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追悼、丸山雄一

2014-03-18 22:13:00 | event etc.






一昨年に亡くなった丸山雄一と金子周平さん、お二人を偲ぶ演奏会が9日に行なわれ、その模様がデルピエ~ロ橋本ことnaokiさんのサイトにアップされたので、リンクを貼ります。
私はオレンヂチューブ(+全滅岬)で、キーボードを担当しました。

http://www.forestsong.net/delpi/essays/ess_memorial_concert_j.html

金子周平さんとは知り合う機会がないままでしたが、丸山と共にスーパースランプに在籍したスーパーギタリスト。
彼ら、そしてその2年前にオレンヂチューブのギタリスト大島、私より若い人が次々と旅立ってしまう・・・、なんともやるせない思いです。
一昨年の11月に急逝してしまった頃は、私もまだ母の死から立ち直れていなかったり、イヴェントが続いていた時期だったこともあり、彼のことを振り返る余裕がなくてブログにそのことを残していなかったのですが、遅ればせながら彼との思い出を書いておきます。

丸山との出会いは1982年、マゼンダ解散後に演奏の場を求めていた私が池袋PENTAで知り合ったオレンヂチューブに加入することになり数年を一緒に活動、ナゴムレコードのEP盤のレコーディングでも二人でリズム隊を務めました。
当時大幅なメンバーチェンジをしていたオレチューはベースとドラム共に入れ替わることになり、私が先に決まった後に候補のドラマーの中で私が一番に押したのが丸山だったと記憶しています。
プログレ、ジャズ的な要素が濃厚なドラミングでしたが、インプロビゼイションを得意としながらもオレチューの変態ニューウェイブポップと言いましょうか、なにしろ一言では括れない幅広い音楽性を生かすヴァリエイションを持ち、自身の色を出すだけでなく曲を非常に大切にするドラマーだった。
私はオレチューを数年で脱退しましたが、彼はその後もずっと大山氏と活動を共にし、東京ギョギョーム、そしてリビドーでも活躍したそうですが、その当時は交流が途絶えていたのだけど、4年前にオレチューの再結成があり私はキーボードで参加する形で、また一緒にライブ活動をするようになりました。
再会した彼は、どうもアルコールに依存する傾向が強くなっていた様子でしたが、しかし、まさか大島に続いてこんなに早く別れが来るとは。。。
大島存命時代のライブのリハで、クリムゾンの太陽と戦慄のカバーを練習していた時、変拍子が少しずつ変化するパートで皆のリズムが微妙に合わなかったところ、彼が書いたリズム譜(これが新聞折り込み広告の裏に書いたものだった・・・苦笑)を見せてくれて、「あ~これ分かりやすい!」と話したら、「でしょ~!」って嬉しそうに言って「あげるよ~」って渡してくれた譜面、今もオレチューの譜面ファイルの中にしまってあります。
シャイだけど音楽についてはとても熱く語る人で、オレチューのリハの後に話が止まらなくて、電車のルートを遠回りしてまで語り合ったこともありました。
彼と最後に会ったのは2011年9月、四人囃子の中村真一氏の追悼イヴェントに私が参加した時にnaokiさんと一緒に観に来てくれたのですが、凄く良いライブだったと暖かいメールをくれたことを覚えています。
こだわりの強い彼からのお褒めの言葉は、とても沁みたのでした。
丸山のご冥福をあらためてお祈りします。

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