今日(7月8日)は、「ナンパの日」
マガジンハウス発行の雑誌『ポパイ』で提唱された記念日。「ナン(7)パ(8)」の語呂合せ。
見知らぬ異性を誘っても良い日、だそうだが・・・。こんな記念日を真に受けて、本気で、ナンパしようと考えてる人も今の時代には結構いるのだろうね~・・・・?
「ナンパ」って、「広辞苑」で調べると、・女性と交際したり、服装に気をつかったりすることを好む態度。また、そのような人や、一派。 ・ 街頭などで声をかけて、男性が女性を誘うこと。「―して遊びに行く」 などとあり、今や、辞書にもちゃんと載ってるが、もう一つ、歯切れの悪い解説である。要するに、「ナンパ」とは、特に交友関係のない女性を男性が誘うこと。男女関係を避けることを硬派と呼び、その逆の「軟派」から転じて、カタカナ言葉のナンパになったもの。また、ナンパをしそうな軽薄な男を指すこともあり、女性側から男性を誘う行為を、「逆ナンパ」あるいは「逆ナン」と呼ぶんだそうだ。
この言葉は、私などが青春時代にも既にあったが、最初から「セックス」を念頭に置いて、女性を求めているような時に使われ、やや陰湿な感じで、当時はよい意味では使われていなかった。しかし、「ナンパ行為」そのものは出会いの一種であり、当時は、ナンパよりも「ガールハント」その逆の「ボーイハント」などといった言葉(英語ではなく造語)が流行っていたと思う。これらも結局は「ハント」するので、同じ様に見えるかもしれないが、必ずしもセックスを対象にしたものではなく、明るく陽性な感じであった。そうだろう、我が青春時代の、昭和30年代といえば、まだ、男女交際もそんなにオープンではなく純な時代で、今のようにセックスがはびこっている時代ではなかった。だから、少し男女交際に積極的な男女が、異性との交流を求めて近づいた。だから、「ハント」には、肉体だけではなく心も含まれていた。1956(昭和31)年、まだ一橋大学の学生だった石原慎太郎の小説(『太陽の季節』第34回「芥川賞」受賞。)を日活で映画化した同名『太陽の季節』が一大センセーションを巻き起こした。もともと、この映画は日活お得意の湘南青春映画の1本として製作された作品であるが、従来のモラル観を打破する「太陽族」の生き様を描くというその衝撃性が原作同様に注目を浴びたのだが、『障子破り』の過激な性描写など、賛否両論の論議を巻き起こし、一種の社会問題ともなり、ガールハントに励む不良大学生を指して「太陽族」と呼ぶ言葉が生まれ、「慎太郎刈り」というヘアースタイルが流行にもなった。また、ちょい役で出演した石原裕次郎が、製作の水ノ江滝子の目にとまって一躍スターにのし上がったのもこの映画が始まりである。
私が『太陽の季節』を読んだのは高校生になったばかりだったと思うが、「芥川賞」受賞小説と言われても、『障子破り』の性描写など異様な感があり、「どこがいいのか・・・何が言いたいのかよく分からない」状態だった。石原慎太郎自身は『太陽の季節』について、これは、当時放蕩三昧の裕次郎から聞かされた、えげつなさに感心した話を基に据えた、若い男と女の逆説的な愛の物語」を書き記たといってるように、この映画は、当時の常識を覆す内容のものであるが、今の時代で見ると・・・「なんだ、これくらいのものが」・・・単なる青春映画じゃないかと言うことになるかもしれないね~。
昭和30年代後半、私は、東京の会社にいた。当時、日比谷の日生劇場の前は若い男女のデートスポットだったが、ここには、まだ、相手の見つかっていない女性もたむろしていた。同じ会社の発展家の同僚が「ガールハントなどなんでもないよ」といい、試しについてきなと誘われて、一緒に行くと、流石が・・・、今で言えばナンパ男の彼が誘うと5人に1人は交渉成立。その凄腕には、ほとほと感心したのを思い出す。今、カリスマナンパ師(サンジ氏など)といわれるものも出現して、ナンパ方法を教える「ナンパビジネス」まで存在している。・・・こんな現状どう思いますか?
(画像は、「即系物件」 裸の渋谷少女たち。sanzi (著)。「即系物件」とは、ナンパ師たちの間で使われる用語のひとつで、彼らの中では「すぐにヤラせてくれる女の子」を意味する言葉だそうである。)
参考:
ナンパクラブ~ナンパ師ナンパ相談~
http://sanzi.net/
マガジンハウス発行の雑誌『ポパイ』で提唱された記念日。「ナン(7)パ(8)」の語呂合せ。
見知らぬ異性を誘っても良い日、だそうだが・・・。こんな記念日を真に受けて、本気で、ナンパしようと考えてる人も今の時代には結構いるのだろうね~・・・・?
「ナンパ」って、「広辞苑」で調べると、・女性と交際したり、服装に気をつかったりすることを好む態度。また、そのような人や、一派。 ・ 街頭などで声をかけて、男性が女性を誘うこと。「―して遊びに行く」 などとあり、今や、辞書にもちゃんと載ってるが、もう一つ、歯切れの悪い解説である。要するに、「ナンパ」とは、特に交友関係のない女性を男性が誘うこと。男女関係を避けることを硬派と呼び、その逆の「軟派」から転じて、カタカナ言葉のナンパになったもの。また、ナンパをしそうな軽薄な男を指すこともあり、女性側から男性を誘う行為を、「逆ナンパ」あるいは「逆ナン」と呼ぶんだそうだ。
この言葉は、私などが青春時代にも既にあったが、最初から「セックス」を念頭に置いて、女性を求めているような時に使われ、やや陰湿な感じで、当時はよい意味では使われていなかった。しかし、「ナンパ行為」そのものは出会いの一種であり、当時は、ナンパよりも「ガールハント」その逆の「ボーイハント」などといった言葉(英語ではなく造語)が流行っていたと思う。これらも結局は「ハント」するので、同じ様に見えるかもしれないが、必ずしもセックスを対象にしたものではなく、明るく陽性な感じであった。そうだろう、我が青春時代の、昭和30年代といえば、まだ、男女交際もそんなにオープンではなく純な時代で、今のようにセックスがはびこっている時代ではなかった。だから、少し男女交際に積極的な男女が、異性との交流を求めて近づいた。だから、「ハント」には、肉体だけではなく心も含まれていた。1956(昭和31)年、まだ一橋大学の学生だった石原慎太郎の小説(『太陽の季節』第34回「芥川賞」受賞。)を日活で映画化した同名『太陽の季節』が一大センセーションを巻き起こした。もともと、この映画は日活お得意の湘南青春映画の1本として製作された作品であるが、従来のモラル観を打破する「太陽族」の生き様を描くというその衝撃性が原作同様に注目を浴びたのだが、『障子破り』の過激な性描写など、賛否両論の論議を巻き起こし、一種の社会問題ともなり、ガールハントに励む不良大学生を指して「太陽族」と呼ぶ言葉が生まれ、「慎太郎刈り」というヘアースタイルが流行にもなった。また、ちょい役で出演した石原裕次郎が、製作の水ノ江滝子の目にとまって一躍スターにのし上がったのもこの映画が始まりである。
私が『太陽の季節』を読んだのは高校生になったばかりだったと思うが、「芥川賞」受賞小説と言われても、『障子破り』の性描写など異様な感があり、「どこがいいのか・・・何が言いたいのかよく分からない」状態だった。石原慎太郎自身は『太陽の季節』について、これは、当時放蕩三昧の裕次郎から聞かされた、えげつなさに感心した話を基に据えた、若い男と女の逆説的な愛の物語」を書き記たといってるように、この映画は、当時の常識を覆す内容のものであるが、今の時代で見ると・・・「なんだ、これくらいのものが」・・・単なる青春映画じゃないかと言うことになるかもしれないね~。
昭和30年代後半、私は、東京の会社にいた。当時、日比谷の日生劇場の前は若い男女のデートスポットだったが、ここには、まだ、相手の見つかっていない女性もたむろしていた。同じ会社の発展家の同僚が「ガールハントなどなんでもないよ」といい、試しについてきなと誘われて、一緒に行くと、流石が・・・、今で言えばナンパ男の彼が誘うと5人に1人は交渉成立。その凄腕には、ほとほと感心したのを思い出す。今、カリスマナンパ師(サンジ氏など)といわれるものも出現して、ナンパ方法を教える「ナンパビジネス」まで存在している。・・・こんな現状どう思いますか?
(画像は、「即系物件」 裸の渋谷少女たち。sanzi (著)。「即系物件」とは、ナンパ師たちの間で使われる用語のひとつで、彼らの中では「すぐにヤラせてくれる女の子」を意味する言葉だそうである。)
参考:
ナンパクラブ~ナンパ師ナンパ相談~
http://sanzi.net/