今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ゴルフ場記念日

2005-05-24 | 記念日
1952(昭和27)年の今日(5月24日)は「ゴルフ場記念日」
1903(明治36)年5月24日、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。
日本でのゴルフは六甲山から始まった。神戸港開港以来、神戸の居留地での居留地外国人によるスポーツの、起源を辿ると、明治3年A・C・シムによって創設されたKRAC(神戸レガッタ・アンド・アスレチック倶楽部)の活動に始まが、その若かったKRACの会員が30年も経過すると体力も衰えて、激しい競技スポーツに参加できないことを知ったイギリス人の茶貿易商A・グルーム(アーザー・ヘスケス・グルーム)は、ある会合で友人達と談笑中、自然の中でしかも仲間と楽しめるゴルフの必要性を感じ早速彼は友人を誘って、低廉な六甲山頂の土地を確保し1901(明治34)年に4ホールだけのゴルフ場を作った。これは文字通り、日本最初のゴルフ場で、2年後の1903(明治36)年5月には9ホールに拡張し、ホールの開場式は服部知事や坪野市長を招いて行った。会員も120人に増えて、日本初の神戸ゴルフ倶楽部が発足した。そして、明治37年には、18ホールに拡大して1907(明治40)年には、横浜対神戸のインターポート試合と、日本アマチュア選手権を実施した。
また、神戸ゴルフ倶楽部(KGC)は冬の4ヶ月間閉鎖される不便を補うため、英国人ウィリアム・ロビンソンが、37年に横屋ゴルフアソシェーションを創設した。
日本初のプロゴルファーや日本婦人選手権の初代チャンピオンが誕生したのも神戸である。
六甲に別荘があった室谷藤七(同GCの理事長などを歴任した人)は、第1回関西アマチュア選手権で優勝した名プレーヤーで、日本人初のスクラッチプレーヤー(ハンデ0)となる。(※参考のJGAハンディキャップの制定と目的(プロゴルファーにもハンディーがあった時代)を参照ください。)
又、神戸ゴルフ倶楽部では、六甲山麓(ろく)に住む子供たちが小遣い銭稼ぎに山道を登ってキャディーを務めていた。横屋、その後出来た鳴尾でも近所の子供がバッグをかついでいた、この中から数々のプロが誕生したが、プロ第1号が福井覚治である。
因みに、日本人最初のゴルファー(1907年=明治40年)は、小倉正太郎で、日本人女性で最初にゴルフをしたのもその妹で、神戸女学院生であった小倉末子(14歳:後のピアニスト)であった。
現在のハウスは、1931(昭和6)年~1932(昭和7)年にかけて改築されたもので、当時の百貨店や関西学院、神戸女学院などを手がけていたアメリカの設計家ウイリアム・メレル・ヴォーリスによるものである。
明治の時代は、神戸開港とともに始まった。開港と同時に、外国人居留地が出来、西洋の文化が、そこから発信されだした。そのため、神戸には、日本初のものが多くあり、この神戸倶楽部もその一つ。神戸っ子のお国自慢の一つである。又、神戸倶楽部のある六甲山のよいところは、市内にそびえていることと、日本の山にありがちな求道性や哲学がないことだと、司馬遼太郎さんが書いている。『司馬遼太郎追想集・ここに神戸がある』(月刊神戸っ子)の一節。名山と評される日本の多くの山は、たいていの場合、修験者によって開かれた。富士山、御岳、大峰山、葛城山…。しかし、六甲山は、そうではない。登る者に圧迫するような観念的な要素がなく、明るい緑の空気のなかで、若い人は安心して恋を語ることができるし、中年の男性は仕事のことを忘れてゴルフクラブを振ることができる…。それこそが六甲山の値打ちだと・・・。神戸を訪れた時は是非、六甲山を登ってくださいね・・・。
(画像、『グルームのパッティング』明治40年ごろ。市民のグラフ神戸より)
参考:
特集:JGAハンディキャップの制定と目的(財)日本ゴルフ協会
http://www.jga.or.jp/bulletin/vol69/special/sp1_3.html
日本最初のゴルフ場《神戸ゴルフ倶楽部》
http://ohto.ciao.jp/koubegolf.html
クラブハウス探訪 神戸ゴルフ倶楽部
http://www.golfdigest.co.jp/gdo/column/chouse/0101.asp
摂津物語紀行:六甲山:日本最古のゴルフ場がある多彩な山の表情がある
http://www.toyro.co.jp/library/kikou/n_17.html