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大淀は、日本海軍の軽巡洋艦で大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦です。
艦の船体形状は平甲板型船体です。強く傾斜したクリッパー・バウから艦首甲板上に主砲の「三年式 15.5cm(60口径)砲」を三連砲塔に収めて背負い式に主砲塔計2基を配置していました。2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に司令塔を前方に組み込み、頂上部に測距儀を乗せた塔型艦橋が立つ。艦橋の後方にトラス構造の前部マストが立ち、船体中央部に集合煙路式の1本煙突が立ち、左右甲板上が艦載艇置き場となっていました。副武装の「九八年式 10cm(65口径)高角砲」は艦載艇置き場を前後に挟み込むかのように片舷2基ずつ計4基を配置。煙突の後方には大型の箱型格納庫が設けられ、上部にトラス構造の後部マストが立っていました。格納庫後部の右舷側に水上機を運用するためのクレーンが1基が配置されており、後部甲板上の中心部に位置するカタパルトがありました。
太平洋戦争開戦前、海軍の対米戦計画では潜水艦部隊による敵主力艦隊の漸減邀撃が予定されていました。だが、広大な太平洋上を潜水艦単独で敵艦隊と接触交戦するのは困難であった。そこで潜水艦部隊の旗艦として新型の高速水上偵察機を搭載し、これにより最前線で強行偵察を行うことを目的とした偵察巡洋艦の建造が計画されました。航空搭載能力が重視されたため、艦後部には主砲を装備せず、高速水上偵察機用の格納庫と大型の射出機を装備している(新造時)。計画では大淀、仁淀の二隻が建造される予定であったが対米英開戦のため仁淀は建造中止となりました。
1945年7月28日江田島湾内にて未明より連日にわたり米軍艦載機の波状攻撃を受け、遂に10発以上の直撃・至近弾を受け、沈没、270余名が散華されました。
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