜基地の飛行開発実験団(ADTW)に配備された試作1号機C-1FTBのみ現在も全身銀色です。1983年(昭和58)よりC-1FTB以外の機体は、胴体上部に夜間・悪天候時の編隊飛行や物資投下精度を向上させるSKE装置を設置している。
C-1量産機のうち1機は後に電子戦訓練機EC-1に改造され、入間基地の総隊司令部飛行隊に配備されている。また、STOL実験機「飛鳥」はC-1の機体設計をベースに開発されました。
C-1の航続距離は内部燃料タンクのみの場合、その航続距離は岐阜を中心として北海道・九州までであり、当時の技術力でも、C-1の航続距離は他国の輸送機よりも極端に短く、沖縄県や訓練区域の硫黄島へ飛行する場合は増槽を必要です。
一般的に、計画当初の国会の討論で、「航続距離の長い輸送機の導入は覇権主義の再来ではないか」と野党から批判された事が影響したとされているが、ベトナム反戦運動や70年安保闘争、沖縄返還闘争によって革新勢力と鋭く対立した佐藤栄作内閣下において、以前から防衛庁内局により、社会党などの批判をかわすため、意図的にC-Xの航続距離を短縮するよう計画された。この結果、1972年(昭和47)に沖縄が本土に復帰すると航続距離不足が問題となり、C-1の量産は29機で打ち切られた。沖縄や硫黄島へ飛行するC-1は、貨物室に増槽が取り付けられた特別仕様機となっているが、航空機は増槽を取り付けると貨物搭載量が減るため、輸送機にとって航続距離不足は致命的でした。
航空自衛隊では更なる長距離輸送のため、1984年(昭和59)から1998年(平成10)にかけて、かつてC-1導入のために退けたアメリカ・ロッキードのC-130H輸送機を16機購入(完成品の輸入でライセンス生産ではない)した。とくに、1992年(平成4)からは自衛隊の海外派遣が開始されたが、C-1は上述の性能上使用できないので、C-130Hが運用されています。
C-1の能力不足は導入以前から指摘されており、自主防衛を掲げる中曽根康弘防衛庁長官の下で、ストレッチタイプとして大型輸送機も計画されており、この大型輸送機を改造母機とした早期警戒機(AEW)や空中給油機も計画されていたが、中曽根長官と対立関係にあった防衛官僚海原治による露骨な妨害工作(海原はC-1開発そのものに反対していた一人でもある)や、当時AEWとしてE-2を日本へ売り込んでいたグラマンによる国産機潰し、また社会党ら左派の反発を恐れた防衛庁内局によって実施されずに終わりました。
C-1も導入から30年を経過し老朽化が激しいこと、航続距離の異常な短さによって現状に見合った運用がしづらい事などから、2011年(平成23)度より退役が始まる予定です。
2000年(平成12)に後継機の導入が決定し、2001年(平成13)から国内開発が始まった。このC-X次期輸送機ではC-130Hを上回る航続距離と積載量を目指し、2010年(平成22年)1月26日に初飛行を行い成功しています。
第4次防衛力整備計画(4次防)によって50機の整備が決定していたが、日本の特殊な事情によって製造は通算31機(試作2機、量産29機)で打ち切られ、1980年(昭和55)3月に最終契約、1981年(昭和56)10月に最終号機が納入され、C-1の生産は終了した。C-1は小牧基地の第401飛行隊(1978年(昭和53)まで美保基地)と入間基地の第402飛行隊および美保基地の第403飛行隊に配備されたが、401飛行隊は1989年(平成元年)までに逐次C-130Hへ変更、機体は402・403両飛行隊へ振り分けられた。
試作1号機は飛行試験機C-1FTBに、量産機のうち1機(21号機)は電子戦訓練支援機EC-1に改造され、C-1FTBは岐阜基地の飛行開発実験団に、EC-1は入間基地の総隊司令部飛行隊に、当初より配備されています。
4機が事故で失われて、2011年(平成23)3月末時点の保有数は26機です。
本来業務として、空自基地間を結ぶ定期・不定期の貨物輸送と、第一空挺団の空挺降下などの戦術訓練・支援を行っています。人員輸送は主任務ではないが、空自高級幹部や基地間相互の隊員移動に用いられることもあります。また、2002年(平成14)7月から2007年10月末まで、テロ特措法に基づく米軍への輸送支援のため、402・403飛行隊のC-1が日本国内の米軍横田基地・岩国基地・嘉手納基地間で運用されました。
乗員: 5名
定員: 兵員 60名 / 空挺部隊 45名
ペイロード: 8 t (18,000 lb)
全長: 29.0 m (95 ft 2 in)
全高: 9.99 m (32 ft 9 in)
翼幅: 30.6 m (100 ft 5 in)
翼面積: 120.5 m² (1,297 ft²)
空虚重量: 23,320 kg (51,400 lb)
最大離陸重量: 38,700 kg (85,000 lb)
動力: P&W JT8D 軸流式ターボファンエンジン、64.5 kN (14500 lbf) × 2
性能
最大速度: 815 km/h (440 kn)
巡航速度: 650 km/h (350 kn)
航続距離:
空荷時: 2,400 km (1,300 nmi)
積載重量6.5 t時: 2,185 km (1,180 nmi)
積載重量8 t時: 1,500 km (810 nmi)
実用上昇限度: 11,600 m (38,100 ft)
離陸滑走距離: 最短460 m (1,510 ft)
着陸滑走距離: 最短600 m (2,000 ft)
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