その昔戦時中に、吾が県立中学は5月22日の今朝、正0時校門を一斉に出発して秩父神社までの往復64kmの遠行競争に、暗い真夜中にスタートした。「その意気や壮なり」と言うべしであった。寧ろ当たり前で少しも高ぶるところは無かった青少年であった。何しろ14歳から18歳の選ばれた中学生であるからである。全県下で五校しか県立中学は無く一中学150人定員で、一つの中学で全校750人だったのである。何しろエリートを持って任ずる若き新進気鋭の戦時中の若人達であった。その意気込みは正に天を衝くものがあった。今時こんなことを書くと笑われる方も有ろうと考えるが、戦時下の銃後の若人こそが、国を担う重責を託されていたものと、国民全部が覚悟していたのである。自らを鍛えることが心身鍛錬の最先端で要望され、それが自然であったわけなのである。当時青少年学徒に賜りたる勅語奉戴記念の日の学校行事であったのである。途中憩いは取れるが、大体9時間半で秩父神社に到達できる行程であった。午後2時頃が待機の終末時間であり、秩父電車で帰校出来る予定構想通りに、実行出来たのである。懐かしい記念すべき学校行事で、思い出となっている。退院を間近に控えているのでいろいろの打ち合わせに病室を訪ねた。家内は頗る元気で明後日のその日を待つ焦がれていた。色々憶い出すことが多く語りきれないが、退院の幸運を家族一同に完璧に伝えて行きたい。