榮西忌
2005-07-05 | 人物
今日(7月5日)は、「榮西忌」。
京都最古の禅寺で、京都五山(ござん)の一つでもある、臨済宗建仁寺派大本山建仁寺を創建した、榮西襌師の1215(建保3)年の忌日。
開山の祖、栄西禅師(えいさい)、寺伝では”ようさい”というらしい。栄西は、比叡山で修行し、その後二度入宋を果たし、帰国後、二代将軍・源頼家の庇護のもとで、京都東山の地に建仁寺を開き、日本に禅を伝えたが、同時に、中国から茶種を持ち帰って、日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した「茶祖」として知られている。中国から持ち帰った茶種を京都・栂尾(とがのお)高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)に分け与え、明恵上人は、高山寺の庭にその茶種を蒔き、育った茶樹から採取した茶種を茶の生育に適した宇治の地に蒔いた・・・これが宇治茶の始まりという。(高山寺に栄西から贈られた茶を植えた日本最古の茶園が残る。)
この建仁寺のことでは、お茶の「茶祖」の話より以下の話の方に興味がる。
建仁寺には、数々の貴重な文化財が所蔵されているが、特に有名なのが、誰でもがご存知の、国宝の俵屋宗達(たわらやそうたつ)筆「風神雷神図屏風」であろう。しかし、この力強いタッチで、大胆な構図、そして、ユーモラスな風神雷神の表情・・・一度見たら忘れられない作品であり、この作品が「国宝」となっているのもうなずける。
しかし、この作品には、署名や落款は一切なく、いつ制作されたのかも不明で、しかも、この作品の作者とされている絵師の俵屋宗達( たわらやそうたつ)についても何もわかっておらず、生没年すらわかっていないというのだ。それにもかかわらず、この屏風が俵屋宗達の筆になることを誰も疑う人はおらず、江戸時代中期(元禄期)に活躍した画家・工芸家である尾形光琳もこれを俵屋宗達のものと信じ、模倣した作品を制作しているほどでる。
俵屋宗達の描いた風神・雷神図は三十三間堂にある国宝の風神・雷神像をモデルとしたようで、画面の中央部の広々ととられた金箔の部分は、1001体の金色の千手観音からインスピレーションされたものなのではないかと言う人もいる。しかし、三十三間堂の風神の顔は人間離れした鬼にも妖怪にも見える顔だが、宗達の絵では明らかに鬼として描かれている。
風神雷神は6世紀に中国の敦煌(とんこう)で描かれ、自然への崇拝神として崇められた。日本では、雷神は古代神でもある。
私たちのような、素人にはよくわからないものの、この絵の表情はいい。何時まで見ていても飽かない。ところで、風神さん、今の不景気吹き飛ばしてくれない・・・・。
(画像は、俵屋宗達の描いた風神・雷神図)
参考:
建仁寺ホームページ
http://www.kenninji.jp/
俵屋宗達-風神雷神図屏風-
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu_god.html
人形 神仏像 風神 雷神
http://www.inokozaka.co.jp/sinbutu/raijin.htm
京都最古の禅寺で、京都五山(ござん)の一つでもある、臨済宗建仁寺派大本山建仁寺を創建した、榮西襌師の1215(建保3)年の忌日。
開山の祖、栄西禅師(えいさい)、寺伝では”ようさい”というらしい。栄西は、比叡山で修行し、その後二度入宋を果たし、帰国後、二代将軍・源頼家の庇護のもとで、京都東山の地に建仁寺を開き、日本に禅を伝えたが、同時に、中国から茶種を持ち帰って、日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した「茶祖」として知られている。中国から持ち帰った茶種を京都・栂尾(とがのお)高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)に分け与え、明恵上人は、高山寺の庭にその茶種を蒔き、育った茶樹から採取した茶種を茶の生育に適した宇治の地に蒔いた・・・これが宇治茶の始まりという。(高山寺に栄西から贈られた茶を植えた日本最古の茶園が残る。)
この建仁寺のことでは、お茶の「茶祖」の話より以下の話の方に興味がる。
建仁寺には、数々の貴重な文化財が所蔵されているが、特に有名なのが、誰でもがご存知の、国宝の俵屋宗達(たわらやそうたつ)筆「風神雷神図屏風」であろう。しかし、この力強いタッチで、大胆な構図、そして、ユーモラスな風神雷神の表情・・・一度見たら忘れられない作品であり、この作品が「国宝」となっているのもうなずける。
しかし、この作品には、署名や落款は一切なく、いつ制作されたのかも不明で、しかも、この作品の作者とされている絵師の俵屋宗達( たわらやそうたつ)についても何もわかっておらず、生没年すらわかっていないというのだ。それにもかかわらず、この屏風が俵屋宗達の筆になることを誰も疑う人はおらず、江戸時代中期(元禄期)に活躍した画家・工芸家である尾形光琳もこれを俵屋宗達のものと信じ、模倣した作品を制作しているほどでる。
俵屋宗達の描いた風神・雷神図は三十三間堂にある国宝の風神・雷神像をモデルとしたようで、画面の中央部の広々ととられた金箔の部分は、1001体の金色の千手観音からインスピレーションされたものなのではないかと言う人もいる。しかし、三十三間堂の風神の顔は人間離れした鬼にも妖怪にも見える顔だが、宗達の絵では明らかに鬼として描かれている。
風神雷神は6世紀に中国の敦煌(とんこう)で描かれ、自然への崇拝神として崇められた。日本では、雷神は古代神でもある。
私たちのような、素人にはよくわからないものの、この絵の表情はいい。何時まで見ていても飽かない。ところで、風神さん、今の不景気吹き飛ばしてくれない・・・・。
(画像は、俵屋宗達の描いた風神・雷神図)
参考:
建仁寺ホームページ
http://www.kenninji.jp/
俵屋宗達-風神雷神図屏風-
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu_god.html
人形 神仏像 風神 雷神
http://www.inokozaka.co.jp/sinbutu/raijin.htm