今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ナイチンゲールデー

2005-05-12 | 記念日
今日(5月12日)は「ナイチンゲールデー」
赤十字社が、1820年のナイチンゲール(1820~1910)の誕生日に因んで制定。フローレンス・ナイチンゲール。両親が新婚旅行中のイタリアのフィレンツェ(英語名フローレンス)で生まれたことからこの名がつけられたとか。彼女は、イギリスの上流階級の裕福な家庭の生まれで、フランス語、ドイツ語、イタリア語、歴史、哲学など、社交界の貴婦人にふさわしいとみなされる以上の教育を父親から与えられているという。彼女は、イギリスの看護婦・看護婦長又、近代看護学の始祖として有名であるが、同時に優れた統計学者、病院建築家でもあり、又、ギリシア哲学についても造詣が深かったというすごい才女だったのですね~。
ナイチンゲールの名を歴史に残したのは、彼女が看護婦を志して10数年後、クリミア戦争(1853年~1856年)勃発の翌年38名の看護婦を率い、スクタリの英国陸軍病院の臨床現場に立ち、同病院の看護の総責任者として活躍したことである。彼女が最初に見たスクタリの病院は収容過剰で混乱し、設備・手当のための物品も不足していた。又、兵舎病院も極めて不衛生であった。官僚的な縦割り行政の弊害から必要な物資が供給されていなかった病院の兵士たちの生活と衛生の改革を手のつけられるところから進めるが、現場では、なかなかナイチンゲールの意見は聞き入れられなかったようである。ナイチンゲール着任後、死亡率は上昇(42%)したという。1855年になり、戦時省と陸軍省が合併して出来た新陸軍省は衛生委員会を組織し、現地へ調査団を派遣。そして、ナイチンゲールの報告どおり、病院内を衛生に保つことを命令した。この命令の実施により、2月に約42%まで跳ね上がっていた死者は4月に14.5%、5月に5%になったことが後に判明したという。兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、病院内の不衛生によるものだったと後に推測された。その当時の働きぶりからナイチンゲールは「クリミアの天使」とも呼ばれた。統計による分析は実際は帰国後に行われたのがほとんどであった。
帰国後ナイチンゲールは、収集分析した統計資料により病院の状況分析を行い、数々の統計資料を作成し、改革のためにつくられた各種委員会に提出した。このためイギリスでは、ナイチンゲールを統計学の先駆者としているそうだ。
ただ、ナイチンゲールは、クリミア戦争終結後、体調を崩してひそかに帰国した。それに加えて、兵舎病院で亡くなった多くの兵士たちへの追悼の意を、陸軍の衛生状態の改善という、具体的な形にして示そうという意図もあったのだと思われるが、帰国後の36歳以降、彼女は二度とユニホームを着て臨床現場に立つことはなかった。そして、その後150点にも及ぶ著作を書き残しているという。
クリミアから帰還した彼女が、国民的支持や賞賛の陰で、しばらくのあいだひっそりと沈黙を守った裏には、虚脱状態に陥るほどの衝撃と屈辱があったのではないかと言う説がある。
ナイチンゲールが、スクタリの病院に到着してからの活動を見ると、当初、衛生面よりも不足する物資の補給に努力していたように思われる。これは、兵士が死亡するのは、兵士が極度の栄養失調にかかり、かつ風雨にさらされ続けて疲労困憊した末、手遅れとなって野戦病院に送られてくるためであり、又、手当をするための物資不足によるものと信じていたようである。それが、戦後になって、統計を使って、このことを実証する作業をしている過程で、死なせた主な原因が、戦傷や兵士の疲労困憊によるよりも兵舎病院の過密さと不衛生な状況が病気を蔓延させたことにあったという結論を得て愕然としたのではないか。そして、当初、病院の衛生管理の初歩的な事項の注意を怠った責任が、誰でもない、自分自身にあったと感じたからでないだろうか。そして、「異常な死亡率の要因」という真実をできるだけ多くの人々に知らせることで再び同じ過ちが繰り返されるのを防ごうと決心し「真実の公開」の為には、客観的なデータに基づく説得力が必要であり、ナイチンゲールが統計学と衛生統計へ並々ならぬ情熱を傾注した。そうすることで、自らの責任をとろうとしたのだと言うのである。
私も、以下参考の生涯の仕事一覧などで時系列的に彼女の仕事ぶりを見ていると、なんとなく、そのような気がする。しかし、たとえそうであっても、自分の判断の過りを認め、「真実を公開」し、その責任を、取るための仕事をきっちりとすると言うことは、なかなか凡人に出来ることではなく、立派なことだよね。
(画像はナイチンゲール。ウイキペディアより借用)
参考:
ナイチンゲール看護研究所:ナイチンゲール5つの顔他
http://www.nightingale-a.com/
ナイチンゲールと統計学
http://www.washimo.jp/Report/Mag-Nightingale.htm
ナイチンゲール、時期別・生涯の仕事一覧
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/8452/naitinngerusigotoitirann.htm
ナイチンゲール誓詞
http://www1.neweb.ne.jp/wb/achi/study/hipo/hipo.html

※ナイチンゲール(1820~1920)となっていましたが、(1820~1910)の誤りでしたので修正しておきました。2010・4・12。