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河佐駅は、広島県府中市久佐町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線の駅です。駅前はかなりのスペースがあります。
相対式ホーム2面2線を有し、列車交換が可能な地上駅。駅舎は上りホーム側にあり、下りホームへは三次方の構内踏切で連絡しています。下りホーム側にも出入口が設けられています。
三次鉄道部管理の無人駅である。1983年(昭和58年)の無人化以降、駅前商店にて乗車券を発売する簡易委託駅であったが、2008年(平成20年)3月末日をもって発売が終了ました。
河佐駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■福塩線 上り 府中・福山方面
反対側 ■福塩線 下り 塩町・三次方面
案内上ののりば番号は設定されていない。下りホームからは府中方面への折り返しに対応しており、以前はこの駅での折り返し列車も存在したが、現行ダイヤでは定期列車での設定がない。
1938年(昭和13年)7月28日 - 福塩線の府中町駅(現・府中駅) - 上下駅間延伸により開業。
1983年(昭和58年)4月5日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1989年(平成元年)4月20日 - 八田原ダムの建設に伴い、河佐駅 - 備後三川駅間を八田原トンネル経由の新ルートに付け替え。なお、旧ルートにあった八田原駅はこの時廃止となった。
2008年(平成20年)4月1日 - 簡易委託による乗車券の発売を終了。
電報略号 ワサ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 96人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1938年(昭和13年)7月28日
備考 無人駅
★八田原駅は、かつて広島県世羅郡甲山町(現:世羅町)小谷にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線の駅(廃駅)である。1938年(昭和13年)に福塩線府中町 - 上下間が開通した際には、同区間には下川辺・河佐・備後三川・備後矢野の4駅のみ開設されており、世羅郡三川村小谷字八田原(当時)の住民が鉄道を利用するには河佐駅か備後三川駅に出るしかなかった。特に河佐駅に出るには山と川しかない淋しいところを通らなければならなかった。
1963年(昭和38年)に住民の陳情が実り開業したが、開業から数年後に芦田川下流の福山・府中両市の人口が増加したことや福山市東部の海岸部に日本鋼管(現在のJFEスチール)の大規模な製鉄所が進出したことなどから既に上流にあった三川ダム(世羅郡世羅町(当時・甲山町)伊尾)では十分需要に対応できなくなり、八田原ダムの建設が計画される。このため、八田原駅付近の福塩線は大幅に付け替えられることになった。
八田原駅については存続を求める意見もあったが、トンネル内にホームを設置するのには多額の費用がかかる上、それに見合った需要が見込めないことから1982年(昭和57年)に付け替えをもって廃止されることが決定した。その頃には八田原ダム予定地にかかる家屋は相次いで移転しており、八田原駅での乗降は皆無ということも珍しくない状況になっていた。
1989年(平成元年)4月19日の最終列車の発車をもって八田原駅はわずか25年半の歴史に幕を下ろした。翌4月20日からは福塩線の列車は八田原トンネル(延長6,123m)を通ることになり、八田原駅には列車は通らなくなった。1997年(平成9年)に八田原ダムが完成し、八田原駅の跡は芦田湖の底に沈んだ。
★★道路マニアにとっては広島県道河佐停車場線でもあります。旧広島県道河佐停車場線はJR福塩線河佐駅(北口)駅前広場と広島県道56号府中・世羅・三和線を結んでいた路線。かつては河佐駅の駅舎を出るとすぐ前にあまり広くない駅前広場があり、そこから北に向かって緩やかに上る駅前通りがあったのだが、駅前広場の大半は終点で接続していた広島県道56号府中・世羅・三和線のバイパスに削り取られ、どこが起点だったのか判然としなくなってしまった。起点だった場所で終点で接続する県道路線と接続することになったということは広島県道河佐停車場線の存在意義が消滅することであり、それ故1983年(昭和58年)9月26日広島県告示第950号によって廃止されたというわけである。こういう例は他に広島県道220号備後三川停車場線(1960~1999)でも見られるのだが、隣接する駅で同じような理由で駅前広場を起終点とする路線が廃止されるというのはちょっとないのではないのだろうか。と深津安那様のブログにありました。
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