今日(11月29日)は、「議会開設記念日」。
日本の帝国議会は、前年の大日本帝国憲法(旧憲法)発布を受けて第1回帝国議会が召集され1892(明治23)年11月29日に天皇臨席のもと開院式が行われ、立憲政治の第1歩を踏み出した。議事堂は、1888年6月に起工し、国会開設目前の1890年11月に完成。洋風木造2階建てであったが、完成から2ケ月ほどの、翌1891年1月に焼失、止む得ず、現在の帝国ホテルの隣にあった鹿鳴館を貴族院、虎ノ門の工部(科)大学(現在の東大工学部の前身)を衆議院にしてその場をしのいだという。(その後再建)
この旧憲法による帝国議会は1947(昭和22)年の日本国憲法が制定されるまで続けられた。旧帝国議会は衆議院と貴族院の二院制で,貴族院は,貴族院は、公選制ではなく、皇族・華族・勅選議員・多額納税者などの特権階層の議員で構成された。衆議院は国民の中から公選された議員で組織されてはいたものの、当初は、男子制限選挙制であり、国会開設前に行われた7月の総選挙では、選挙権が直接国税15円以上を納める25才以上の男子に限られていたため、選挙資格をもつものは総人口の1.14%に限られ、その多くが地主だったという。又、被選挙権も、30歳以上の男子で選挙権と同じ納税要件を必要とするなど、選挙権・被選挙権に、きわめて厳しい制限があった。
その後、納税要件は次第に緩和され、被選挙権については1900(明治33)年に制限が廃止され、選挙権については1925(大正14)年の普通選挙法によって、完全に撤廃されることになったが、これも男子の選挙権・被選挙権のことであり、女子が初めて選挙に参加出きるようになったのは実に1946(昭和21)年の総選挙のときからである。このときになって年齢制限も引き下げられ、選挙権については20歳以上、被選挙権については25歳以上となり、やっと、成年男女による公平な普通選挙が実現したのである。
1946(昭和21)年4月の衆議院議員の総選挙後の5月に召集された第90回議会において、日本国憲法(新憲法)が成立し、貴族院が廃止され、公選議員で組織する参議院が誕生した。そして、帝国会議は、翌1947(昭和22)年3月に解散された第92回議会をもって終了し、同年5月3日、新日本国憲法が施行された。
因みに、同じ憲法でも、旧憲法では、「天皇は、帝国議会の協賛をもって立法権を行う」となっていて、旧議会が、自ら立法権を行使出来ず、天皇の立法に協力する役目だけを持つており、従って、法律案は、両議院を通過しただけでは成立せず、天皇の裁可(認める)よってはじめて法律となったのである。そして、大臣や貴族院、衆議院の議長や副議長についても天皇が任命するなど任命権もち、天皇の権限が絶対的なものであった。
だから、この新憲法の施行により、このときから、新しい国会が出発することになったのである。しかし、この日本国憲法(新憲法)が、日本人自らの意思で作成されたものではなく、連合国最高司令官示唆のもと、国内外の様々な政治的、社会的、その他もろもろの力が複雑に絡み合うなかから、作り出されたものであるため、今、自衛隊や自国の防衛問題などにおいていろいろ歪みが出てきていることは皆さんご承知の通りである。
現在の国会議事堂は、1920(大正9年)1月に着工、17年の歳月をかけ1936(昭和11)年12月に完成、現在に至っている。正面から見て左側が衆議院、右側が参議院である。
(画像は11月29日第1回帝国会議の開院式【明治神宮外苑聖徳記念絵画館壁画】絵葉書より。)
参考:
国会図書館日本国憲法の誕生
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html
普通選挙==⇒婦選運動(女性の公民権)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/fusenn.htm
明治時代
http://www.coara.or.jp/~sanken/beppudic/meiji.html
メッセージ
八.明治憲法の欠陥 ... 旧帝国憲法が、司馬氏の言われるようなはっきりとした、「三権分立」のものであるか否か
http://www.seiken-s.jp/message/page08.html
日本の帝国議会は、前年の大日本帝国憲法(旧憲法)発布を受けて第1回帝国議会が召集され1892(明治23)年11月29日に天皇臨席のもと開院式が行われ、立憲政治の第1歩を踏み出した。議事堂は、1888年6月に起工し、国会開設目前の1890年11月に完成。洋風木造2階建てであったが、完成から2ケ月ほどの、翌1891年1月に焼失、止む得ず、現在の帝国ホテルの隣にあった鹿鳴館を貴族院、虎ノ門の工部(科)大学(現在の東大工学部の前身)を衆議院にしてその場をしのいだという。(その後再建)
この旧憲法による帝国議会は1947(昭和22)年の日本国憲法が制定されるまで続けられた。旧帝国議会は衆議院と貴族院の二院制で,貴族院は,貴族院は、公選制ではなく、皇族・華族・勅選議員・多額納税者などの特権階層の議員で構成された。衆議院は国民の中から公選された議員で組織されてはいたものの、当初は、男子制限選挙制であり、国会開設前に行われた7月の総選挙では、選挙権が直接国税15円以上を納める25才以上の男子に限られていたため、選挙資格をもつものは総人口の1.14%に限られ、その多くが地主だったという。又、被選挙権も、30歳以上の男子で選挙権と同じ納税要件を必要とするなど、選挙権・被選挙権に、きわめて厳しい制限があった。
その後、納税要件は次第に緩和され、被選挙権については1900(明治33)年に制限が廃止され、選挙権については1925(大正14)年の普通選挙法によって、完全に撤廃されることになったが、これも男子の選挙権・被選挙権のことであり、女子が初めて選挙に参加出きるようになったのは実に1946(昭和21)年の総選挙のときからである。このときになって年齢制限も引き下げられ、選挙権については20歳以上、被選挙権については25歳以上となり、やっと、成年男女による公平な普通選挙が実現したのである。
1946(昭和21)年4月の衆議院議員の総選挙後の5月に召集された第90回議会において、日本国憲法(新憲法)が成立し、貴族院が廃止され、公選議員で組織する参議院が誕生した。そして、帝国会議は、翌1947(昭和22)年3月に解散された第92回議会をもって終了し、同年5月3日、新日本国憲法が施行された。
因みに、同じ憲法でも、旧憲法では、「天皇は、帝国議会の協賛をもって立法権を行う」となっていて、旧議会が、自ら立法権を行使出来ず、天皇の立法に協力する役目だけを持つており、従って、法律案は、両議院を通過しただけでは成立せず、天皇の裁可(認める)よってはじめて法律となったのである。そして、大臣や貴族院、衆議院の議長や副議長についても天皇が任命するなど任命権もち、天皇の権限が絶対的なものであった。
だから、この新憲法の施行により、このときから、新しい国会が出発することになったのである。しかし、この日本国憲法(新憲法)が、日本人自らの意思で作成されたものではなく、連合国最高司令官示唆のもと、国内外の様々な政治的、社会的、その他もろもろの力が複雑に絡み合うなかから、作り出されたものであるため、今、自衛隊や自国の防衛問題などにおいていろいろ歪みが出てきていることは皆さんご承知の通りである。
現在の国会議事堂は、1920(大正9年)1月に着工、17年の歳月をかけ1936(昭和11)年12月に完成、現在に至っている。正面から見て左側が衆議院、右側が参議院である。
(画像は11月29日第1回帝国会議の開院式【明治神宮外苑聖徳記念絵画館壁画】絵葉書より。)
参考:
国会図書館日本国憲法の誕生
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html
普通選挙==⇒婦選運動(女性の公民権)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/fusenn.htm
明治時代
http://www.coara.or.jp/~sanken/beppudic/meiji.html
メッセージ
八.明治憲法の欠陥 ... 旧帝国憲法が、司馬氏の言われるようなはっきりとした、「三権分立」のものであるか否か
http://www.seiken-s.jp/message/page08.html