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漁師町の天応駅です。天応駅といいながら、天応地区の南のはずれにある。中心部からこの駅に行こうと思うと、天応山を一つ越えなければならない。今では呉ポートピア駅ができたため、天応町の北寄りに住んでいる人は呉ポートピア駅を利用するようになりました。広島県呉市天応塩谷町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)呉線の駅である。
日本発のボールペン製造やカートリッジ式万年筆で有名なセーラー万年筆の発祥地も天応です。駅の周りの海と山に囲まれた狭い場所に、民家や商店が所狭しと建ち並んでいます。
駅は海側を走る国道には背を向ける形で駅舎が建てられています。島式ホーム1面2線を有する、列車の行違いが可能な地上駅。駅舎は線路東側にあり、駅舎からホームへは跨線橋で連絡している。自動改札機については、開閉式でない簡易式のタイプが設置されている。
呉駅が管理し、ジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅。一部の時間帯を除いてPOS端末による窓口発券を行うほか、近距離普通乗車券の自動券売機も設置。ICOCA利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
天応駅プラットホーム
ホーム路線方向行先
駅舎側■呉線上り呉・竹原方面
反対側■呉線下り海田市・広島方面
案内上ののりば番号は設定されていない。
1903年(明治36年)12月27日 - 官設鉄道の海田市駅 - 呉駅間開業時に設置。
1904年(明治37年)12月1日 - 山陽鉄道に貸渡。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化。再度官設鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。呉線の所属となる。
1963年(昭和38年)2月1日 - 貨物扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に移管。
2007年(平成19年)
6月30日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を設置。
9月1日 - ICOCA導入。
電報略号ノウ
駅構造地上駅
ホーム1面2線
乗車人員
-統計年度-880人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日1903年(明治36年)12月27日
備考業務委託駅
POS端末設置
非電化時代のトンネルが残っています。天応駅のすぐ北側にある駐車場、地の形や配置から見て,複線化用地です。
天応は,南を瀬戸内海に,残る3方を天狗城山を始めとする山々に囲まれた自然豊かな町です。
広島方面からみると,天応は呉市の「玄関口」となっています。
天狗城(てんぐんじょう)天応のシンボル的存在の山である。この天狗城だけほかの山と連ならず、一つだけそびえ立つ形で立っている。頂上付近にはむき出しの岩が顔を見せている。
地図上「天狗城山」と記述されているが、天応の人間はこの山を天狗城と呼び、天狗城山とは呼ばない。城という名前が付いていることからわかるように、戦国時代には野間氏の砦があった場所であった。
今では広島百山の一つに数えられ、呉広島道路(クレアライン)料金所横の登山口から登山好きの人たちが登っているという話である。1990年代、天応の町の中央に呉広島道路(クレアライン)が建設されるに当たり、天狗城の麓は切り崩された。工事中は天狗城の方から連日ダイナマイトの音が聞こえてきたものである。
なお、天狗城の登山道は大きな岩がむき出しになったコースで、歩いてあがるというよりよじ登るという表現がふさわしいところである。片道標準50分。健脚な人なら登り35分、下り25分ほど。
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