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管理人のヨッシーです。
少し遅い夏期休暇を取得できたので、
コロナ禍で延期していた
"南東北ツーリング"に出掛けることにした♬
※岩手県の一部(陸前高田市)を含む。
令和6(2024)年1月1日に発生した
"能登半島地震"。
そして、
科学的に近い将来に発生が予測され、
私の住む地域もその範囲に含まれる
"南海トラフ地震"などの
大きな自然災害にどの様に向き合うかを
見つめ直す(防災意識向上)ことと、
この旅が被災された方々への
何かしらの"支援"になればという思いで
愛車のエンジンに火を入れた...。
後編ーその2
"東日本大震災・原子力災害伝承館"より
国道6号線を南下し、
大熊町を抜け
富岡町方面へと移動すると...
(福島第一原子力発電所方面)
徐々に国道6号線から枝道(脇道)への
流出に制限がもうけられてくる。
町外の第三者による無断での立ち入りや
危険個所への立ち入りを防止するため、
バリケードや通行止めの表示を
設定している箇所も多く、
帰宅困難区域に指定されているため
道路脇には"住宅や商業施設"が
ひっそりと佇む姿が痛々しい。
国道にはデジタル表示板にて
現在の"放射線量"が所々で表示され、
福島第一原子力発電所近くの
放射線量は、"1.296μS/h”であった。
原子力発電所から約4Km離れた場所では、
"0.2μS/h"であるので、
時間あたりの単位が
"μS/h(マイクロシーベルト)"あるにせよ
他の地域より6.5倍の値であるのは
間違いのない事実である。
※1年間に受ける日本人の
平均被ばく線量は"5.98mS/h"であり、
そのうちの"2.1mS/h"が
自然放射線からの被ばくであると
推定されている。(消費者庁調べ)
因みに放射線量の単位は、
mSv(ミリシーベルト)は、
Sv(シーベルト)の1/1000。
μSv(マイクロシーベルト)は、
Sv(シーベルト)の1/1,000,000
となる。
※画像は伝承館の展示
ー とみおかアーカイブミュージアム ー
(富岡町文化交流センター)
富岡町を中心に歴史と、
この地域で生じた自然災害、
原発災害の"特徴"を展示する施設。
映画"Fukushima50"と
(2020年3月6日公開)"
"夜の森桜並木"をモチーフとした
黒板アート。
(会津学鳳高美術部 作)
富岡町の歴史や自然なども
紹介されていて、
震災以前は"豊かで風光明媚"な
土地であったことがよく分かる展示だ。
その生活が...
あの震災と
福島第一原子力発電所の
事故にて一変してしまう。
ー 津波に流されたパトカー
避難誘導中に津波にさらわれた
双葉警察署のパトカー。
※2名は残念ながら殉職された。
ー 災害対策本部の部分再現
時間(とき)を刻むのを止めた
針の位置がそれぞれ違う時計たち。
詳しく"その意味"を知りたい方は
ミュージアム(富岡町)まで
足を運ぶのがよいであろう。
ー 針を止めた時計たち
町は、震災や原発災害により針をとめた
たくさんの時計を保全してきた。
それには特別な意味がある。
時計の保全までには、
最短でも震災後3年9ヶ月の期間を
要しています。
震災後すぐの復旧復興の着手すら
妨げられたためで、
これも
原子力災害に特有のこと。
「保全までに要した時間の長さ」
という情報また、
"震災遺構"だと言える。
同じ時計でも、
それぞれが持つ被害の情報は異なる。
ー説明より
ー 折り鶴
「復興支援をお約束します」
富岡町へ向け全国各地から支援が届いた。
ー 震災遺産という考え
地域資料の保全に加え、
複合災害の実態を語る資料の保全も
急務の課題であった。
地震や津波の痕跡を示す"瓦礫(ガレキ)"、
被害による何らかの影響で止まった時計、
1万6000の運命を変える決断がなされた
災害対策本部の"空間"、
避難経験など人びとの記憶、
災害によって変った風景、
復旧復興系の事業で変化する景観ー。
モノの保全と様々な情報の記録は
「歴文PT」にとっての大きなミッションであった。
震災遺産保全を主導したのは、
福島県立博物館の学芸員を中心に
起ち上がった
"ふくしま震災遺産保全プロジェクト"
実行委員会(ふく震)
"震災遺構"という言葉は、
建物などの構造物しか
対象にならないことから、
ふく震のメンバーは
"震災遺産"と"震災遺構"を使い分けながら
保全事業を展開した。
当館では、
ふく震で使われてきた"震災遺産"という
言葉を独自に定義し直し、
継承しています。
(詳しい解説は常設展示室に展示)
また富岡町は、
全国初例となる
"震災遺産保存等に関する条例"
を制定している。
富岡町・町民が経験した複合災害もまた、
地域の歴史に位置づけられるべき
"特徴的な事象"なのです。
"とみおかアーカイブミュージアム"
前の歩道に設置されている、
マンホール蓋...。
モチーフは"夜の森桜並木"であろう。
実に美しい。
"富岡は負けん!"
ー 東京電力廃炉資料館 ー
原子力事故の記憶と記録、
長期にわたる膨大な"廃炉事業"の
全容を"見える化(可視化)"した施設。
復興に向けた努力を続けなければならぬ
東京電力の取り組みを知るうえでも、
訪れておくべき施設であろう。
これからも東京電力の果たすべき
事業者としての"責務"は重い。
エントランスに設けられた、
東京電力からのご挨拶文だ。
中央制御室を模したシアター。
映像にて当時の様子が
公開されている。
原子炉建屋(1号機から4号機)
までの状況を、
模型を使って詳細に解説。
ー 燃料デブリ
事故当時、
1~3号機は稼働中だったため、
炉心に燃料が格納されていました。
事故発生後、
非常用電源が失われたことで
炉心を冷やすことができなくなり、
この燃料が過熱し、
燃料棒や炉内構造物とともに溶融しました。
その溶融物が冷えて固まったものを
"燃料デブリ"と言います。
1~3号機合計で
推定880トンあるとされています。
ー 使用済み核燃料との違い
使用済燃料は、
ウラン燃料を
金属製の被覆管(燃料棒)に閉じ込めており、
設計通りの形状で存在しています。
それに対して燃料デブリは、
加熱した燃料が、燃料棒や炉内構造物とともに溶融し、
その溶融物が冷えて固まったもので、
①ウラン燃料が
燃料棒に閉じ込められていない、
②塊・小石・粉などの様々な形状で
存在する。
この様な特徴を持っている。
ー 東京電力/燃料デブリポータルサイトより
ポータルサイトへのリンクは、
下記に【関連資料】としてリンクしておくので、
閲覧することをお勧めする。
ー 原子炉格納容器(PCV)
1号機・2号機・3号機の内部調査
をパネルにて公開。
各原子炉の被害状況の差異により
使用される調査用ロボットも様々。
作業員が入ることが許されない場所の
"廃炉作業"には、
この様に産業ロボット達が活躍する。
ロボット技術の進歩もまた
福島第一原子力発電所の"廃炉"には
欠かせない。
ー 1号機PCV内部調査用ロボット
ー 2号機・3号機調査用ロボット
東京電力廃炉資料館を
見学する前日のこと...
マスコミ各社が一斉に報じた。
令和6(2024)年8月22日(木)より、
東京電力は、
福島第一原発(2号機)の"燃料デブリ"を
試験的に取り出す予定であったが、
"作業手順に誤り"があったとして中断。
"再発防止策"をまとめた上で再開するとした。
ー 福島中央テレビNEWS
(8/30(金) 16:55配信)
8月24日(土)am7:30ー
23日(金)エンドまでに移動した
那須塩原のお宿から
山梨(甲州)へと抜けるルートを考える。
那須塩原にお宿を設定したのには、
天候がどの様に動いたとて
二通りの行程が考えられるからダ。
状況変化に如何様にも対応できる行程を
考えておくのもまた、
ロングツーリングの醍醐味なのだ♬
(詰め将棋の様で楽しい♬)
考えられるルートは以下ダ。
①日光を抜け"日本ロマンチック街道"経由で
軽井沢・佐久辺りで宿泊。
②秩父を抜け"秩父(長瀞)を経由で
山梨県(甲州)で宿泊。
雨雲レーダ-をチェックすると
日光経由の天候は1日中おもわしくないので、
比較的天候が安定している
②ルートを選択し
"TRANSALP"のエンジンに火を入れる♬
とにかく暑いので、
市街地のストップ&ゴーの繰り返しは
耐えられなので
"長瀞"まで高速道路でジャンプ!
ー 道の駅みなのにて休憩。
道の駅で次なる行程を考え、
秩父といえば"味噌焼き豚丼"だろ!
...という事で♬
ー 秩父肉汁そば 山寿さんにて昼食。
お蕎麦の
二種盛り(あい盛り)を注文♬
田舎系(太蕎麦)・更科系(細蕎麦)
どちらも美味い蕎麦で満足であった♬
こちらが"本命!"
秩父名物"味噌焼き豚丼"も注文ス。
味は伝えるまでもなく...
画像からも溢れでてるでショ♬ルン
長瀞から奥多摩に回り込み
国道411号線(青梅街道)から
山梨(甲州)へ抜けるのも楽しいかな
とも考えたのだが...
雨雲レーダーを見ると奥多摩方面は
"真っ赤"な表示!
「これはヤバイな」と思い、
国道140号線(秩父往環)を
素直にゆくことにしたのだが...。
雁坂トンネル(有料トンネル)を抜けたところで、
ドス黒い雨雲が張り出してきて
”ドシャ降りの雷雨"に見舞われ
袂にある"道の駅みなと"に逃げ込む。
私は運よく
屋根付きの"駐輪場"に滑り込めた♬が、
次々と逃げ込んでくる二輪車は、
"屋根付き駐輪場"は満車となっていて
気合いの入ったカスタム車も
ズブ濡れで可哀相であった。
駐輪場の屋根下で
雨が緩くなるまで小一時間休憩。
お宿まで残す距離も僅かであるので、
気持ちは楽であった。
※これもツーリングなんだ♬
ツーリング最後のお宿は
夜朝食付きの
"温泉旅館"をとも思ったが、
①雨をしのげる駐車場があること。
②天然温泉施設があること。
③山梨(甲州)であること。
で検索して"甲府記念日ホテル"さんに
お世話になった。
湯村温泉を目一杯楽しむ♬
ー 信玄の湯 湯村温泉
1200年前に
弘法大師により開湯されたと伝わる湯村温泉は、
500年前の武田信玄公の治世の頃
"志摩の湯"と呼ばれ、
武田家三代にわたり、
頻繁に湯治に訪れていた、
謂わば、
武田家の元湯とも言うべき温泉。
武田信玄公生誕500年(令和3年)に
「信玄の湯 湯村温泉」と名称が改められた。
愛知県までの距離もさして無いので、
最終日は"休日気分を満喫"し
ゆったり余裕をもっての出陣(出発)とした♬
am10:00出発。
帰路のルートは雨も考慮して
高速道路を使うことは決めていたので、
下記のルートが考えられる。
①中央自動車道経由
②中部横断自動車道経由
雨雲レーダーの解析によると...
①は、八ヶ岳から諏訪間、駒ヶ根辺りは
長時間強い雨が降るとの予報。
②も、多少は雨の範囲もあるが...
中部横断自動車道はトンネルが多いので
雨も凌げるだろうと予測し、
ルート②を選択した。
思惑通りに首尾よく
"トンネル"で雨をかいくぐりながら、
"NEOPASA静岡"に滑り込み休憩&給油♬
ここでも雨雲レーダーを確認。
新城から岡崎にかけて雨予報なので、
新東名高速道路==浜松いなさJCTを経由
新東名高速道路引佐連絡路で
東名高速道路にスイッチ。
美合PA(下り)にて休憩。
ー 吉野家の牛丼
旅(ロングツーリング)の
締め飯しに選ばせていただいたのは、
"吉家家"さんの牛丼(特盛り汁ダク)
やはり美味い!
"TRANSALP"の
トリップメーターは、
5日間で"1902.6Km"を指していた。
"TRANSALP"の
"Impression"は後日記事にするので、
興味のあるか方はお楽しみに♬
あの日、あの時、あの瞬間に
起こった出来事を、
否が応でも受け入れながら
人それぞれの人生は流れ...
そして今に辿り着き、
これからの未来を強く生きる。
最終日に宿泊した
"甲府記念日ホテル"のロビーには、
"LOVE"のオブジェが置かれていた。
他者と"共に"
喜びや悲しみを分かち合えるだけの
"強さ・寬容さ"
そして、
"優しさ・思いやり"
をこれからも忘れない様にしたいと思う。
南東北の宮城県・福島県、
そして岩手県(陸前高田市)の
東日本大震災・福島第一原子力発電所事故
の爪痕と復興状況を
中心(ツーリングの核)に据えた
ツーリングをしてきた。
けっして"楽しい♬"と感じるだけの
旅(ロングツーリング)ではないことは、
企画段階から分かってはいた。
しかしながら、
10年以上の時間(とき)が経過した
いま(2024年)だからこそ、
知り・感じることできる
"あの日・あの時"被災地で
起こっていたことを
真っ直ぐに心で感じることができた。
被災した状況を
"公の場(震災遺構や施設)"にて
一般公開することは、
とても苦しく・辛いことと
心中をお察し申し上げます。
されど、
この記事が少しでも多くの人の目に触れ、
東日本大震災で起こった事実を鑑みることで、
今後の"防災・減災"意識に
繋げてゆけたらばと願ってやみません。
それが、
震災でお亡くなりになった方、
震災で故郷を離れなくてはならなくなった方、
今もなお震災で苦しまれている皆々様。
そして、
震災復興に従事されている事業者の皆様
への私なりの"復興支援"になればと
切に願っております。
被災地の皆様
"ありがとうございました"
再び訪れます際には
どうぞ宜しくお願い致します。
人生は喜びより辛さの方が
多い様に思う。
されど、
ほんの少しの"優しさ"を感じるだけで
"捨てたものではないな"
と感じられたりもするものだ。
被災者に限らず、
人生に迷っている君に...
そして、
そこから立ち上がろうとする君に...
この曲を捧ぐ...。
【MUSIC VIDEO】君に捧げる応援歌 / HIPPY
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では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪
今回は東日本大震災をテーマに巡られたようで、その爪痕を後世に残すための展示館が各地あることを知り興味深かった。
津波にさらわれたハーレーが奇跡的に里帰りしたニュースは記憶にありますが、現在はこちらで展示されているとは知りませんでしたね。
あと、秩父の山寿さんの2種類の蕎麦と焼き豚丼がめちゃくちゃ美味そうで、食べに行きたくなりました。
自分が震災後に東北ツーリングに行ったのは2016年でした。
その時は工事中の道路も多く、復興屋台村があったりと立て直そうと必死で頑張っている状況だったのを思い出しました。
その後は2018年と2023年にも行っているので、何気にちょいちょい行っていますが、また行きたくなりましたよ^ ^
企画はあがっていたのですが、
コロナ禍の影響で延期となっていたので
漸く思い叶い出掛けてきました。
東北も陸奥・陸中・陸前と
距離がありますので、
全て巡るとなると時間も掛かるので
計画が難しいですね。
改めて東日本大震災の大きさに
驚かされます。
復興から未来へと"人の思い"は
変化してきていると受け止めました。
福島の原発事故はいまだに
収束どころか廃炉の目途すらたってませんが...。
さまざまな震災関連施設もできました。
興味があればじっくりと見てみるのも
防災・減災意識向上にもつながるので
よいですよ。
私もまた東北は行きますので、
情報交換できれば幸いです。