天気が美しく晴れて、今日は本当に親族だけによる家内の納骨式である。 鎌倉霊園に午前10時半が、既定の式の時間帯と順序なのである。全ての準備は昨夜に済ませており、今朝は服装を整えて実妹を迎えて同道すれば、予定通り行われる事となっている。60年全て一緒に我家の発展に向けて一心不乱に奮闘努力してきた歴史は、こよなく尊いし有り難い極みでとりわけ家内の尽力に感謝の外は無いのである。さて、これから服装を整えて肉親揃っていざ出発、先ず家内の実妹を奥沢の自宅で同道して、一路第三京浜を南行して鎌倉霊園を目指した。到着したのは9時ころであった。時間に余裕があったので墓地墓標を訪ねて、墓石を清拭したりコーナーの雑草を除去したり、隣り合った家内の実家の墓地も綺麗に清掃した。幸い我が家の墓地は注文通り雑草が生えないように材品が工夫選択されていた。さすが特別な砂利なども使用されており、雑草は全く無く綺麗であった。所定の午前10時半前、僧職の説明と読経が始まり、骨壷を格納して、追・哀悼の祈りと、香気溢れるお線香を点し、それぞれ祈念祈願し、感謝して、約50分に及ぶ納骨法要が終了された。故人も、さぞ落ち着いて、静かに天国に逝かれたことと思われる。今頃は隣の亡き父母と、いろいろ和やかに語り合って居ることでありましょう。
昨夜の吾が医学部のアイホの40周年記念祝賀会、大変爽やかに歓迎会も開かれ、議事に従って予定通り有終の美をもって終えることが出来た。前と前前部長が用務で欠席であったが、進行が予定通りで、和やかな気持ちの良い進み方であった。私は途中で初代部長として逸話を含めて落ち着いた口調で、40週年の経緯とその間の部員各位の労苦を労い感謝を表意した。現部長とOB会長の挨拶の後で、ゆっくりと40年の活躍の歴史の説示と、今後の心意気を十分に述べることが出来、大いに満足できた記念祝賀会であった。その後に、新入部員5名をはじめ10名のマネージャーの紹介と挨拶も済んで、定刻に全員で校歌を斉唱し、非常に楽しく和気藹々の雰囲気の会を閉じることが出来た。午后10時には車で送られて帰宅でき、有意義な会の一日を嬉しく省察して、眠りに入れた次第である。祝賀記念部誌の発行も予定通りで、初代部長の私の意向が十分に生かされた、綺麗な素敵な思い出に残る上梓刊行であった。
成るべく自然詩的に大人しい論調でブログを書くと、多くの方々が注目くして読んで下さる。有り難く喜ばしく嬉しいことなのである。昔の話し方教室での教科で天気のことを書くと人畜無害で万人向きであると教えられた。確かにそうであろう。人口に膾炙したことなら良いとして、他人事や噂などを資料に論う事共は、最も人間性に悖るとも言われ事実そうである。慎むべき事柄なのである。今日は一転天気が回復してきそうである。午後7時からの運動部の40周年記念祝賀会が好天に恵まれて、気持ちよく温和な祝賀が行われるであろうと思い、楽しみで幸先が良い。午後から簡略に挨拶する骨子を纏めて、祝賀会での最初の歓びを共にしようと心掛けている。
庭の隅に4〜5日前から番まつりの紺紫色の花弁が花開き、一昨日辺りから徐々に白色に変化した。今日も多数の紺から白く変色した小さい花弁が見られて、兎に角可愛いい。二日三晩で紫から白に変色するのが特徴で、2年前には無知の花卉であった。登学の途中で2箇所で、この花を見つけてから、早速花卉店で一鉢を購入して来たもので、今年で庭植えしてから初めての開花であった。それだけに殊更美しい。さて、明日は医学部の部活40週年の集いが企画されており、いろいろお世話になった3名ほどに、今年2月上梓の自叙伝を差し上げるつもりである。謹呈と自著名を墨書して贈るつもりである。写真は開花した番茉莉の綺麗な花である。。
天気が未だに安定しない。科学や気象観測機器などが格段に進歩している筈なのに、そして何故か予報が当たったとしても、何とも気が晴れない。国内外の世情が妙に不安定のせいか。人心がそれこそ不安定の極みに至っているのであろうと思惟する。今世紀は穏やかに世界が平和で暮らし易い生活が維持保証発展していると思いきや! 真逆の世界に転落してしまっているようで、残念だが本当に情けない次第である。情報過多が災いしている所為かも知れない。曇り空で午前中しか洗濯物も干せないかも知れず、散歩をしようにも雨が何時降るやも知れず、思い止まっているところである。が午後一時過ぎにスタートした。世田谷公園まで散歩して緑陰のベンチで憩いながら3人?で池水に泳ぐ鴨夫婦を観察していた。やおら立ち上がって公園内の歩道を歩み、また家内とメイとで歩んだ広場のベンチでも憩い、今は亡き二人!を偲んだ次第である。帰途下馬のサミットで夕飯の材料を買い求めて午後3時40分に帰宅できた。昔良く散歩し道ながら、一人散歩でも手頃で丁度程よい距離である。これからも直ちょく利用して、脚を鍛え健康を保持しようと思う。
今週の終わりの19日と来週の初めの21日で、行事は滞りなく終了する予定である。今週土曜日は医学部の部活の40周年記念祝賀会なのである。来週月曜日は故人となった家内の鎌倉霊園での納骨式である。内輪と言えばそれまでだが、ごく肉親だけの心温まる静かな葬儀なのである。きっとしめやかに故人の在りし日の面影が偲ばれよう。昨日と今日は夏日で暑さは本年の最高であったが、明日からは下り坂で気温は若干低めとなる模様である。デパートで修理を終えて、昨日で2つとも万年筆が書きやすい状態になった。これでこれからは縦横に、便りや返事、お礼などが、綺麗な便箋へ書きたく成るであろうと思う。皐月も半ばを過ぎてあと半月で、水無月に突入!することとなるであろう。
京都へ家内と二人で行った名勝旧跡や神社や寺院など、嘗って二人で見て廻り二人で歩いた思い出の道を辿りながら、「低回して去る能わざるものを感じつつ」徘徊して思い出に浸ってきた。東京では幡ヶ谷不動尊、代々木八幡様には、まだ家内の報告を済ませていない。そこで京王デパートから万年筆の修理完成の報告があったのを切っ掛けに、両社への参拝を兼ねて今朝はこれから出掛けることとした。晴れて夏日になるらしいので、帽子をかぶって出かけようと思う。予定の通りに代々木八幡様、ついで幡ヶ谷のお不動様への報告とお礼の参拝を行った。これでホット安堵をした次第である。その後京王デパートで万年筆の修理を受け取り、付近の電気カメラ店でパソコンを見学して、また渋谷に戻り、成城石井店で食品を買い求め、午後4時過ぎに帰宅できた。有意義で区切りが果たせた外出であったと思う。
京都の八条ヶ池畔の壮大で綺麗な霧島ツツジも先月25日には花弁が消散して終え、もっぱらその後は一般のツツジが花弁を大きく開いて期間を伸ばして咲き誇っていた。が、只今は皐月が全盛の季節に変わった。葉が細かく花弁も小さく長持ちをする皐月、落ち着いて淑やかで静かな温容である。昨夜の大雨を最後に愈皐月も終えて、水無月の盛夏を迎えることになるであろう。晴れてこれから溌剌と行動できる水無月だが、幾分梅雨が気がかりだが、入梅まであと一ヶ月もあるので、意気衝天の気分で頑張ろうと思う。今日は屋上に洗濯物を干してから、庭の片隅の南天を裏の片隅に移植しようと思う。玄間から移植した大きな南天が生着せず、小さいながらも元気なものと入れ替えようと思う。時季はまさに「小満」と言って、立夏後の15日目頃で、来週月曜日が該当する。陽気盛んで万物が成長して一応満足の大きさに達するという意味である。植え替えに丁度よい季節と思う。
今日また午後から天気が急変して雨になり、夕頃から猛烈な驟雨になってくるらしい。変梃な天気であり、これも地球温暖化の影響と気象予報士が説明していた。無念ながら天気は、現象を追いかけ説明するだけで、天気関係には悪天候を予防するすべは当然ながら全く無いらしい。残念だがさもありなんと思われる。今日も一日パソコンと仲良く一日を暮らして参ろうと思う。さて、この土曜日の会合の挨拶の骨子を纏めておこうと思う。これが部活動の最後の出席と自認しての会だからである。今回も当然原稿なしの挨拶に終止することとなろう。それが自然であるからである。今日は母の日である。上の孫信彦君(息子夫婦)から仏前に大きなカーネーションの花一輪が届いて仏壇の脇の花瓶に挿してあった。有難い志であり、家内もきっと天国で喜んで呉て見ていることと思う。
連続の夏日が到来である。その間にも水木の両日には1〜2日間くらいの五月雨が降る模様である。だが落ち着いた天気が長く引き続いて、やっと到来し、季節感を味わうことが出来そうで喜ばしい。あと3つの行事が皆済すればこの夏場は、残されたそれ以上な大事な仕事は無いつもりである。ゆっくりと寛いで、これからの人生を楽しんで参ろうというものである。近未来を見据えて、落ち着いた生活を送って行きたいと思う。これからは、名詩、名句を諳んじて折に触れそれを活用して行きたい。つまり、それらは風雅な道であり日本人の思考を豊かにし、生活にメリハリをつける働きがあったと思われる。それらを遵守して参りたい。今日は昨日に続いて夏日が到来するようである。