日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

今日これで、もう1回の入試を残すのみ。東関東大震災1周年

2012年03月11日 | Weblog
 今朝7時半には最初の受験生がもう来校した由、総務課長から聞き、恐れ入った次第である。昨日公私立の大学入試の発表が有ったばかりだけに、今日の本校の入試も、良い学生が大勢受験するようである。嬉しいが選抜が大変であろう。今続々集まりつつある。早朝7時45分には着校出来たが課長は既に玄関で学生を案内誘導していた。
今日は東関東大地震の満1周年の日である。午後2時16分には、学校をあげて被災逝去の県民の皆さんに哀悼の誠を捧げ黙祷する予定である。
 午后丁度2時46分の大震災発生時、国立劇場での政府主催の慰霊の儀が行われ、黙祷の後、天皇陛下の式辞を拝聞し、家内と共に被災者の健闘と、行くへ不明者と死者の冥福を祈った次第である。


明日震災満一年、今日は昔の陸軍記念日、また東京大空襲の日

2012年03月10日 | Weblog
 東関東大震災から明日で丸まる一過年を過ぎた。政府や代議士を始め、全く右往左往して打つ手も示されず、現下喫緊の対策が無い。日本よ何処へ行くだ!? 夜来の大雨が早朝雪に変わった。メイを連れての朝の散歩も傘を差して予定通り実施。でも雪と寒さで中々進まない。それに氷雨で何時もの行事が遅れた。遂に終ってから又雨中を帰宅した。メイは傘が兎に角嫌いである。家の中の毬投げを終え朝食を摂って、今はソファーでゆっくり寛いでいる。静かな時間が流れて行く。
 今日は、皆忘れているだろうが、昭和20年の東京大空襲の日である。陸士東校庭から焼夷弾で煌煌と明るく照らされた下で、東京が焼けて行く姿が、無念で成らなかった思いが強い。それに陸軍記念日でもある。今時こんな事を思い出す人は、もういないかも知れない。陸士の友達も一人一人亡くなって行く。歴史は無惨である。一筆記して昔の縁と致して置きたい。
 正午からある学会に出て会則委員長として発現し理事会で承認された。学会では耳鼻科医師として学校名を掲げて質疑応答した。終って今度は新宿へ、医大学生の運動部OBと学生との納会に出席し、雄弁を振るって楽しかった。午後10時10分タクシーに送られて帰宅した。兎に角メイは偉い。ちゃんと寝床から起きて、階段で私を待ち受けて呉れた。流石だ! 益々メイが可愛くなってしまった。明日はまた入試だ。早く休んで早朝に出発せねば成らない。併し今日の学会とアイスホッケー納会での私の意見を、思う存分全員に発言出来た事は、大変楽しく嬉しいい事であった。憶い出に残ろう。

息子の誕生日

2012年03月09日 | Weblog
 今日3月9日は、息子の誕生日である。昨日は息子の車の車検も終えたし、孫の車も修理を終えたそうで、皆家中が片付き綺麗になって安心立命この上無しである。昨日午后からブログの製本を依頼しようとしたが、深更に及んでも不十分で、申し込もが出来なかった。前回も娘が何時もやって呉れているたので、Skypeで頼んだ所、早速やってくれる事と成った。早くから気が付けば、4~5時間も掛けて苦労しないで済んだ事だったと残念無念! その代わり、今朝早めに原稿を仕上げ、メールで送って置いたところである。軈て装丁本が送られて来るであろうと、楽しみにしている。今日は1日中雨の予報である。これか日本学術会議のOB会の理事会に出席して来ようかと思う。何しろ事務局長のYさんが私の来会を楽しみにしているとの由だからである。
 午前11時会議場へ着き、何時ものOBの皆と歓談し、きちんといろいろの会議総会の進行や、役員改選なども手順を経て内定した。昼食を頂いて,又暫く会話が続き午後13時半終了した。中々に楽しい会議であった。雨が酷く往復が大変であった。

ブログの製本、PCで仕上げが出来ず-娘に依頼すー

2012年03月09日 | Weblog
 遂に5時間程悪戦苦闘すれども、製本化の為の申し込みが出来ず、夜11時止むなく就寝した。苦心が過ぎて夜半にAFが起こり朝4時半過ぎ目覚めて、ベットでいろいろ考えを巡らす始末。この間3回トイレに立つ、矢張り龔を詰めてパソコンを操作する事は、AF発作のストレスに成り得るのかと、考察してしまった。消えた文章などを娘にメールで送って、注文をしてもらう事とした。いま朝6時45分、文書その他をメールで発送しようと準備をしているところである。その条々を示すと。以下の如くである。
標準サイズ、横書き、教科書体、表紙タイプ例年通り、タイトルは、日々是好日ー家族と共にー、著者名は内田 安信、日付け範囲は、2011.02.05より2012.03.09まで。表紙に日付範囲を印刷する、又ブログのURLをytmei39と印刷する、前髪のタイトル別紙で送付した。前書の日付2012年3月、署名内田 安信(紫水)を目次エントリーに入れる、古い日付を先頭にする、記事は日付毎、本文中の日付印刷を印刷する。先頭行の字下げ、しない。後は、含める等々で良いと思う。My Books.jpのパスワードは、yu2935の様らしい。これはそちらの方が正しいと思うから、万事宜しくね。分量が多い場合は、2冊にして下され、表装はB6で装丁本らしく、厚紙付き。後は全部おまかせ。印刷引き受けの My Booksは、土日はお休みらしい。


卒業式を終えてやっと一息

2012年03月08日 | Weblog
 陸士の同期生の見舞い、昨日の卒業式、3月11日の入試など、それぞれれに、準備や気構えなどで大変だった。が、全部これからも、上手く行きそうである。本校でたった一人の医師として、また学院長としての矜持が、昨日の卒業式を成功に導いたと言っても過言でない。皆喜んで呉れてとても嬉しかった。いま気分は極めて爽快である。
 今日は昨日と異なり、曇り雨模様である、やっと一息ついた所で、静かな日常を取り戻そうと思い、ゆったりと居間で寛いでいる所だ! 一昨日夜は、PFで不眠だったが、昨夜は洞調律に戻り断った1回のトイレに立っただけで、安眠出来た、健康志向で安眠である、何と嬉しい事か!いまパソコンに向かって、明日明後日その翌日と、3つの会議に臨む気持をゆっくり培っているところである。メイは今朝も所定の散歩と鞠投げを実施できた。唯し、昨夜は寝しなに2度ばかり吐いて吃驚したが、今朝は大丈夫で散歩も出来て、安心している。健康こそ何よりである。
 写真は、昨日の謝恩会で学生から貰った感謝の生け花、チュウリップ他である。美しく綺麗に元気で部屋を飾っている。

春暖、感激の卒業式

2012年03月07日 | Weblog
 昨日に引き続いて今日もこれから晴れである、既に気温が高く朝の散歩でもコートを前肌脱いで公園のあちこちをリードを着けて歩いて、朝の何時もの儀式行事と、5回のボール投げも終了できた。特記すべき事は、ヤブ、モモの飼い主から、メイのウェストが細くなったと言われて、ホッと安心した所である。矢張り親が節制して、メイにも間食を与えないことが、除除ではあるが功を奏したものと言えよう。苦心すれば動物も馴致するものである。嘗て年寄り夫婦が連れ歩いていたワン子、ヤブのお母さんが昨日会った由、ところが見事に太り太って、身動きが侭ならないようだったと言う。公園でも、見ている所で餌を与えていたそうである。可哀想に、飼い主の不摂生から太り過ぎで、早死にになることであろう。
 昨夜は少しばかり今日の卒業式の式辞を整理した。極めて簡単に修飾語を成る可く省き、卒業生の事のみを喋ろうかと思う。それで良いと思う。覚悟は出来ている。
 今日の卒業式は成功裡に終った。有り難く大変嬉しい。卒業生の意気は軒昂であり、教師と生徒の疎通は完全に執れて、有意義で記念すべき式典となった。その後の謝恩会では、皆で仲良く会話や握手が出来た。その上教職員全員へ感謝の花束と、具体的なお礼の言葉乃至手紙を読んで、その手紙を教員夫々に呈上することなど。会場が全て感涙に咽び、取り分け出席者は、感慨無量なものを痛感した次第である。私は式辞を思い切り述べる事が出来て、これこそが学生への愛情なりと確信した。

4月頃の気温18℃と言う暖かさ!

2012年03月06日 | Weblog
 昨日の寒雨に引き換え今日は春四月の陽気だそうである。雨中傘を差してメイとの散歩も型通り実施できた。雨で公園広場も濡れて雨水の流れがあちこちに砂を削って流れていた。そのせいか誰にも会わずに帰宅し、車庫でボール投げを実施した所である。朝食も十分に食べて、メイは居間の絨毯で休んでいる。霞が広く漂っていて、これから雨空が晴れ上がるとの天気予報を信用して、屋上に干し物を実施した。間もなく昼過ぎには晴れ上がるであろう。それかあらぬか、只今の午前11時近く、正に、太陽が顔を見せ始めた様だ!有り難い。丁度春の4月のような陽気である。気温は15℃から18℃だそうで、中国地方では春一番が吹いたそうである。道理で温暖そのものになったわけである。
 これから明日の卒業式の式辞の原稿の粗筋を纏めておこうかと思う。簡潔明瞭で分かり易いのが基本になると思う。

冬の3寒4温ならぬ春雨、啓蟄の日

2012年03月05日 | Weblog
 立春が過ぎて約一ヶ月も過ぎているこの時季、水仙は疾うに咲き、梅の便りも遅くも聞かれ始めているのに、寒い春雨が時折訪れて不順な天気が続いている。今朝は朝礼なので、朝7時にはメイと家内の見送りを受けて、広く大きい傘を差して家を発った。寒い春雨が盛んに降り注ぎ、大きいコウモリ傘を差さ無いと、ズボンの裾がびしょ濡れになってしまう程の驟雨である。
 午前8時10分前、学校には早くも多くの教職員が集まり始めて、学生教育や卒業式の準備を進めている。有り難く偉いものである、と感心してしまう。朝礼では明後日の卒業式に就いて快晴となって、実力の有る学生が卒業する良い式が、開催されるであろうとの、期待と明るい希望を述べた次第である。
 今日は啓蟄の日である。この大雨では、虫が地中の穴から這い出す事は無論、外界を覗く事さえ叶わずと思われる。驟雨に見舞われた太平洋の沿岸地区では、寒さも伴って、虫達には過酷で可哀想な啓蟄の雨の日である。明日・明後日には気温も上がり、晴れるようである。天候回復を大いに期待しよう。明後日の卒業式には、きっと晴天となるであろう。

霜柱去り黒土が顔を出す、されど春未だ浅き

2012年03月04日 | Weblog
 公園の草原も霜柱が去って、黒土が芽を出している。されど風は心無しか冷たい。メイは盛んに縦横に黒土を踏んで公園を巡り歩気元気である。立春を過ぎてもまだ朝のうちは寒い。春まだ浅いと言う感じである。昨夜は珍しく熟睡出来て、今朝の目覚めは素晴らしく心地よい。昨日、旧友の病床お見舞いが済んで、何故か義務感が終えて、済ますべきことを果たしたような感慨が過る。昏睡していて植物人間は何も語らず、これからどんな手順を踏むことであろうか? きっと一家がそろそろ決断を踏むことになるであろうと、思われる。
 公園の木瓜も、まだ莟が堅く僅かに花芽が、それらしい顔を出し始めている。水仙は疾うに咲き出して、悪戯小僧に手折られ残った花が、まだ咲き続けている。梅もそろそろ咲き出し始めた。寒さにリンとして立ち向かう姿が可憐だ!
 午后から9日の卒業式の式辞のあらましを考え、併せて「仰げば尊とし」と「蛍の光」の歌詞を空で歌えるように丸暗記を試みてみた。音楽が背景にあると、自然に歌詞も出てくる様だが、白紙に書き連ねてみると、中々に出て来ない箇所もあって、一寸苦心した所である。併し会場では、音楽を背景に皆に併せて歌えば済むわけなので、無理に暗誦する程でもないと、考えた次第である。
 今年からに更に式辞も、もっと簡単に修飾語を省いた上で、卒業生だけ向きの話題にしぼって2~3分で終らせようかと、考えた次第だ!これで良いと思う。

桃の節句、同期生のお見舞い

2012年03月03日 | Weblog
 三月三日この日は桃の節句である。昔は誰でも楽しい懐かしい季節感溢れる❣おひな様❣の日である。取分け女の子にとっては憶い出深い一日であろう。日本の良い国民慣習としての、喜びの慶節の日であった。何処の家庭でもお雛様を飾って、段々囃子の雛壇を飾り、桃白酒や雛あられを、好んで食べ、お話を楽しんだものである。まこと日本の良い風習であった。
 メイとの散歩は、公園にモモとミッキイーちゃんが居て、少しく遊んだ後、駒繋ぎ公園方向に一緒に皆で歩んだ。モモは途中で引き返し、ミッキィーは他所の奥さん同士の長話の為、一家三人は別れて神社に向かったわけである。行きはきたに向かって歩く為、北風が未だまだ寒く、逆に帰りには太陽も顔を出して、世間一帯が明るく暖かくなった。昨日の一日中の雨模様とは打って変わって、今日は屋上に洗濯物が干せた。お雛様の日の為に、駒繋神社に途中で礼拝した。玄関の南天が伸び過ぎて、枝葉が散るものだから、今日思い切って剪定した。柿の木の根元に葉欄が増え過ぎ、その一枚が風に煽られて、ぱたんぱたん音を立てて静けさを破るので、除去してしまった。これで風の音だけになり、静かになって良かった。雑音が無くなり、助かった今日の昼過ぎである。
 陸士の同期生が昨年末急に脳腫瘍が発見されて、入院オペを受けた由、これ又同期生から急報を受けた。本日午後2時頃から準備して、バスと電車を乗り継いで郊外の病院にお見舞いに出掛けてきた。流石に腫瘍が散発していて、今後又のオペの仕様がなかった由と医師に言い渡され、最早の命と宣告されていたとのことであった。可愛想でお気の毒としか言いようが無い。1日一万歩を実行して健康と体力保全を心掛けていた彼だけに(奥さんの言)大変お気の毒と感じ、今後出来るだけのことを医師と相談してやって欲しいと願って、2時間余り本人の様子を見聞して帰ってきた。本人は意識も消失し視聴力も無く、大声にも反応がない。耳と目元で私と大崎君の名前を叫んでも反応が見られず、心無しかやっと目が開き口を閉じ、頬に笑み?を感じたかに?見えもしたが、それはこちら私一人の早合点かも知れない。今後の回復を切に祈りたい。ご家族に、若しかの回復を望んで、頑張りをお願いし元気をつけてきた次第である。