今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

コットンの日

2005-05-10 | 記念日
今日(5月10日)は「コットンの日」
日本紡績協会が1995(平成7)年10月に制定。
「コッ(5)トン(10)」の語呂合せと、綿が夏物素材としてよく使用されるため、5月が店頭販売の最盛期を迎えることから。
人とコットンのつきあいは数千年前からと古く、メキシコのテワカン渓谷からは、紀元前5,000年の綿花が、またパキスタンのインダス河下流域では、紀元前3,000年の綿布の切れ端が発掘されているそうだ。 コットンを初めて知った人間は、その白く、柔らかく、しかも丈夫なコットンに、驚いたに違いない。人々はその自然の贈りものを栽培し、人間の文化が広がるのと共に、コットンを世界中へと広げていった。日本には799(延歴18)年に、漂着した崑崙人によって伝来したと言われているそうだ。最盛期の明治期には全国で10万haも栽培面積があった。しかし、第二次大戦後は海外からの安くて綿の繊維が長く上質な肌触りの布が織れる輸入綿に押されて繊維の短い土着した綿の栽培が消滅してしまった。 それでも、私が大阪の商社へ就職した昭和30年代前半日本は、繊維製品は輸出の花形商品であり、まだ、天然繊維の綿製品、毛織物などが中心であった。以降、工業化と同時に、後発のアジア各国からの輸出に押され、近年は、経済産業省繊維統計年鑑によると繊維の原料と衣料品を含めた輸出は、我が国の輸出の1%以下、繊維原料だけでいえば、輸出額は内需の1/5で、この15年間で2/3に減少している。アクリルなどの化合繊繊維は未だ、国際競争力をもっているが、かっての日本の産業を引っ張ったシルクや綿糸などの天然繊維、機屋やメリヤス工場などの生産工場、染色業界、などの二次加工工場は、ほとんどが中国に移動しており、2001(平成13)年に、セーフガードが検討されたニット業界は80%がアジアからの輸入になっているそうだ。大阪で、繊維業界華やかなりし頃に、繊維業界に携わっていたものとしては、寂しい限りである。
しかし、綿(コットン)製品は、現在日本における衣料用繊維の 消費量の約40%を占めており、私たちの暮しにはなくてはならないものである。
何よりも、コットンの特性は、柔らかく、肌ざわりが良いことと、水分を吸収・発散するため、さらっとした肌ざわりが得られ涼しいことである。これからの、蒸し暑い季節などには、通気性・吸湿性のよいコットンは最高である。
コットンは、ハイビスカスや芙蓉と同じあおい科の植物で、クリーム色の美しい花を1日だけ咲かせ、次の日には紅くなってしおれてしまう。花が落ちた後に実がだんだんと大きくなって、ポッカリ割れると、中から真つ白なたんぽぽでいうなら綿毛の状態のコットンの“せんい”がとびだしてくる。この白い綿の実を「コットンボール」と呼ぶ。そして、コットンボールから綿毛を刈り取ったのが綿実で、これを糸にし、綿布を織る。綿の繊維をとった後に残ったタネを、1つ2つ、紙に挟んで押しつぶすと、少し油がにじみ出てくる。 これが綿実油で、綿実油は、とても質がよく、てんぷら油、サラダ油、それからマヨネーズ、ドレッシング、マーガリン、マグロ油漬け缶詰の原料などに使われている。このコットンは、家庭の庭や、ヘランダの植木鉢でも栽培することができるそうだ。
ところで、コットンボール銀行などと言うものが出来ているのを知っていますか。
兵庫県西脇市の「エンヤス職布」の遠藤多久雄さんが、日本に綿が伝来して千二百年にあたる1999年5月10日に設立したものだそうで、「花は短命だがきれいだし、コットンボール(綿玉)もかわいく、手軽に育てられる」とわかり、種子を提供して収穫後に綿の一部をもらう銀行を思い立ったのだそうだ。興味のある方は、一度、覗いてみてください。
(画像はコットンボールと綿花)
参考:
綿
http://marusyosangyo.jp/~kawariito/cotton.htm
オーガニックコットン工房
http://homepage3.nifty.com/jiyounouen/cotton/index.html
コットンボール
http://www.hk.sun-ip.or.jp/rina-u/cotton.htm