アップが前後しましたが、先週木曜は渋谷のユーロスペースで「ご縁玉」を観て来ました。
大分県豊後高田市で養護教諭をしていた山田泉さん=山ちゃんは、自らの乳がん闘病体験をもとに小中学校での「いのちの授業」、各地での講演活動を続けてこられた方。
この映画は余命宣告を受けた後に、最後の旅行先に選んだパリで出会ったチェロ奏者のエリック・マリア・クテュリエとの交流を描いた、ドキュメンタリーです。
映画の完成を喜び大分での先行上映には間に合ったものの、東京での上映を待たずして11月半ばに他界されてしまった。
山ちゃんは、松下竜一さんの草の根通信で連載を持っていたので、友人の大谷ねこと親しく、私は直接お会いする機会は無かったのだけど、同い年だし友人のような気持ちで彼女の活動に注目して来ました。
ヴェトナム戦争孤児のエリック・マリアはフランス人夫妻に引き取られ、その後世界的なチェロ奏者に成長し活躍しているが、彼は育ての母を数年前に乳がんで亡くしている。
運命的な出会いをした山ちゃんを励ますため、日本までチェロを持って再会を果たしに来る。
そして、チェロを使ったセラピー=横になった山ちゃんのお腹にチェロをあてて音を響かせる。
その音色と振動に身をゆだねることで、彼女は迫ってくる死への恐れなどから少しずつ自由になっていくようだった。
発病当時、娘が小学校の高学年で、娘が20歳になるまでなんとか生きたいと願いながら闘病を続け、そしてその間その体験を生かして人との繋がりを紡ぎ続けた。
エリック・マリアの来日に合わせ、山ちゃんが20歳の時に着た着物をまとった娘の1ヶ月だけ早い成人式の写真撮影、山ちゃんの入っていたホスピスの患者さんの前でのエリック・マリアの演奏、児童養護施設での演奏シーンや子供たちとの交流、そしてエリック・マリアの深いチェロの響き、すべてが美しく心に残りました。
音楽の持つ力に付いても、改めて考えさせられた。
いつも目先のライブ活動に追われているばかりだけど、今までの経験を生かしてこれからの人生でなにをやって行くべきなのか・・・重い宿題を課せられた気持ちです。
山田泉著書
・「いのちの授業」をもう一度
・いのちの恩返し
高文研発行
映画「ご縁玉」
渋谷ユーロスペースで1月30日まで
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=174
大分県豊後高田市で養護教諭をしていた山田泉さん=山ちゃんは、自らの乳がん闘病体験をもとに小中学校での「いのちの授業」、各地での講演活動を続けてこられた方。
この映画は余命宣告を受けた後に、最後の旅行先に選んだパリで出会ったチェロ奏者のエリック・マリア・クテュリエとの交流を描いた、ドキュメンタリーです。
映画の完成を喜び大分での先行上映には間に合ったものの、東京での上映を待たずして11月半ばに他界されてしまった。
山ちゃんは、松下竜一さんの草の根通信で連載を持っていたので、友人の大谷ねこと親しく、私は直接お会いする機会は無かったのだけど、同い年だし友人のような気持ちで彼女の活動に注目して来ました。
ヴェトナム戦争孤児のエリック・マリアはフランス人夫妻に引き取られ、その後世界的なチェロ奏者に成長し活躍しているが、彼は育ての母を数年前に乳がんで亡くしている。
運命的な出会いをした山ちゃんを励ますため、日本までチェロを持って再会を果たしに来る。
そして、チェロを使ったセラピー=横になった山ちゃんのお腹にチェロをあてて音を響かせる。
その音色と振動に身をゆだねることで、彼女は迫ってくる死への恐れなどから少しずつ自由になっていくようだった。
発病当時、娘が小学校の高学年で、娘が20歳になるまでなんとか生きたいと願いながら闘病を続け、そしてその間その体験を生かして人との繋がりを紡ぎ続けた。
エリック・マリアの来日に合わせ、山ちゃんが20歳の時に着た着物をまとった娘の1ヶ月だけ早い成人式の写真撮影、山ちゃんの入っていたホスピスの患者さんの前でのエリック・マリアの演奏、児童養護施設での演奏シーンや子供たちとの交流、そしてエリック・マリアの深いチェロの響き、すべてが美しく心に残りました。
音楽の持つ力に付いても、改めて考えさせられた。
いつも目先のライブ活動に追われているばかりだけど、今までの経験を生かしてこれからの人生でなにをやって行くべきなのか・・・重い宿題を課せられた気持ちです。
山田泉著書
・「いのちの授業」をもう一度
・いのちの恩返し
高文研発行
映画「ご縁玉」
渋谷ユーロスペースで1月30日まで
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=174