今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

新東京国際空港開港記念日

2005-05-20 | 記念日
今日(5月20日)は、「新東京国際空港開港記念日」
1978(昭和53)年5月20日、千葉県成田市に新東京国際空港(成田空港)が開港した。1966(昭和48)年7月に千葉県三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港だった。地元の意向を無視した決定に対し強力な反対運動が展開され、死者も出た。政府は、1978年3月30日を「開港」と決め、反対闘争を押し切るかたちで、準備を進めていた。その開港日の4日前に過激派ゲリラが突入し管制塔が占拠され、中の機器が破壊され、開港は中止された。面子をつぶされた政府は、2ヵ月後の5月20日、出直し開港に向けてしゃにむに漕ぎ着けた。このとき全国から動員された機動隊及び警官は13,000人にのぼり、開港式典は機動隊の戒厳の中ひっそりと行われた。21日営業開始。
国策で強引に無理押しして開港を進めた結果、日本で最長の4000m滑走路を持つ空港であるが、未だに全体計画は完了していない。開港後25年以上経過して第2期工事の「平行滑走路」も土地買収が進まないため、計画より短い暫定滑走路のまま使用するなど、不完全な状態が続いている。後に出来た関西・中部の両国際空港の滑走路は3500m。将来4000メートルへの計画もあるようだが、海上の空港であり、滑走のための障害になる山などないので、4000の滑走路は必要ないともいわれている。そして、騒音問題からの使用時間の制限などもあり、逆に羽田空港の拡張を行うことになる。
2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団が成田国際空港株式会社(Narita International Airport Corpration:NAA)と名称を変え民営化(特殊会社化)された。これに合わせて、空港の名称もそれまでの新東京国際空港から一般的に呼ばれていた成田国際空港に改称された。
開港当時の過激派ゲリラの闘争の模様は、テレビを通じて全国に流され、今でも、我々の脳裏にはその時の映像が強烈に焼き付けられている。
政府の地元の農民の十分な同意もなく強引な土地の買収などに対して、地元農民が土地を失うことや騒音問題から反発するのはよく分る。しかし、これらに便乗した新左翼などが反対活動に参加し、住民の反対運動を煽ったために運動が過激化した。高度経済成長を続ける日本にとって、国際空港はどうしても必要なものであった。しかし、国土の狭い日本の内陸部において、大規模な、空港を建設しようとすること事態に無理があったと言える。
その後、関西国際空港、中部国際空港が開港しているが、いずれも、海上に建設されている。これからは単なる空港ではなく、「ハブ空港」の整備をしないと、国際化の中で日本は取り残されていくだろう。内陸部に於ける空港の拡大は騒音問題等もあり望めない。今のままでは、伊丹空港を抱える大阪の関西空港と同様、中途半端な成田空港を抱えた東京の羽田空港も、ハブ空港として中部国際空港が整備された暁には、客を奪われてしまうことになりかねないだろう。
(画像は、「新東京国際空港開港」 記念切手。空港のターミナルビルと旅客機が描かれている。1978年5月20日発行。この切手も1978年3月30日発売予定であったが、過激派の空港襲撃により開港が遅れたため、切手発行日も延期された。)
参考:
成田国際空港公式WEBサイト
http://www.narita-airport.jp/jp/
成田国際空港(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E7%A9%BA%E6%B8%AF