寒い朝であった。69年前の今日の朝まだき、重大発表が有るというので、午前6時丁度、ラジオの前で、耳を澄ませて放送を聞いた。「帝国陸海軍は本8日未明、南太平洋方面で米国と戦闘状態に入れり」と、参謀本部の平出大佐が緊張した声で発表された。吃驚というより何か大変なことになったな!と子供心に緊張と驚きを感じた次第だった。当時中学3年生の後期の学期中で、昭和16年12月8日である。さぁーそれから生活が一変した。4年前に遡り、昭和12年7月7日盧溝橋で日支事変が勃発しており、その続きでこれから大戦争になるなと実感した。従って戦時一色の中学生時代を経験したわけである。けさの新聞はおろかTVも1字だにこのことは触れていない。
昭和20年終戦後、日本は憲法を初めあらゆる制度が大きく変革を示し、古来の固有の文化も改変を余儀なくされて、今日に到っている。小学中学以降のわが人生も、大きく影響を受けて変貌を遂げたたこととなる。平和で自由な文化国家として、地球規模の全世界の中で、わが国は樞要な地歩を占めている。目出たしと言うべきであろうが、国際情勢は常に安定しているかと言えばそうではない。平穏無事ではない。外交、軍事面で緊張や戦略が跋扈していて、相応に不安定で、大変というより他はない。時の政府に、しっかりせよと叱咤激励するより仕様がない。往時を想起して若干の感慨を述べた迄である。
昭和20年終戦後、日本は憲法を初めあらゆる制度が大きく変革を示し、古来の固有の文化も改変を余儀なくされて、今日に到っている。小学中学以降のわが人生も、大きく影響を受けて変貌を遂げたたこととなる。平和で自由な文化国家として、地球規模の全世界の中で、わが国は樞要な地歩を占めている。目出たしと言うべきであろうが、国際情勢は常に安定しているかと言えばそうではない。平穏無事ではない。外交、軍事面で緊張や戦略が跋扈していて、相応に不安定で、大変というより他はない。時の政府に、しっかりせよと叱咤激励するより仕様がない。往時を想起して若干の感慨を述べた迄である。