ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

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【2017年夏ツーリング-後編-】

2017-09-27 | TOURING

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

2017年夏ツーリングの後編になります。
これからご紹介する内容は、
この夏のツーリング記を楽しんでお読み下さいとは
とても言い難いものであります。
しかし
これもヨッシーが2017年の夏に体験した
ツーリングの一部分であるのは事実でありますので、
宜しければお読み下さいm(_ _)m

「無くしてしまった物を取り戻したとしても、
この日に起こった出来事を
生涯忘れることはないのでしょう...。」

Day3
8月22日(火)am6:30-
(災害発生まで残り...12hours)
しとしとと雨の降るこの日。
本来の予定であれば、
一関より東北道を一気に北上し、
国道279号線==国道338号線を陸奥湾沿いに大間埼を目指し、
大間埼から国道279号線で尻屋崎を巡り南下、
六ヶ所村を経由し三沢から十和田へという予定でしたが...。
昨晩、
ツーリングマップと天気予報との睨めっこを繰り返し、
悩みに悩んで選択した(決めた)ルートは、
一関より国道343号線にでて陸前高田に入り
陸中海岸沿を釜石・宮古・久慈と抜け、
十和田入りするという行程。
WeatherNewsでは翌日の23日(水)からは
青森県(むつ地方)は晴れの予報でしたので、
翌日の下北半島(大間埼・尻屋埼)の晴れを楽しみにしながら
陸前高田へと走りだした。

ロングツーリングに雨は付きもの。
タイヤもMICHELIN-PILOTROAD3。
雨天走行であっても
安心してアクセルを開けていけると感じられる物なので、
快適に陸前高田に向かい走ることができました。
(注:タイヤ性能の感じ方は個人差があります)

『東日本大震災により
今も不便を余儀なくされている被災者の皆様、
震災によって心や身体に傷を負ったすべての皆様に
心よりお見舞い申し上げます。』

この地にやっとやっと戻ること...叶いました。
あの日あの時に訪れた場所とは
大きく変わってしまいましたが...。
震災より6年の時間(とき)が流れたいま、
私にできることはただ...
愛車のバイザーに
『頑張ろう!日本』ステッカーを貼り付けて
オートバイで旅をし、
現状をブログでお見せするのみ。
被災された方々に寄せる思いや考え方は人それぞれ。
『こころに秘めたる思い』は
この様な場所で語るものではありませんので、
私には私の出来うることだけ。
※ヨッシーの主宰するツーリング倶楽部
MOTO COMRADEでは震災復興復興支援として
『がんばろう!日本』という取組みをしています。
一人でも多くのライダーにご賛同していただければと願います。
(ブログ内カテゴリー/がんばろう!日本をご覧下さい)
MOTO COMRADE HP

am10:00-
奇跡の一本松駐車場(一本松茶屋)に到着。


『奇跡の一本松(奇跡の一本松保存プロジェクト)』
平成23年3月11日、
陸前高田市を地震と大津波が襲いました。
死者、行方不明者は2,000人近くにのぼり、
市街地や海沿いの集落は壊滅しました。
過去の度重なる津波から高田のまちを守ってきた、
約7万本と言われる高田松原もほとんどが流されてしまいましたが、
その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。
津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、
海水により深刻なダメージを受け、
平成24年5月に枯死が確認されました。
しかし震災直後から、
市民のみならず全世界の人々に
復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、
今後も後世に受け継いでいくために、
陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することといたしました。
それが「奇跡の一本松保存プロジェクト」です。
-陸前高田HPより-

一本松茶屋から
『奇跡の一本松』までの距離800m。
一歩...また一歩と歩を進めてゆくと
奇跡の一本松が少しずつ少しずつ大きくなってゆきます。



奇跡の一本松の後ろには
倒壊した『陸前高田ユースホステル』が今もその姿を残し、
津波の凄まじさを訪れる人々達に教えてくれています。

アンパンマンの生みの親である
故やなせたかし氏が
「奇跡の一本松」をモデルにして描いたイラストを基に製作された、
タイル画『ヒョロ松君』が展示してありました。
-2015年3月5日除幕-
障害者就労継続支援事業所あすなろホームの入所者らが携わり制作。

【やなせたかし氏からのメッセージ】
私はマスコミという激流渦巻く世界で
無我夢中で仕事をしてきましたが、
周りのみんなには何をやっても敵いませんでした。
それでも自分が選んだ道だから諦めずに仕事を続け、
ある日気がつけばいつの間にか仲間の姿が見えなくなり、
私は何とか生き残っていました。
だから陸前高田の一本松は、
まるで自分のような気がして運命共同体のように思っています。
松の木としてはけっして形のいい松とは言えません。
ヒョロヒョロと背が高く真っ直ぐに伸びた松に、
私は勝手に「ヒョロ松君」と名前を付け、
陸前高田の松の木という詩を作り、
踊りの振りを付け寄附しました。
だから松の木が枯れてしまった時には本当にガッカリしました。
でも、
松の木の命をつなぐ接ぎ木をした子どもたちも育っていますし、
松ボックリからも新しい命が生まれて無事に育っています。
そして復元された「ヒョロ松君」は昔の姿のまま、
私たちに生きる希望と勇気を与えています。
これから先も苦難の道は果てしなく続くと思いますが、
なるべく明るく楽しく希望を捨てずに頑張っていきたいものです。
-2013年7月3日/「奇跡の一本松」保存事業完成式-

塩害により枯死した「一本松」を
保存(モニュメント化)することには、
きっと賛否両論あったことでしょう。
私はその行為を良いの悪いのと
論ずるだけの人としての器量は持ち合わせていません。
何を思い、何を抱きしめながら生きゆくのか...
その答えは人それぞれなのでしょうから。
ただ私はあの日に感じた気持ちを
これからも決して忘れることはないでしょう。
だってね、
仰ぎ見れば、
温かく力強い夏の陽射し(太陽光)に抱かれた一本松が、
青空をバックに虹色の微笑みをたたえながら
まるで今もそこで生きているかの様に
こちらを見下ろしていたのですから...。

『がんばろう!東北』

陸前高田市
がんばろう!東北(東日本大震災 復興支援サイト)

pm12:00-
(災害発生まで残り...6hours-and-30minutes)
一本松茶屋でお土産を大量購入し、
国道45号線を北上します。


震災の爪痕を随所に感じながら、
大船渡・釜石・宮古と走り
pm2:30-
(災害発生まで残り...4hours)
土砂降りの雨の中を激走し、
『浄土ヶ浜』に到着。


浄土ヶ浜ビジターセンターより
『浄土ヶ浜』までは徒歩で約15分ほど。
雨の中を徒歩で...とも思いましたが、
ビジターセンターの壁に貼られた
JR東日本『大人の休日倶楽部』の
吉永小百合さんのポスターに元気付けられ(笑)
歩くことにしました♪
-旅することが誰かの力になる
言葉にするだけでは、わからないことがありました-
※ポスターに綴られた小百合さんの言葉


JR東日本 大人の休日倶楽部 「岩手県宮古」
この日の浄土ヶ浜は生憎の天候...。
しかし、
この天候だからこそ見える風景もありました♪
『透き通った美しい海の水』

『靄(もや)に霞む浄土ヶ浜の風景』


歩くこと約10分と少し...。
パンフレットに記載されていた時間より少しダケ早く、
多くの海鳥達が羽を休める『浄土ヶ浜』に到着♪

【浄土ヶ浜】
-さながら極楽浄土のごとし-
三陸復興国立公園・三陸ジオパークの中心に位置する浄土ヶ浜は、
宮古の代表的な景勝地。
鋭くとがった白い流紋岩が林立し、
一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。
松の緑と岩肌の白、
海の群青とのコントラストはまさに一見の価値あり。
浄土ヶ浜の地名は、
天和年間(1681〜1684)に
宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、
「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから
名付けられたと言われています。
浄土ヶ浜の岩肌は、
5200万年前にマグマの働きによりできた
『流紋岩(りゅうもんがん)』という火山岩で、
二酸化ケイ素を多く含むため白い色をしていると考えられています。
また、
マグマが流れた模様「流理構造(りゅうりこうぞう)」や
マグマが急に冷やされたときにできた
板状の割れ目「節理(せつり)」を観察することができます。
『浄土ヶ浜の風景』



白い岩肌と折り重なる奇岩群を
美しい砂浜が弓なりに成り引き立てている姿に
自然の偉大さを知る。
潮騒を聴きながらこの場所に立つと、
日頃のストレスなど小さく感じられ
心の中が浄化されてゆく様に感じました。
いつか晴天の浄土ヶ浜も旅したいものです♪
浄土ヶ浜ビジターセンター

pm3:30-
(災害発生まで残り...2hours and 30minutes)
国道45号線は震災復興事業のダンプカーの隊列が続き、
剰え(あまつさえ)の悪天候も相まって
思う様にペースが上げられず
大幅に時間がロストしてゆく...。
八戸から国道454号線==十和田湖のルートを早々に諦め、
八戸自動車道==東北自動車道を経由して、
国道103号線より十和田湖を目指すことに...。
これが後に大惨事の引き金となるとは
この時点では想像も付きませんでした...。

2017年8月22日(火)pm6:00-の出来事。
(災害発生まで残り...0hours and 30minutes)
東北自動車道を降り国道103号線を十和田へと向かう。
視界を遮る程の土砂降り...そして落雷。
路面に落ちた雨粒が川の様になって流れる。
十和田湖畔まで残り12.1km...。
国道103号線と国道104号線の分岐で
消防団の方に
少し前に発荷峠付近で土砂崩れが発生した為、
国道103号線は通行止めと聞かされる。
国道103号線を戻り
支線である県道2号線(樹海ライン)ルートは生きてるの?
と尋ねると、樹海ラインも通行止めにするとのこと。
仕方が無いので十和田泊は諦めて、
分岐にあるGS跡地で雨を凌ぎルートを再構築...。
国道103号線を戻るのも危険と判断し、
国道104号線で八戸に抜けることを選択し、
国道104号線を200mほど走ったpm6:30-
(災害発生まで残り...0hours and 0minutes)
この夏のツーリングは突然に終わりを告げた。

<後に電源を入れた際に表示されたナビルート画面/十和田湖まで残り12.1km>

<当時発表された災害情報>
『状況説明』
国道104号線を約200m走ったところで、
愛車KawasakiZRX1100のライトは
前方に軽い右カーブを映し出していた。
暗くなった際の雨天走行...
いつも以上に気を付けなければと思った矢先。
森林であったはずの左手にある木々の間が突然開き、
ドバッ!っとグレーのものが
左上方から私と愛車に向かって大量に降り掛ってきた。
『あっ!』とだけ思う一瞬だけの余地を残し転倒した。
転がった愛車の上を次々と土砂が越えてくる。
路面に投げ出された私のヘルメットの中にも
容赦なく土砂が流れ込む。
(現実には土砂の上に投げ出されたのだが...)
身体はゆっくりとではあるが確実に流されている。
『助けて、助けて...』と叫んだ。
ベルト固定していたはずのタンクバックの
ベルトが衝撃で切れたのか流されてゆく...。
次々と押し寄せる土砂が
ガソリンタンクとエンジンヘッド(ヘッドカバー)の間や
キャブレターの間から流れ出るのが見える...。
ZRXのビキニカウルの中を土砂が埋め尽くしたところで
電源が落ち前照灯がスウッと消えた。
幸運なことにこの直後に土砂の流出は止まり、
身体の自由が利く状態になったところで立ち上がる...。
私が土砂崩れに巻き込まれたのを見た人が
助けに入って来てくれた。
今思うと何やってんだろうと思うのだが
『バイク...バイクだけは』と必死に訴える、
ZRXを泥の海から引き起こそうと藻掻く。
何度も何度も引き起こしに失敗。
滑るんだ...。
ホイールが1/3以上埋まっていたらば
無理であったのだろうと思うが、
土砂(泥)に埋まっていない側の
ハンドル先端を思いっ切り蹴り上げ、
左に切れていたハンドルを右側にロックし、
左右のハンドルバーに連結していた
ハンドルブレースを力一杯握り
「火事場のクソ力」で無理矢理に
Machineを土砂(泥)の中から引っこ抜いた。
ヘルメットの中は
『ハァ、ハァ』と荒い息遣いが谺(こだま)し、
『生きなきゃ、生きて戻るんだ』と何度も呟いた。
土砂の中から這い出たところで安堵とはいかず、
「二次災害」に見舞われる恐怖が頭の中を駆け巡る...。
『この場から逃げなきゃ』と後先考えずに
メインキーを捻りセルを回すも...エンジンは掛からない。
ここまでくると、
最悪の状態の中であっても不思議に冷静で、
エンジンスタートの手順に不備がないかを確認。
するとキルスイッチに土砂が噛み込んでいるのが分かり、
何度もスイッチのON・OFFを繰り返し、
数回スタートボタンを押すと...
ボンッ!とエンジンに火が入った...真に奇跡。
後は無我夢中でその場から離れた。
後から思うにあのMachineでよく走る気になったものだ。
ブレーキ関係にダメージがあったならばと考えると...。
当時、現場の界隈(地区)では土砂崩れが群発していたらしい。
真に地獄絵図の様相を呈していたのである。
『被災車輌/KawasakiZRX1100-C2改』
あまりに刺激が強いので白黒画像でご紹介します。


『御礼申し上げます』
あの時、
助けていただきました多くの皆さん。
人の温かさに心が震えました。
どれだけの感謝をしても足りるものではありません。
特にお宿の皆さん、
大切なお宿の顔(エントランス)や
お部屋を泥だらけにしても、
嫌な顔ひとつせずに『大丈夫?帰れますか?』と
心配して下さりありがとうございました。
いつかまた来訪することでこのご恩は
お返ししたいと思います。
ありがとうございました。

8月24日(木)pm4:00-
2日間逗留したお宿の皆さんに御礼をして、
フェリーで愛車を運ぶために仙台に移動。
(フェリーは事前予約をしていました)
この日の仙台は青空が広がっていました♪

この時点で、
Machineが大破したことを悲観して
落ち込んでいても仕方ありませんので、
東北ツーリング最後の晩餐は
豪勢に仙台名物『牛タン』を食べにお出掛け♪

仙台には数多くの牛タン専門店がありますが、
ここ『牛タン焼専門店 司』さんは
ヨッシーお勧めのお店です♪
『The PREMIUM MALT'S&焼きたて熟成牛タン』
肉厚の熟成牛タンを肴に
冷えたビール...堪りません♪

『熟成牛タン1.5人前定食』
良質の肉の味と厚切り牛タンの食感が
画像ダケでも伝わってきますよね(笑)
山葵をチョイとのせて
熟成牛タンを口の中に入れることを想像してみて下さい...。
堪らないでしょ♪

『こがし麦めし』
宮城県産のひとめぼれ(環境保全米)
全国米の食味ランキング特A評価地域の
契約農家から厳選されたお米と、
栃木県足利市産二条大麦100%の香ばしく
もちもちとした食感が味わえます。
『テールスープ』
やわらかくなるまで五時間以上煮込み、
一番ダシのみを使い塩味でコクをだしています。

焼牛タンだけでは...ねぇ♪
司さんには
他店には無い豊富な牛タンを使ったメニューがあります♪
『スモーク牛タン』

『牛タンフランク(もち・チーズ入り)』

久し振りに仙台の牛タンを
心ゆくまで堪能しました。
-牛タン焼専門店 司のおやじがつぶやいた-
『俺は口コミしか信じられん...と。
常に満席になる理由ここにあり』

『一品入魂』
社長自ら浜で牛タンを焼く姿のポスターが
誇らしげにお店に貼られていました♪

※牛タン焼専門店 司

8月25日(金)AM11:00-
太平洋フェリー仙台港乗り場。
「いしかり」がヨッシーと大破した愛車を
寝ている間に名古屋まで運んでくれる安心感。
カーフェリー有り難し♪

船室に荷物を放り込み甲板(デッキ)に出てみると...
心地良い風が頬を撫でたのと同時に、
青空が目に飛込んできました。
しばらくボォーッと景色を眺めていると、
出港準備をはじめたのか
『いしかり』のエンジン音が大きくなり
煙突からは黒煙があがるのが見えた。

pm12:50-
太平洋フェリー『いしかり』は
定刻通り名古屋へ向け出港。
出航を知らせる汽笛が二度三度と青空に響く。
ゆっくり...ゆっくりと
『いしかり』は仙台港を離岸してゆく。
ヨッシーの思いをあの場所に置き去りにして...。

2017年の
夏のツーリングは苦い思い出となりました。
しかし、
ヨッシーの旅はここで終わったわけではありません。
宿泊したお宿に貼られていた秋田県の観光PRポスター。
『行け、行け、アキタ。』





いつの日にか、
必ず愛車とともにこの地に戻ってくるぜ!

Perfume/Dream Fighter

最高を求めて 終わりない旅をするのは
きっと 僕らが 生きている証拠だから
oh!YEH! 現実に打ちのめされ 倒れそうになっても
きっと 前を見て歩くDream Fighter

新年会の際に倶楽部の仲間にもらった
『相田みつを』さんの作品集(カレンダー)の
8月に書かれていた言葉♪

※相田みつを美術館:http://www.mitsuo.co.jp/museum/index.html

なるほど...。

--- あとがき ---
愛車KawasakiZRX1100-C2改はいま、
修復される時をショップで待っている。
多くの友人から
もうZRXはいいのじゃないか?と言われる。
正直なところ自分もそう思う事もアル。
今の最新鋭機の性能は魅力的だから...(笑)
ただそれも
一定の使用下に置いて
ZRXを遙かに凌ぐ高性能なだけであり、
ヨッシーの求める『ソレ』とは違う断片的なもの。
ZRXを購入した時に感じた、
「チョット足りないケレド...チョウド良いんだよなぁ」
ZRXに乗れば
間違いなく誰もが手軽に感じることのできるBigバイクの世界♪
強烈な加速やトルクに振り回されることなく、
操る(ライディングする)ことの楽しさや
Machineとの一体感を感じながら走ることのできる
絶対的な安心感ってものをコイツは持ってんだよなぁ。
ショップの判定では、
幸いのことにエンジン内部は無事とのことなので、
側(がわ)は酷く傷んでしまったが
復活を目指し動き出そうと思う。
時間(とき)と予算は途方も無く掛かるのだろうけれど...。
ここまで拘りマクって造り上げてきたMachineだから、
復活した姿だって拘りを捨てる訳にもいかないでしょうしね(笑)

<ショップまで愛車を配送中>

『このままでいれたら って思う瞬間まで
遠い 遠い 遙か この先まで
前を見て歩くDream Fighter』

2017年夏ツーリング....おしまい。

ps.今回で一区切りとなる『ZRX 我路』の
ミーティングにZRXで参加できぬこと残念でなりません。
ZRXで行きたかったナ...。

--- 加筆(2017年10月2日) ---
2011年(平成23年)3月11日に発生した
東日本大震災より6年の時が経過したこの夏...。
私は被災地を訪れることができました。
震災の生々しい記憶というものは時間(とき)が経過(たつ)につれ
薄れゆくものなのかもしれません...。
しかし、
震災により『深く心傷ついた人達』が居るのだという事実(こと)は、
どれだけの時間(とき)が流れようとも
決して『忘れてはならない(風化させては成らぬ)』のだと
震災の傷跡を垣間見ることで強く感じました。
薄れてしまった記憶の分だけ...
前へ進んだ分だけ...
涙を力に変えて
歩んできた道のりを振り返って欲しいと願う。
人の心を置き去りにせぬ為にも...。

ご紹介するのは
天月-あまつき-さんの『ツナゲル』という曲です。
この曲はNTT DoCoMo、
docomo東北震災・新支援
『笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト』の
テーマソングとなります。

天月-あまつき-/ツナゲル

このブログは
私ごとの記事が主体となりますので、
その読者の大部分は私の友人・知人となります。
この記事が読まれる際には...
私が見舞われた土砂災害の事が
どうしても注目されてしまうことでしょう。
しかしそれは
私の本意ではありませんので、
多くの人達が
このブログ記事を読み終えたであろうタイミングで
敢て加筆させていただきました。
どうぞこの記事を
読み返し又は新規でお読みになり、
この加筆に気付いた皆さんは、
東日本大震災のことを今一度考えてみて下さい。
震災の記憶を『風化』させない為にも...。
宜しくお願い致します。

ヨッシー
----------------

では
Thanks for coming!
Web yoshy'sGarageはライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪



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