著者によると、考えるとは運動することの一面が大きいとのことで、
統合失調症などではそれまでのやり方が、様々な理由で出来なくなって行き、
動きも思考も止まってしまったり、さらに混迷状態などになり、
そこから様々な症状に繋がるとのこと。
そこから考えると、発達障害はもともと自分から身体を使って動いて試してみる、
なんとなくやってみる、などの身体を使って動いた体験の積み重ねが少なく、
様々なことを仕方がないから不承不承やっている、という所が多いのではないだろうか?
自分から動いて試した経験が少ないので、周囲のものに気づきにくい等で、
人の表情などへ注意が向かず、空気を読めない、などの特性に繋がるのでは
ないだろうか?
自分から動いていく体験の積み重ねが少ないと、本人にとって周囲との様々な境界が
生成されないのではないだろうか。
欧米の場合、ギリシャからの哲学の流れとキリスト教の影響で、
意識は唯一の至高の存在が与えた様な考え方が強いが、
著者によると様々な概念は体の運動に起源をもち、メタファーを通じて
概念として成り立つのではないかとのこと。
精神の哲学・肉体の哲学 形而上思考から自然的思考へ:木田元 計見一雄
現代精神医学批判:計見一雄
統合失調症などではそれまでのやり方が、様々な理由で出来なくなって行き、
動きも思考も止まってしまったり、さらに混迷状態などになり、
そこから様々な症状に繋がるとのこと。
そこから考えると、発達障害はもともと自分から身体を使って動いて試してみる、
なんとなくやってみる、などの身体を使って動いた体験の積み重ねが少なく、
様々なことを仕方がないから不承不承やっている、という所が多いのではないだろうか?
自分から動いて試した経験が少ないので、周囲のものに気づきにくい等で、
人の表情などへ注意が向かず、空気を読めない、などの特性に繋がるのでは
ないだろうか?
自分から動いていく体験の積み重ねが少ないと、本人にとって周囲との様々な境界が
生成されないのではないだろうか。
欧米の場合、ギリシャからの哲学の流れとキリスト教の影響で、
意識は唯一の至高の存在が与えた様な考え方が強いが、
著者によると様々な概念は体の運動に起源をもち、メタファーを通じて
概念として成り立つのではないかとのこと。
精神の哲学・肉体の哲学 形而上思考から自然的思考へ:木田元 計見一雄
現代精神医学批判:計見一雄