“子の神園 守りて八十四の春” 少しく言い過ぎで冠り過ぎながら、メイトの散歩や鞠投げの公園としても有り難く貴重な公園である。家に直近で私なりに大事にし、わずかのゴミ片付けやタバコの吸い殻などを拾い集めて、綺麗な公園にしたいとの願いからそれを実行し、その気持ちを持ち続けて来た。3つのゴミ箱撤去に3年程区役所との折衝に時間を費やし、今でもゴミを捨てて行く不埒者が居るものの、昔に比べれば格段の違いですっかり綺麗な公園になった。ゴミ箱撤去が確実に奏効した事例である。そして更には公園の欅の植樹に関してではあるが、2度植えて枯れてしまったままで、植木屋がたまに来ても草刈りや当日だけのゴミ集めに終始していた為、これまた区役所に要望し、注意を喚起した。「3本目を植えても、このような植え方とアフターケアー無しでは、何度植えても同じ運命でまた枯れますよ」と説明を加えてお願いして置いたたわけである。「3本目の正直でよろしく監理を頼みますよ」と依頼をして置いたわけである。おにぎりに棒を差したような植え方から、根を深めに埋め植えて、その根廻りに円周の水溜りの窪み作ってくれた。果たせるかな、これで3本目の欅は見事に根付いて今なお生き生きと発育を続けている。行政は中なか言うことを聞いてくれない。しかし今回は熱意が通じたということである。欅を見るたびに力闘を懐かしく想う。