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「紀の国屋バンド」ってあったよね

2009-12-28 23:19:00 | music
ライブが続いた後に引き込んだ重症の風邪がなかなか治らず、19日のMUMON bandのライブ報告が出来なかったのですが、今回もゲストドラムに横沢龍太郎さんが全曲参加してくれて、前回よりもさらに面白いライブが出来たと思ってます。
最近はパスカルズなどでヨーロッパでも大活躍の龍太郎さんですが、MUMON bandのメンバーとの繋がりを書いたことがあまり無かったので、今回はその辺のエピソードを書いてみます。

深水無門と龍太郎さんとギターの義治、全員大学のサークル時代からの仲間たちですが、この神奈川と東京の境にあるW大のロックサークルは知れば知るほど凄い人材を輩出した学校です。

龍太郎さんと義治の在籍した「HOLD UP」は、大学時代に細野晴臣氏のプロデュースでデビューしました。
メンバーは戸田吉則さん(べース、後に「スパイ」結成)、安藤芳彦さん(キーボード、後に「パラシュート」に加入)と、その後の日本の音楽シーンで大活躍してゆく方たちで、本当にそうそうたる顔ぶれ。
そして、龍太郎さんは「HOLD UP」の後にはチャクラを結成するのですが、「HOLD UP」の少し前にやっていたのが「紀の国屋バンド」。
清水信之やMAC清水も在籍していた伝説のバンドだけど、残念ながら私は観たことがなかったです。
名前だけなんとなく知ってたのだけど、なんで紀の国屋なのかは実は最近知りました。
このバンドのギターのハルトさん、元「うたち」のメンバーですが、この方のご実家が有名な老舗旅館「きのくにや」でそこから来たらしい。
「うたち」は浦和ロックンロールセンターの野外コンサートの常連でしたから何度か見ていましたが、ハルトさんが紀の国屋バンドの結成のきっかけだったとつい最近聞いてびっくりでした。
ちなみに、「うたち」の名前を記憶している方は多くはないかもしれませんが、中心だったベースのケニアとドラムのゲイリーが後に作ったのが「東京ローズ」。
このバンドは80年代にかけても都内ライブハウス他で活躍を続けたので、ご記憶の方も多いのではないかと思います。
そして、そのハルトさんが「うたち」を脱退していた時期に加入したのが無門。
ハードなサウンドの「うたち」に無門が加わったのは、かなり不思議なことではあるのですが、人間的にそりが合って、お互い居心地が悪くなかったということなのかな。
バンドのきっかけなんてそんなものだし、そして、それ以前も以後も無門の音楽性の根本はまるで変わってないらしく、今ライブでやってるオリジナルも当時からのものも多いらしい。

今の、彼等の力の抜けたゆったりした繋がりを見ていると、ちょっと羨ましい気持ちになります。
もちろん、彼らもそのころは色々ぶつかったりしたこともあったのだろうと思うけど。
根っこのところで争うことは嫌いだけど、実は好き嫌いはすごくハッキリしている同士が認め合った関係というのかな、そんな結びつきを感じる。
60年代から70年代前半に好きだった音楽と文化の共有体験の大きさが、この絆の強さなのかなぁと思います。
私の年齢だと、同世代の音楽仲間にここまで強い共通の文化はなくて、もっと拡散していたり細分化しているような気がする。

MUMON band、のんびりとしたペースの活動ではあるけど、先日は私が参加した2年間の中で、一番手ごたえを感じた演奏が出来ました。
来年は、もう一歩、前進したいです。

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