29日は台風が近づく天候の中、150人余のご参加を頂き、大成功に終わりました。
Facebookにご来場の皆さまへのお礼の投稿と写真をアップしています。
https://www.facebook.com/yoshiko.fujita.142
このブログではFB投稿とは別のphotoと共に、「月まで飛んで」プロジェクトの流れを振り返ってみたいと思います。
最初のきっかけは、一昨年春に友人の弓ちゃんと行った沖縄石垣島旅行で石垣在住の旧友、古川凡君に会った折の会話からでした。
弓ちゃんも凡も2年後に還暦なので、その年には記念になるイヴェントをやりたいねということで、その後その年の秋に行なわれたURC45周年祭に上京してきた凡と再会し、またギターの岩間君ともライブ共演などで会う中で、70年代半ば当時は高校生だったURC繋がりの友人たちとライブパーティをやろうという話が徐々に盛り上がった。
ボーカルの塩崎からは、自分にとって一番大切だった安全バンドの「月まで飛んで」をクワイアで歌いたい、バンドだけでなくいつも会場を盛り上げてくれる友人たちと一緒に歌う場を作りたいという提案があり、「月まで飛んで」プロジェクトが発足しクワイアへの参加を呼びかけ、昨年11月末から練習を開始しました。
私は合唱向けのアレンジや指導をする経験はそれまで皆無でしたが、10年前から川口盛人ゴスペル隊に参加している塩崎にアドバイスをもらって、彼女らの練習日に見学に行き方向性を模索し、安全バンドの楽曲を知らないメンバーにも曲に馴染んで頂くために、女声中心向けにキーを変更した課題曲の3声アレンジを多重録音。
同時に、慣れないコーラス譜も苦労しつつ作成。
Facebookで繋がれる方とはグループを作り、LINEのみの方にはLINE、メールのみの方には添付やGoogle Driveを使い、毎回全員が集まることは難しい中で25名のクワイアと情報を共有しながら7回の練習を積み重ねて来ました。
クワイアとバンドメンバーを合わせれば40人を超えるから、会場は100人超が入れるところにしたいと様々な会場を探した末に今回の柏屋楽器フォーラムホールにたどり着き、ケータリングオフィスとも親しいスタッフが飲食の手配をし、また沢山の方から差し入れも頂いて、音楽だけでなく豪華なフード&ドリンク、合い間のスライドショウなど実に中身の濃いイヴェントになったと思います。
当日私は最初から最後まで、全てのステージに参加しました。
岩間君のC.C.StrutではSHIORIと一緒にコーラスを、セイレイズでは元essenceの平田玲史の提案で凡と私のリズム隊がぶっつけで参加、Loose&Beatでは来れなかった吉田氏に代わりHeartbreakerでブイブイとベースを鳴らし、トモズ・キャビンではMy Baby's GoneのBass&リードボーカル。
トモズ・キャビンに参加した塩崎ボーカルの「夜明けまで離さない」(頭脳警察)は、最高に光っていました!
クワイアは全員が揃ったのはこの日が初でしたが、SHIORIのリードでものすごくカッコ良く盛り上がりました!
25名のメンバーが赤と黒のドレスコードで趣向を凝らし、それぞれ個性が際立っていて壮観だったとの声を沢山寄せてもらった。
そして、2017マゼンダムーンバンド、石垣島から来た凡のハードなドラミング、今回初参加してくれた仲悦子さんの洗練されたキーボード、岩間君は安全バンドのカバー「いくらまっても」でリードボーカルも。
塩崎のリードボーカルSomebody to Loveはまさに浦和のグレース・スリック、マキ&OZの曲ではハードロック魂炸裂!
ゲストのイリア登場の「ふりむかないで」で、会場がさらに盛り上がり、そしてバンドとクワイアのコラボで「デイドリームビリーバー」。
ヒロ&SHIORIのアコースティックDUOの後、私はキーボードで参加しトモズ・キャビンのメンバーも加わりSHIORIのソウルフルなボーカルに会場が酔いしれ、最後は安全バンドの「偉大なる可能性」と「月まで飛んで」でクワイアとコラボ。
ヒロさんのボーカルとベースに乗せて、クワイアの皆さん、会場の皆さんと共に大きなハーモニーを響かせた経験は、一生忘れることのない宝物です。
音響は西安ロックプロジェクトでも活躍して下さった佐藤さんにお願いして、94年に一緒に西安に行った浦和市民連合のメンバー、URCの歴代代表はもちろん旧埼玉べ平連の方たちも沢山お見えになり、まさに40数年間の集大成と言える充実した集いが実現した。
クワイアを結成したことによって、昔からのURCのバンド人脈だけに留まらない大きな広がりを持ったイヴェントになりました。
参加して下さった皆さん、応援して下さった皆さんに心より感謝申し上げます。
ありがとうございました!