今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

通天閣の日

2005-07-03 | 記念日
今日(7月3日)は、「通天閣の日」
1912(明治45)年7月3日、大阪市浪速区に通天閣が完成した。
添付の写真(絵葉書)「新世界(ルナパーク)」の説明には、「通天閣上りマッカ、300尺モアルガ危ウオマヘン、エレベーターにヨッテ電気仕懸ケデオマスサカイ・・・」とある。
新世界 は、1903(明治36)年に、開催された第5回内国勧業博覧会の跡地に建設された歓楽街である。1909年(明治42)年12月、念願の「天王寺公園」が開園された。開発計画では三区画に分けて計画的に、北はパリをモデルに放射線状のショッピングモール、東端にはラジウム温泉の噴水浴場など中央部分は遊園地を中心に、映画館や芝居小屋などが建設されていった。新世界の中央は「ルナパーク」と名付けられ、そこに「通天閣」が建設された。入り口は通天閣の真下。園内には「音楽堂」や屋外大演芸場、動物園もあり、パークの象徴は「ホワイトタワー」と名づけられた高さ40mの塔で、内部に福神ビリケンを祀る堂があった。(今、ビリケンは通天閣に鎮座している)初代通天閣は、1912(明治45)年7月、エッフェル塔をモデルに建てられた。高さ約75m、夜にはイルミネーションが点灯され、タワーの台座は、パリの凱旋門をモデルにしたものだ。又、ルナパークから通天閣へは二条の鉄索で連絡され、短い距離であるが大阪初のロープ・ウエイ飛行機型の鉄車」が運行され、、飛行機からルナパークを見下ろすような感覚で楽園を横断させた。
1920(大正9)年からは、通天閣の側面に電光文字で、「ライオン歯磨」の広告が点灯した。しかし、1923(大正12)年には、早くもルナパークは閉園している。後にこの界隈に「ジャンジャン横丁」と呼ばれる飲み屋街が成立することになる。この初代通天閣は戦時中に、金属回収策のため解体され、1956(昭和31)年に現在の2代目が誕生している。
私が、社会人として、大阪で仕事を始める少し前に2代目が誕生したんだね~。兎に角、この界隈は、当時から、飲み食いするにしても安かったので、入社したての金のない我々は、会社の同僚とよく遊びにいったものだ。まだ、2代目の通天閣が出来て間もなかったからか、大勢の人が出ていたのを思い出す。ここの名物が、ビリケンさんだけど、このビリケンさん、神戸にもいるんだよ。このことは、私のホームページ、「神戸のこといろいろ」の15ページNo71「神戸のビリケン・松尾(稲荷)神社」に書いてあるので興味のある人は見てみて・・・。
(画像は「新世界(ルナパーク)」の通天閣)
参考:
通天閣ホームページ: 
http://www.tsutenkaku.co.jp/
大阪市立図書館WEBギャラリー「ああ懐かしき新世界」
http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme409.html
新世界の歴史 - 博覧会の跡地をめぐって:
http://www.shinsekai.ne.jp/rekishi/4.html