今日は「米騒動の日」
1918(大正7)年、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなった。
第一次世界大戦下の日本のシベリア出兵は、ロシアにおけるソビエト革命干渉戦争の一翼だけではなく、バイカル湖以東の東部シベリアからソビエト勢力を追い払ってソビエト反革命派による日本の傀儡政権を起立し、これまでロシアの勢力範囲であった北満州を日本の支配下におき、あわせて中国本土の政権を日本に従属させるという全アジア大陸支配構想の一環であった。この構想は、陸軍の大規模な軍事拡張と国内の戦時下体制、すなわち民主主義の圧殺を意図するものでもあり、このような意図を含むシベリア出兵は連合国との強調出兵ではなく、日本独自の単独出兵でなければならなかった。軍部の考えるこの単独出兵案は、アメリカなどの反対を理由に、一旦沙汰止みとなった。しかし、その後、袁世凱死後の中国内の情勢変化などから、日本軍の地中海派遣の見返りに、日本がドイツの東アジア・南太平洋権益を継承することを、連合国に認めさせ、アメリカに対しては、石井・ランシング協定(1917年11月)により、日本が中国、とくに満州で「特殊の利益を有することを承認」させた。そして、1918(大正7)年7月、アメリカが英仏の要請を受けてシべリア出兵を提議するや、寺内内閣は、出兵の名分が出来たとして、反対派の原・牧原などの意見を押し切って、8月2日出兵宣言を発した。アメリカは日米同兵力の7千名づつの出兵を提案したが、陸軍は一挙に7万2千「(うち1万2千は北満州)の大軍を送り込んだ。こうして、アジア大陸東部制圧の夢が実現するかに見えたとき、その足元をすくったのが「米騒動」である。政府のねらう出兵効果は、国内の戦時体制化にあり、このときも、挙国一致体制が実現するはずであった。しかし、大戦下のもと、日本経済は、軍需関係産業などは異常な好況にめぐまれ、鉄成金や舟成金が続出した反面、一般民衆は、インフレのため、かえって、生活難に見舞われていた。中でも、民衆を最も苦しめたのは、米の値上がりである。米の暴騰は、基本的には非農業人口の急増と、大米穀商や地主の投機的な買占め、売り惜しみが加わったからであるが、寺内内閣は、インフレ抑制策に対して全くの無策であった。このような中で、米価に最も決定的な影響を与えたのがこのシベリア出兵であった。
このとき、神戸市を例にとれば、1升あたりの米価が7月16日に、36銭8厘であったものが、8月1日には40銭7厘、8日には60銭8厘と8月に入って1週間ののうちに5割も値上がりし、民衆を極度の不安に陥れた。(週刊朝日日本の歴史より)
このようなことから、1918(大正7)年7月23日、富山県魚津町の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こした。これが全国に拡大し9月まで続き、鎮圧に軍隊まで投入され、寺内内閣が倒れることとなったのである。
この富山県で発生した米騒動が日本各地に広がり、神戸でも、8月11日湊川に集った群衆が米屋を襲い、12日夜には、再び集合した群集が、当時米買占めの元凶との噂をされていた鈴木商店本社が焼き討ちにあっている。又、近くにあった神戸新聞本社までもが焼き討ちにあった。13日には、大阪や神戸では朝から騒乱状態となり、軍隊と衝突し、大阪で2名、神戸で4名の刺殺者が出たという。これを機に、日本の労働運動、解放運動、女権獲得運動、農民運動などが、活発になったばかりか、大逆事件以来火が消えたようになっていた社会主義運動も息を吹き返した。この米騒動こそが1920年代の「日本の大衆の時代」を開いた原動力になったといえる。
余談であるが、今では、神戸の人でも大正の頃、三井・三菱と張り合っていた新興財閥「鈴木商店」があったことを知っている人は少なくなったのではないか。鈴木商店は早く言えば、今の神戸製鋼や日商岩井、帝人、サッポロビールなどの前身で、大正6年(1917年)にはついに年商額で「三井物産」を凌ぐ売上を記録し、当時のGNP(国民総生産)の約1割をも占めるようになった。神戸の居留地で砂糖の輸入商として出発した鈴木岩次郎の個人商店がその後、岩次郎が逝去すると、その未亡人「よね」が店主となり、「よね」の全面的な信頼を得て経営を任された、番頭の金子直吉が発展させたのだが、「よね」の考えもしなかった米の買占めにも手をつけてしまったのではないかといわれている。
鈴木商店のことは、私のHP、nostalgia神戸[神戸のこといろいろ」No55”神戸に会った新興財閥「鈴木商店」破綻”で、簡単に記載している。興味のある方は見てね。
(画像鈴木商店焼討ち。写真神戸市文書館提供。習慣20世紀朝日クロニクルより。)
参考:
米騒動
http://db.gakken.co.jp/jiten/ka/133750.htm
米騒動 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
1918(大正7)年、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなった。
第一次世界大戦下の日本のシベリア出兵は、ロシアにおけるソビエト革命干渉戦争の一翼だけではなく、バイカル湖以東の東部シベリアからソビエト勢力を追い払ってソビエト反革命派による日本の傀儡政権を起立し、これまでロシアの勢力範囲であった北満州を日本の支配下におき、あわせて中国本土の政権を日本に従属させるという全アジア大陸支配構想の一環であった。この構想は、陸軍の大規模な軍事拡張と国内の戦時下体制、すなわち民主主義の圧殺を意図するものでもあり、このような意図を含むシベリア出兵は連合国との強調出兵ではなく、日本独自の単独出兵でなければならなかった。軍部の考えるこの単独出兵案は、アメリカなどの反対を理由に、一旦沙汰止みとなった。しかし、その後、袁世凱死後の中国内の情勢変化などから、日本軍の地中海派遣の見返りに、日本がドイツの東アジア・南太平洋権益を継承することを、連合国に認めさせ、アメリカに対しては、石井・ランシング協定(1917年11月)により、日本が中国、とくに満州で「特殊の利益を有することを承認」させた。そして、1918(大正7)年7月、アメリカが英仏の要請を受けてシべリア出兵を提議するや、寺内内閣は、出兵の名分が出来たとして、反対派の原・牧原などの意見を押し切って、8月2日出兵宣言を発した。アメリカは日米同兵力の7千名づつの出兵を提案したが、陸軍は一挙に7万2千「(うち1万2千は北満州)の大軍を送り込んだ。こうして、アジア大陸東部制圧の夢が実現するかに見えたとき、その足元をすくったのが「米騒動」である。政府のねらう出兵効果は、国内の戦時体制化にあり、このときも、挙国一致体制が実現するはずであった。しかし、大戦下のもと、日本経済は、軍需関係産業などは異常な好況にめぐまれ、鉄成金や舟成金が続出した反面、一般民衆は、インフレのため、かえって、生活難に見舞われていた。中でも、民衆を最も苦しめたのは、米の値上がりである。米の暴騰は、基本的には非農業人口の急増と、大米穀商や地主の投機的な買占め、売り惜しみが加わったからであるが、寺内内閣は、インフレ抑制策に対して全くの無策であった。このような中で、米価に最も決定的な影響を与えたのがこのシベリア出兵であった。
このとき、神戸市を例にとれば、1升あたりの米価が7月16日に、36銭8厘であったものが、8月1日には40銭7厘、8日には60銭8厘と8月に入って1週間ののうちに5割も値上がりし、民衆を極度の不安に陥れた。(週刊朝日日本の歴史より)
このようなことから、1918(大正7)年7月23日、富山県魚津町の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こした。これが全国に拡大し9月まで続き、鎮圧に軍隊まで投入され、寺内内閣が倒れることとなったのである。
この富山県で発生した米騒動が日本各地に広がり、神戸でも、8月11日湊川に集った群衆が米屋を襲い、12日夜には、再び集合した群集が、当時米買占めの元凶との噂をされていた鈴木商店本社が焼き討ちにあっている。又、近くにあった神戸新聞本社までもが焼き討ちにあった。13日には、大阪や神戸では朝から騒乱状態となり、軍隊と衝突し、大阪で2名、神戸で4名の刺殺者が出たという。これを機に、日本の労働運動、解放運動、女権獲得運動、農民運動などが、活発になったばかりか、大逆事件以来火が消えたようになっていた社会主義運動も息を吹き返した。この米騒動こそが1920年代の「日本の大衆の時代」を開いた原動力になったといえる。
余談であるが、今では、神戸の人でも大正の頃、三井・三菱と張り合っていた新興財閥「鈴木商店」があったことを知っている人は少なくなったのではないか。鈴木商店は早く言えば、今の神戸製鋼や日商岩井、帝人、サッポロビールなどの前身で、大正6年(1917年)にはついに年商額で「三井物産」を凌ぐ売上を記録し、当時のGNP(国民総生産)の約1割をも占めるようになった。神戸の居留地で砂糖の輸入商として出発した鈴木岩次郎の個人商店がその後、岩次郎が逝去すると、その未亡人「よね」が店主となり、「よね」の全面的な信頼を得て経営を任された、番頭の金子直吉が発展させたのだが、「よね」の考えもしなかった米の買占めにも手をつけてしまったのではないかといわれている。
鈴木商店のことは、私のHP、nostalgia神戸[神戸のこといろいろ」No55”神戸に会った新興財閥「鈴木商店」破綻”で、簡単に記載している。興味のある方は見てね。
(画像鈴木商店焼討ち。写真神戸市文書館提供。習慣20世紀朝日クロニクルより。)
参考:
米騒動
http://db.gakken.co.jp/jiten/ka/133750.htm
米騒動 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95