東海旅客鉄道総合研修センターは東海旅客鉄道(JR東海)の研修機関です。指定動力車操縦者養成所に指定されており、新幹線・在来線乗務員の養成および新入社員研修や各種の集合研修などを実施しています。
かつて、同社の研修施設は社員研修センター(愛知県名古屋市千種区)および、三島社員研修センター(静岡県三島市)の2箇所が設置されていましたが、双方とも施設の老朽化が進んでいたことや耐震補強が必要だったことから両施設を統合した新たな施設が建設され、2011年(平成23年)9月30日に開所しました。
所在地 : 静岡県三島市文教町一丁目4番19号(旧 三島社員研修センター敷地内)
建物
敷地面積 : 約47,000㎡
延床面積 : 約45,000㎡
地上10階建て
建設費 : 175億円
講習課程
第一類新幹線電気車
第一類甲種電気車
三島社員研修センター
新幹線鉄道事業本部や関西支社に所属する新幹線乗務員の養成などに利用されていました。
国鉄時代は新幹線総局の研修機関であった。また、施設内には六郷川橋梁(東海道本線)の2代目トラス橋および大谷川橋梁(東武鬼怒川線)のトラス橋が保存。
所在地 : 静岡県三島市文教町一丁目4番19号
※所在地は、現 総合研修センターの北側にあたります。
講習課程
第一類新幹線電気車
「総合研修センター」の特徴(平成21年2月20日発表)
・在来線と新幹線の研修や新入社員研修を一箇所で行うことができ、統一的かつ効率的な研修が可能
・訓練装置の充実により、実践的で効果的な訓練が可能
<主な訓練設備>
-乗務員の養成や異常時対応能力の向上を目的とした、新幹線 N700 系車両、在来線 313 系車両の
実物大モデルを使用した訓練装置
-施設、電気系社員の知識・技能の向上を目的とした、本線と同等の設備を備えた訓練線
(新幹線、在来線各2本)
-駅営業社員の知識・技能の向上を目的とした、マルスや出改札機器などの営業訓練装置
・氷蓄熱式空調装置や断熱効果を高める屋上庭園など、省エネルギー化を図り環境負荷を低減
三島社員研修センター1945年(昭和20年) - 三島鉄道教習所として設立される。
社員研修センター(名古屋)三島社員研修センター1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、JR東海に承継される。
総合研修センター2011年(平成23年) - 社員研修センターおよび三島社員研修センターを統合し、総合研修センターとして設立される。
明治政府は明治2年(1869)日本で初めての鉄道建設を東京・横浜間で決定し、3年後の明治5年9月12日に新橋・横浜間で全線が開通した。多摩川を渡る初めての鉄道橋(六郷川橋梁)は、明治3年10月に着工し、明治4年7月に完成している。この橋は木製で、全長506m、流水部は115mの檜製のラチス形のトラス橋7連からなる。耐久性に劣る木製橋を用いたのは、鉄製橋の輸入に対する財政的、工期的な問題からといわれているが、5年後に架け替えられたことをから、それだけ国際的地位の確立を目指す明治政府は文明開化といわれた近代化を急いだのだろう。 当時の様子は、数多くの浮世絵に見ることができる。
複線化の計画に伴い木製から鉄橋への架け替えが進められ、明治10年(1877)に日本最初の複線用鉄橋として架け替えられることになる。この六郷川橋梁は全長約500mで、本橋と避溢橋からなり、本橋部に長さ約30mの錬鉄製トラス桁六連が使われていた。この橋梁の開通式には、時の工部卿伊藤博文も出席して、盛大に行われたと伝えられている。橋の設計は当時のお雇い外人、英人土木技師ボイルによるもので、明治8年(1875)英国リバプールのハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作され、輸入された。
東海道線の複々線化に伴い、明治45年にこの鉄橋は外され、その後単線用に改造され、大正4年、御殿場線の酒匂川に架けられ使用されました。そして昭和40年、酒匂川でもその役割を終え、一世紀近くに及び活躍した現役の座を退いた。現在の橋梁は、六郷の交通緩和を図るための鉄道高架に伴って架け替えられ、京浜東北線が昭和42年、東海道線が46年に竣工しています。三島社員研究センターに保存されている橋は昭和42年(1967)に鉄道記念物に指定されています。
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