私が小学生の4年生まで今工房にしている家で、祖父母と伯母、両親、私と弟の7人家族で住んでいた。
ご飯は羽釜を使って炊き、お焦げがおいしかったのを覚えている。
今思うに昔のほうが贅沢な生活だったように思える。
秋刀魚も七輪で焼き、皮がパリパリのこおばしいものを食べていたわけだ。
両親を見ているとじっとしていない。
いつも何かしらしている。
昭和一桁世代はまだまだ元気だ。
食生活が違ったせいだろうか。
15日~20日に「ガラクタ市」をする。
蔵などを物色して、古いものを出して販売するのだが、羽釜の蓋がいくつも出てきた。
黒ずんでなかなかいい。
籠だって手が込んでいる。100円ショップのものとは全く別物だ。
年季が入っていい色になっている。
やっぱり昔のものはいい。
こういうものはもう作れない。
ご飯は羽釜を使って炊き、お焦げがおいしかったのを覚えている。
今思うに昔のほうが贅沢な生活だったように思える。
秋刀魚も七輪で焼き、皮がパリパリのこおばしいものを食べていたわけだ。
両親を見ているとじっとしていない。
いつも何かしらしている。
昭和一桁世代はまだまだ元気だ。
食生活が違ったせいだろうか。
15日~20日に「ガラクタ市」をする。
蔵などを物色して、古いものを出して販売するのだが、羽釜の蓋がいくつも出てきた。
黒ずんでなかなかいい。
籠だって手が込んでいる。100円ショップのものとは全く別物だ。
年季が入っていい色になっている。
やっぱり昔のものはいい。
こういうものはもう作れない。