マチンガのノート

読書、映画の感想など  

生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる  下西 風澄 文藝春秋 感想 その3

2023-03-29 22:39:26 | 日記

古代ギリシャにおいては、神々の名や教訓、歴史などを継承するために詩というパターン記憶や、

演劇という身体的記憶を使っていましたが、それはその内容と一体化するものなので、

その内容を論理的に思考するものでも、知識の意味を考えることでもなかったので、

プラトンは詩人と哲学者を峻別し、詩人は模倣を促すものとして追放していったとのことです。

 

このあたりに関しては、臨床で子供がごっこ遊びをするようになれば、かなり良くなってきたと見ていたという、

精神科医の織田尚生氏の著述を思い出すところです。

 

 

王権の心理学―ユング心理学と日本神話

ユング派分析家であり精神科医である著者が、精神分裂病という特異な世界から、日本人の自己実現の過程という普遍的問題を、豊富な臨床経験と分析心理学の知見を縦糸に、日...

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主体が生成する前段階として、かなりのパターン記憶や身体的記憶が必要なのでしょうが、

自分がどうやって母語を身に着けていったのかを覚えている人がいないように、

それを覚えていない事がほとんどなのでしょう。

何かと発達に遅れや偏りがある子どもが増えているようですが、日常的に身体的な遊びをすることが

減ってきたことで、身体的記憶の積み重ねが減ったことが関係していそうです。

 


生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる  下西 風澄 文藝春秋 感想 その2

2023-03-29 17:29:56 | 日記

現代人なら普通にあると思っている現代のような個人の「心」というものですが、そのようなものが「発明」されたのは

紀元前5世紀のソクラテスの頃で、それ以前は、ホメロスが叙事詩で取り上げている紀元前13世紀くらいの古代の物語の中で、

いろいろな行動について、登場人物たちが何々の神がそうさせたとしていることから、

ソクラテス以降のような「心」の成立以前の古代の人達は、いろいろな行動についてそう捉えていたのだろうとのことです。

様々な自然現象も様々な神々が原因とされていたことから、「神-心-自然」が混然一体となっている中で

暮らしていたようです。

ホメロスの描いている古代の心のあり方は、その人の中を吹き抜ける風のようなものだったとの事です。

 

児童精神科医の小林隆児さんは、著書「甘えたくても甘えられない」などの中で、母親が遠ざかると寂しそうにする子供が、

母親が近づくと遠ざかるケースなどを取り上げていますが、その様な子供は寂しいとか母親に対して

何か抵抗を感じるなどを内心ではっきり感じているのではなく、周囲と未分化な感覚と感情の中で動いているのでしょう。

 

 

甘えたくても甘えられない :小林 隆児|河出書房新社

甘えたくても甘えられない 母子をひとつのユニットと捉え、その「関係」におけるこころの動きに焦点を当てることで見えてくるものとは? 子が見せる屈折した「甘え」のかた...

河出書房新社

 

 

自閉症スペクトラムに関して、何かと「主体のなさ」が論じられていますが、多くの人はデカルト以降の

近代的主体の事を取り上げても、このような「心」が成り立つ以前のことはあまり取り上げていないようです。

 

療育などで様々な境界設定がされているようですが、その様な境界は本人が自分の中に未分化な感覚や感情を

留めておけないことの代わりとして機能しているのでしょう。

 

 

『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』下西風澄 | 単行本

若き俊英が鮮やかに描き出す、人類と心の3000年。 古代ギリシャから西洋哲学の歴史を紡ぎ直し、認知科学、さらに夏目漱石へと至る。若き独立研究者が切り開く、心と人類の...

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