越ヶ浜駅は、長門鉄道部が管理している無人駅であるが、乗車券は駅前の商店より購入できるため、簡易委託駅の扱いとなっています。
越ヶ浜という駅名は駅周辺一帯を指す地名であるが、越ヶ浜地区自体は駅から約1km程度北東側にあり、駅は後小畑(うしろおばた)地区にあります。
山口県萩市大字椿東(ちんとう)字長畠にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。階段を上りきったところの右側に駅名看板が掲げられている。ただ、国道に近い割りにはその存在がわかりづらく、小さなコンビニと駅前のトイレがとりあえずの目印です。
駅は長門市方面に向かって右側(海側)にホームが配置された、単式ホーム1面1線の高架駅。棒線構造のため、長門市方面行きと益田方面行きの双方が同一ホームを共用します。傾斜面上にホームがあるため、地上からは階段を上ってホームに入ります。この駅には駅舎は設けられていません。
越ヶ浜についてですが、萩市の東郊外に笠山という、日本海に小さく突き出た半島状の山がある。もとは火山だったといわれ、陸とつながる辺りに独特の地形が見られる。まず一つは風穴と呼ばれる溶岩の間から吹いてくる冷風で夏でも13度ほどしかないため天然のクーラーとして親しまれまた周囲には寒地性の植物まで自生するほど規模の大きいものである。また明神池は溶岩の隙間により外海と通じており、塩分の含まれる汽水の池で鯛やエイなど各種の魚類が生息している。一旦入り込むと再び海に戻ることは困難なのか餌付けされたようになっており、名物風景ともなっている。
笠山と本土とを結ぶ短い陸繋砂洲に家々が密集している。国道から明神池を結ぶ一本道以外は小路が主であり、また車の通れない路地も多く漁師町的な風景が展開している。一方で虫籠窓を纏う商家風の建物も少なからず目にする。屋根瓦は石見と共通の赤褐色のものが一般的であった。
江戸期には越ヶ浜浦と呼ばれ、当時より漁村集落として栄えていた。萩城下の港であった浜崎とのつながりが深く、漁獲は浜崎の魚問屋に委ねていたという。また問屋を営むものも多く、日本海航路を経て北国との交易を行う廻船を仲立として取引を行っていた。虫籠窓の町家が残る。
1960年(昭和35年)4月1日 - 国鉄山陰本線の長門大井駅 - 東萩駅間に新設開業。旅客営業のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
電報略号 コシ
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 19人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1960年(昭和35年)4月1日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)
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