Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。
バッテリー交換をするため、
仲間の"Kawasaki/ZRX1200DAEG"が
ヨッシーズガレージに入庫♬
初期充電をすませておいた
"GS YUASA/YTZ12ーBS"
に取替えル♬
※充電済みバッテリーであっても、
初期充電はおこなう方が良いだろう。
旧バッテリーでも、
現時点では
エンジン始動に支障はないのだが...。
エンジン始動に
若干の"モタツキ"を感じるケースが増えたので
交換することとシタ。
前回は"2020年1月12日"交換なので、
4年働いたので上出来だろう♬
※交換部品の記録をとることは大切ダ。
アタリマエのことであるが、
バッテリー(蓄電池)は、
充分な能力が発揮できるだけの
蓄電ができている内に交換するのが鉄則ダ。
セルを回してもエンジン始動に手間取ることを
知りながらも放置した挙げ句、
ツーリングに出掛けたさきで
"バッテリーあがり"に悩まされるなど
愚の骨頂である。
Kawasaki/ZRX1200DAEGの
バッテリー交換手順等々は、
SNS(YouTube動画など)で
親切丁寧に説明されているので
其方をご覧下さい<(_ _)>
...バッテリーにアクセスするまでに
ヒューズボックス等々の小物を数点
取り外す必要があるので面倒だが、
手慣れれば、
作業時間は30分もあれば終了ダ。
※不安な方は迷わずショップさんで
取替えてもらうことをお勧めする。
新品バッテリーに交換を終えたら
"充電確認"をおこなう為に
プチツーリングに出掛けてみた♬
向かったさきは、
名古屋市守山区の"とある場所"ダ♬
【名古屋市守山区とは】
名古屋市守山区は、
名古屋市の東北部に位置し、
南に矢田川、北に庄内川が流れ、
区の東北端の東谷山(標高198.3メートル)から
西南に向かって丘陵地帯が広がり、
豊かな水と緑のあふれる
自然に恵まれ起伏にとんだ地域である。
守山区は昭和38年2月15日に
旧守山市と名古屋市が合併し、
第13番目の区として誕生した。
その守山区にあるのが...
【しだみ古墳群】
名古屋市守山区志段味(しだみ)という
限られたエリアに、
古墳時代を通して古墳がつくられ続け、
名古屋市全体の約1/3にあたる
66基が確認されている。
そのうちの7基は
"志段味古墳群"として
国の史跡に指定されている。
...古墳群を散策するまえに
2019年にOpenした
"しだみ古墳群ミュージアム(SHIDAMU)"
にて"志段味古墳群"について学習スル。
【SHIDAMU(しだみゅー)】
"SHIDAMU"は、
しだみ古墳群の出土品、
古墳時代のものづくりがわかる展示や、
古墳時代を体感できる体験活動を通して、
古代を身近に感じられるミュージアム。
【SHIDAMU Data】
〇開館時間
9:00~17:00(展示室への最終入場16:30)
〇休館日
月曜日(祝日の場合翌平日)12月29日~1月3日
※駐車場・野外トイレは月曜日も使用可
〇入場料
無料(展示室のみ有料200円)
駐車場無料(但し、特定イベント時300円)
【SHIDAMU展示室】
館内ロビー(吹き抜け部)には、
絵本作家"いわいとしお"さんが描き下ろした
"SHIDAMU大壁画"が描かれている♬
展示室には
"志段味古墳群"から出土した
貴重な埴輪(はにわ)等々も
展示されている♬
騎乗する
"志段味大塚古墳"の王の模型。
『ヤマト王権との深い結びつく(西暦400年頃)』
四世紀~四世紀中期頃
庄内川沿いの人々を束ねた王が、
尾張で初めて前方後円墳である
"白鳥(しらとり)塚古墳をつくる。
この時期の古墳には、
大和(ヤマト)の古墳づくりの文化が
色濃くみられる。
志段味に古墳をきずいた王と
ヤマト王権が深く結びついていたことがわかる。
王は古墳をとおして、
ヤマト王権との同盟関係をみせつけていた。
※大和(ヤマト):現在の奈良県にあたる地域。
この地の古墳づくりには、
ヤマト王権より
技師等々が派遣されていたとされる。
庄内川沿いの人々を束ねた王は、
ヤマト王権から同型の墳墓(ふんぼ)である
前方後円墳をこの地に建造する
許しを得て権威の象徴としたとみられる。
※墳墓
死体や遺骨・遺品などを埋めて供養する所。
"SIHDAMU"は、
復元された展示物に
"触れられる"品点数が多いことが
実に素晴らしい♬
その後...
五世紀中期ごろから六世紀初頭に、
"帆立貝式古墳"が数多くつくられる。
『ヤマト王権のために力をつくした
帆立貝式古墳の王』
この時期の王たちは、
五つの帆立貝式古墳をきずく。
前方部の短い帆立貝式古墳は、
前方後円墳より格下の形。
それにも関わらず、
志段味大塚古墳では
最新の武器・甲(よろい)・馬具が、
西大久手古墳からは
近畿地方でうまれた新しい埴輪や
巫女形埴輪がみつかっている。
そのことから、
帆立貝式古墳の王たちは
ヤマト王権に仕え、
力をつくしていたとされる。
この様な関係性が、
古墳に納められた品物や埴輪に
特徴的に現れてる。
※帆立貝式古墳は、
庄内川流域の有力勢力を率いた
首長の墓と考えられている。
『尾張の埴輪づくり』
尾張の埴輪づくりを学習できる♬
展示室で
"志段味古墳群"について学んだあとは...
ミュージアム2階と
古墳群とをつなぐ橋を渡り、
実際にフィールド(古墳エリア)にでて、
古墳群を巡ることができるノダ♪
"志段味古墳群"の地形模型を見てみると...。
庄内川流域に
古墳が密集していることがよく分かる♬
【西大久手古墳】
西大久手古墳は5世紀中頃
(古墳時代後半)に築かれた、
志段味古墳群の中で最初の
"帆立貝式古墳"。
東日本で最も古い
"巫女形埴輪"や"馬形埴輪"が
出土している。
【大久手3号墳】
大久手3号墳は
"志段味古墳群"の中で確認されている
唯一の"方墳"。
一辺約14mの墳丘(ふんきゅう)の周りには
溝がめぐっている。
出土した須恵器(すえき)から、
5世紀後半(古墳時代中期後半)に
築かれたと推定される。
葺石や埴輪はみつかっていない。
墳丘の大部分は削れていたが、
発掘調査の成果などを基に
墳丘が復元されている。
※須恵器(すえき)
仏様に供える清らかな水を入れるための容器。
驚くことに
"大久手3号墳"に
登ることができるノダ♬
子供達が、
普通に登り降りして遊んでいるのが
素晴らしい♬
大久手3号墳頂上♬
この古墳群には、
"のぞき箱シリーズ"という
のぞき箱が設置されているノダ♬
その1「東谷山(とくごくさん)」
をのぞいてみると...。
尾張で最初につくられた
大型前方後円墳である
"白鳥塚古墳(東谷山方面)"へと
人々が向かう姿が描かれていた♬
"のぞき箱シリーズ"
その2「勝手塚古墳」
【大久手4号墳】
盛り土の大部分は
江戸時代以降に積まれたものであることが
発掘調査によって分かった。
盛り土からは古墳時代の
須恵器や埴輪も出土している。
古墳または江戸時代の塚の
可能性が考えられている。
【東大久手古墳】
5世紀末(古墳時代中期末)に築かれた
帆立貝式古墳。
現在では墳丘が大きく削り取られているが、
つくられた当時は後円部が2段に
築かれていたと推定される。
この古墳の平らな部分には、
埴輪が隙間なく並べられ、
南側のくびれ部付近では
須恵器を用いた祭祀(さいし)が
執り行われていたと考えられる。
(現在は立入り禁止区域)
"のぞき箱シリーズ"
その3「東大久手古墳」
【大久手5号墳】
5世紀末(古墳時代中期末)に築かれた
帆立貝式古墳。
墳丘は後円部2段、前方部1段で、
長さ約38mと推定される。
墳丘の斜面には葺石が積まれ、
平らな部分には埴輪が間隔をあけながら
並べられていた。
墳丘がよく残っていた北側の一部を
修復し整備されている。
"のぞき箱シリーズ"
その4「大久手5号墳」
【大塚3号墳】
古墳がつくられた当時は、
現在より一回り大きい直径19mの円墳で、
墳丘の周囲には溝がめぐっていた。
葺石や埴輪はみつからず、
造られた時期ははっきりしていない。
"のぞき箱シリーズ"
その5「志段味大塚古墳」
東谷山(とうごくさん)の麓に
人々が集い"志段味大塚古墳"を
建造している姿が描かれる。
【東谷山(とうごくさん)】
名古屋市最高峰の東谷山(標高198.3m)。
山の上や麓に"志段味古墳群"が造られ、
その後、
山上の古墳に"尾張戸神社"が建てられ
人々信仰を集めた。
"志段味大塚古墳"の向こうに
東谷山を望む風景♬
【史跡 志段味大塚古墳】
5世紀末(古墳時代中期末)に築かれた
帆立貝式古墳。
造られた当時の姿に復元整備される。
北西側のくびれ部に造り出しがあり、
周りを壕がめぐる。
墳丘の斜面には石を貼付け葺石としている。
墳丘には埴輪が並べられ、
造り出しには
"鶏形埴輪""水鳥形埴輪""須恵器"
"土製品"が置かれていた。
この古墳の被葬者は流域の有力勢力の首長で、
埋葬施設に納められた優れた副葬品から
ヤマト王権と深い関係にあったと考えられる。
"志段味大塚古墳"に登ってみた♬
墳頂(ふんちょう)から周囲を見渡せば...
この古墳群が住宅地の中に
あることが良く分かる。
窓を開け放つと
"帆立貝式古墳"のみえる風景というのも
実に面白い♬
【志段味大塚古墳の埋葬施設】
後円部の墳頂には、
古墳の主軸(前方部が向く方向)に
平行して二つの埋葬施設がある。
ともに、
上から穴を掘り、
穴の底に木棺を据え、
中に遺骸を納めた。
中央やや北寄りにある
"第2埋葬施設"の木棺は、
径1mを超す
巨大な針葉樹の丸太を縦に割り、
中を刳(く)り抜いた割竹形木棺であった。
木棺があった位置の上部に、
復元品が展示されている。
最後は...
少し離れた場所にある
"史跡 白鳥塚古墳"へ向かう♬
【白鳥塚(しらとりづか)古墳】
白鳥塚古墳は、
4世紀前半(古墳時代前期半ば)に
築かれた愛知県で最も古い"前方後円墳"。
墳丘の長さは約115mで、
県内で3番目の大きさとなる。
古墳の周りには濠(ほり)がめぐり、
後円部北側には渡土手(陸橋)が設けられる。
埴輪がみつかっていないことから、
この地域に
埴輪を並べる文化が伝わる以前に
造られた古墳であると考えられる。
渡土手があることや、
墳丘が白色の石(石英)で
飾られていることなど、
白鳥塚古墳と奈良県の大型前方後円墳には
共通点が認められることから、
白鳥塚古墳の被葬者はヤマト王権と
強い結びつきがあった人物と推定される。
白鳥塚古墳は、
"志段味古墳群"の中で最初に造られた
"はじまりの古墳"で、
およそ1700年たっても、
古墳の形が良く残っているノダ♬ルン
まずは階段を上がり、
前方後円墳の"後円部"に登る♬
後円部墳頂に到達♬
中央部になにやら
白く光る部分がある...。
【白鳥塚古墳の埋葬施設】
昭和の初めに後円部墳頂中央部の
発掘がおこなわれたが、
埋葬施設や副葬品は見つからなかった。
平成18(2006)年に実施された
物理探査(レーダー探査・電気探査)では、
南北方向に主軸をもつ二つの埋葬施設が
東西に並んで存在する可能性が
指摘されている。
尚、後円部墳頂の平坦面には
石英の小礫が敷き詰められていたと
考えられている。
そうこの白く光っていたものは、
"石英"であったのだ♬
※石英(せきえい)
"独: Quarz、英: quartz、
クォーツ、クオーツ"は、
二酸化ケイ素 (SiO2) が
結晶してできた鉱物。
六角柱状のきれいな
自形結晶をなすことが多い。
後円部墳頂より頭上を見やれば...
1700年の時を超えて
"ヒサカキ""ソヨゴ""サカキ"等々の
樹木が生い茂る♬
真に王墓に相応しき風景となりて
現代にその姿を残す。
後円部を降り
前方部へと向かう♪
【白鳥塚古墳の渡土手】
後円部の西側には"渡土手"と呼ばれる
土手状の高まりがある。
幅は約9mで、
斜面には葺石が積まれていた。
古墳の外から墳丘へ渡るための
通路(陸橋)であったと考えられる。
【白鳥塚古墳の葺石(ふきいし)】
白鳥塚古墳の墳丘の斜面には、
人の頭くらいの大きさの丸い石(円礫)や
角張った石(角礫)が葺石として積まれ、
その上に
白色の石(石英)が散りばめられていた。
陽の光が射し込むと、
石英で飾られた古墳は"白く輝いて"
見えたであろうと想像される。
※葺石
古墳の墳丘の表面に敷きつめた石をいう。
表飾のためと封土の流失を
防ぐためのものといわれる。
墳丘全面というよりは,
斜面の部分などに施されていることが多い。
墳丘の斜面に近付いてみると...
円礫・角礫の隙間に
光る石英がみてとれる。
...実に美しい♬
墳丘の斜面全体が石英で飾られ
真っ白に輝く古墳の出現(建造)は、
強烈なインパクト(衝撃・強い印象)と
王の揺るぎない権力の象徴として
人々の目に映ったであろうと想像スル。
最後に
"のぞき箱シリーズ"
その6「白鳥塚古墳」
その1からその6までに登場しする白鳥は、
斜面の葺石に大量の"石英"で白く輝く様に飾られた
"白鳥塚古墳"を意味することは分かったのだが、
帰宅後に少し調べてみると、
この地には
白鳥の伝説が残されていた...。
【白鳥塚古墳とヤマトタケルをめぐる伝説】
ヤマトタケルが伊吹山の賊を征伐に行く途中、
伊吹山麓でヘビに足をかまれた。
傷口がたいへん痛く、川で足を洗っていたところ、
一羽の白鳥が現れた。
ヤマトタケルは白鳥に尾張まで連れて行ってくれと頼んだ。
ヤマトタケルをのせた白鳥は、
尾張の東谷山の麓に着いたところで死んでしまった。
ヤマトタケルはその場所に白鳥を葬ったが、
その墓が白鳥塚と言い伝えられている。
『東春日井郡誌より』
どうです...
古墳に興味湧きましたか?
考古学というと敬遠されるかもしれませんが、
"名古屋(愛知県)にも素晴らしい古墳があるのです"
是非、機会があれば
"志段味古墳群"に訪れてみて下さい♬
"観て""触って"楽しむ体験型考古学が
この場所にはあります。
古墳群の中で子供達が
"サッカー"や"野球"などをして遊ぶ
古墳群なんて魅力的でしょ(笑)
そうそう...
古墳といえば
"前方後円墳"が頭に浮かびますが、
「どちらが前でとちらが後ろなの」
という疑問を感じませんか?
その様な疑問を感じた方に、
下記に解説を載せている記事の
リンクを貼っておきましたので
お読み下さい♬
ご紹介した以外にも
志段味古墳群には、
まだまだ魅力的な古墳が
数多く点在しているので、
また機会があれば
私も訪れたいと思うノダ♬ルン
さぁ、
"走る"ことが
楽しみになってキタゾ♬
【関係資料】
【「前方後円墳」はなぜ「前円後方墳」ではないのか】ーヤフーニュース
では
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