今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

キスの日

2005-05-23 | 記念日
今日(5月23日)は、「キスの日」
1946(昭和21)年5月23日、日本で初めてキスシーンが登場する映画、佐々木康監督の『はたちの青春』が封切られた。内容的にはホーム・ドラマを基調にした松竹風の青春映画だが、主演の大坂史郎と幾野道子がほんのわずか唇をあわせただけだったが、それでも話題を呼び、映画館は連日満員になったという。終戦後の生活難にあって、人々は、戦時下に制限されてきた娯楽や文化にうるおいを求めていた。闇市では古本が売れ、NHKラジオでは「素人のど自慢」がはじまった。そんなひとびとに文化の薫りを伝えたのはやはり映画であった。とりわけ解禁されたアメリカやヨーロッパの映画は、日本映画にない「自由の匂い」を漂わせ人気を集めていた。
しかし、1945(昭和20)年8月15日の終戦から1952(昭和27)年4月29日の対日講和条約の発効まで、わが国はアメリカを中心とする「連合国」の統治下にあった。戦前、内務省の検閲を受けていた日本映画は、戦後はGHQ(連合軍総指令部)の検閲を受けることとなり、いわゆる「民主主義」的な、あるいは「反軍国主義」的な作品の製作が要請されるため、封建的忠誠心や仇討をテーマーにしたものや心中を是認するものものなどの時代劇や極悪非道な暴力を扱ったやくざ映画などは作ることはできない。「デモクラシー」が流行語にもなっていたこの時代に、戦前は禁止されていたキス・シーンを、スクリーンに描きだすことは、GHQの女性解放という理念をかかげた占領政策の一環でもあった。他に、同年の千葉泰樹監督の『或る夜の接吻』という映画でもラストで恋人達が街角でキスをするシーンがあったがこれは洋傘で覆うという演出でごまかしたものであったっため、佐々木康監督の「いのちの青春」が最初とされている。この映画では、大阪志郎と磯野道子がガーゼを口に含むなどして悲壮な表情でこれを実行したという。ほんのわずか唇をあわせただけの一場面があるだけで日本映画初の接吻シ-ンと宣伝され、大ヒットとなったが、今の若い人たちには、ほんの60年程前に、このようなキスぐらいで大騒ぎしていた時代があったとは、とても信じられないだろう。
この「キス」「キッス」という言葉は、英語のKissがそのまま外来語として定着したものなので、明治時代から生じた言葉である。明治以降、kissの翻訳語としては、概ね「口づけ」「接吻」といった言葉が文学上も使われてきたが、それでは、明治以前の江戸時代にはKissのことをどのように言ってきたのだろう。結論から言うと、江戸時代でも、それ以前から使われていた「口を吸う」が最もよく使われた表現だそうで、「口を吸ふ 時に困ると 天狗言ひ」などという川柳もあるそうだが、何か、この言葉のイメージでは、そう簡単に、人前で出来るものではないだろう。最近は、「口づけ」「接吻」又、「キス」「キッス」などよりも「チュー」などと言う軽い言葉が、よく使われているんじゃないだろうか。このような表現になると、もう、言葉のイメージも可愛いく、なんとなく、どこででも誰とでも簡単に出来そうな雰囲気になってしまう。現に、先日も、孫が、遊びに来て、「ジージー、チューしてあげる」などと言って、額に、「チュー」をしてくれた。もう、小さな子供にまで「チュー」が日常化しているのだろう。
戦前戦後にかけて活躍した女優・田中絹代さんが、1949(昭24)年に芸能人として戦後初めて渡米し、芸術親善使節として全米の日系人を慰問したり、戦没者の慰霊などをした。そして、ハリウッドでは、ベティ・デイビス、ジョン・クロフォードら当時の大スターを表敬訪問し、翌1950(昭25)年1月に帰国。羽田空港に帰国したとき、グリーンのサングラスに毛皮のコートという派手な服装で機内から現れた彼女の第一声は「ハロー」。そして、出迎えの市民らに、学んだばかりのハリウッド調メークで投げキスをして挨拶。世論の激しい反発を受け、その後しばらく深刻なスランプに陥っていたという。又、1950(昭25)年に、田中絹代さんに次いで、コンサートとハリウッドなどでの勉強の為に、訪米した女優山口淑子さん(元参院議員)は、東京での歓送会で映画評論家から、「本場の美しい接吻(せっぷん)の場面を学んできなさい」とアドバイスされ、ハリウッドでの記者会見で訪米の目的を聞かれて、本人は大まじめに「キスの勉強に来ました」と、答えたのだが、ジョーク好きなアメリカ人はこれを、軽妙な受け答えととり、翌日の新聞に、「キスを習いにきた日本の女優」と、好意的に紹介されたというエピソードなどもある。今のように、小学生で性教育をしなければならない時代になってしまうと、「キスをしたら子どもが出来る」などということをまともに信じていた者が多くいた時代が、なにかしら、懐かしくさえ感じられる。
(画像はコレクションのカラクリ貯金箱)
参考:
The National Museum of Modern Art, Tokyo:日本映画の発見IV:占領下のNIPPON
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/98-4-5-kaisetsu.html
私的日本映画50年史 日本映画を振り返る
http://www.pressnet.co.jp/2004_01/0131_25.htm
日本表現規制史年表 1868~1993
http://homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.htmlhttp://homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.html
佐々木康 (ササキヤスシ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/106792/
論文『内から見た日本語』
http://www015.upp.so-net.ne.jp/naka0930/ronbun9.html
映画保存ニュース・アーカイヴ
http://d.hatena.ne.jp/stickyfilms/200101
大 手 小 町*時代を拓いた女性達: 山口淑子さん(元参院議員)
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/jidai/ji170301.htm