一寸、順番がズレましたが明野の「ひまわり」の帰路何時も通る道に「舟形神社」があるのですが
向かう時は気にならなかったのに、帰路横に差し掛かると・・・ん?凄い百合の香りがする
ふと、通り過ぎりながら横を見ると「山百合」が凄い!!え?もしや・・・急ぎひっくり返し神社へ
入口に鳥居は見当たらず、参道階段を上ると「郷社舩形神社」と刻まれた社号標が立っている。
さらに参道を進むと鳥居があり、さらに進むと神門。その奥に社殿のある境内がある
結構長い参道です こんなに広かったんだ
香りでむせ返すような群落 中々見事です 折角なのでお参りを
神楽殿も立派ですねとても「旧村社」とは思えない作りです
お参りをし御朱印は無かったので一礼し帰路に着くことに
山百合が咲いて居なければ先ず寄らなかったでしょう
郷社船形神社の由緒
鎮座地 山梨県北巨摩郡高根町字長沢船山二六〇六番地
祭 神 建御名方之命
社 歴 昔日本武尊命御東征の砌酒折の宮より科野國 國坂の神に事向け給ふ時此の地に奉幣せり。
今尚社辺に口漱ぎ給ひし泉有り文徳天皇時代 仁壽元年(今より凡そ千二百廿六年前)
甲斐守 小野貞守の祈願に依り社頭を造営して陽成天 皇時代元慶元年(壬寅)正六位上の
当神社に対し 從五位を授く。康和年中新羅三郎義光再建し 其後武田家代々社頭を修造す。
当社は甲斐信 濃の境に有るを以って武田信玄公信越へ往来 の都度武運を祈願せりと云ふ。
永禄年中信玄 より神領貮石八斗餘を給はり爾来徳川家代々 より朱印地を許されたり。
明治四年官令有り悉く上知して同六年巨摩郡 第十四區郷社に編入せらる。
明治四十年神饌幣帛料の供進神社に指定せら れたり -参道由緒書きより-
須玉では、いつも初詣に行っています。
小さいながら、なかなか由緒あるお寺ですね。
来年は是非、百合の時期に行ってみたいです。
こんにちは え~そうだったんですか?此処に何時も初詣ですか~
私はいつも横を通りながら「普通に村の神社だしな~」と
横目に通り過ぎていました・・・しかし「由緒書」を拝見し
いや~意外とちゃんと歴史のある神社なんだ!と思いました 失礼しました
こんばんは。
ヤマユリがこんなに咲く神社を気まぐれさんがご存じなかったとは。
ばらりんさんも初詣に行かれていても花のことまではご存じないのですね。
山百合神社と呼んでもいいくらいのユリの花ですね。
こんばんは この神社の横はしょっちゅう通るのですが
今回初めて気がつきました。この神社の氏子は40件足らずです
まさか❗ばらりん様が初詣に行っている神社だったとは驚きでした