マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「シベリアの生と死」 坂本龍彦

2013-05-08 23:13:57 | 日記
1993年に出版されたものだが、様々な抑留者のことが
書いてあった。
シベリア全体にソ連圏、その他の出身の流刑者、抑留者がいて
貧しく、物資はないが、素朴で大らかだったらしい。
1946年ころは、食糧難のために、現地人の方も、日本人抑留者も
それ程、食料は変わりがなかったそうだ。
パウル・カレルの「捕虜」などでも、ドイツ人捕虜が朝に作業に行くために
行進していると、よくソ連人の行き倒れが道端で凍って固まっていたとある。
最後の方に、日本の左翼の元抑留者の方が、ソ連崩壊のころに
ロシアに行ったときに、現地の売春婦らしい人が
「You are my type」
と言って、寄ってくるのを、その方は
「堕落した」、つまらんなどと言っているところだった。
働く場所が無い、お金がないから、好きでもない外国人に
体を売っているのを、「堕落した」と言う想像力の無さには
驚いた。
当時の日本なら健康で働く気があれば、それなりに
働くところが在るだろうが、
ソ連が崩壊して、旧ソ連圏全体が混乱しているのに
「堕落した」から体を売っていると見てしまうのは、
今から見ると、とても無知だったのだろう。

「アウシュヴィッツの〈回教徒〉」 柿本昭人著

2013-05-05 18:48:07 | 日記
本書には、アウシュビッツなどの、ナチスの強制収容所を生き残った方々が、
収容所内で「回教徒」と呼んでいた人たちについてどの様に捉えているか、
それが現代にどの様に影響しているかについて書かれてある。
強制労働と、乏しい食料による飢餓状態で、骸骨のように痩せて、消耗しきって、毛布を被って
体を揺すっているなど、死ぬ寸前の方々を蔑称で「回教徒」と呼んでいたそうだ。
生き残った方々は、「回教徒」達は、自分の意思も精神も持っていない、我々とは違う種類の人間で、
生きる価値が無いとしていたそうだ。
それに比べて、生き残った我々は、それだけの価値があるから
生き残ったと語られるそうだ。
強制収容所の異常な状況で持つようになった価値観が
解放後数十年しても変わらず、本人たちも、「回教徒」という
呼び方に何の疑問も持たずに、使っていたそうだ。
「アーリア人は優れていて、スラブ人は劣っていて、
アラブ人、ユダヤ人はさらに劣っている」という
ナチスによる強制収容という、一種の監禁、洗脳は
解放後も「有用なものは生きる価値があり、無用なものには生きる価値がない」という
価値観として、生き残った方々にも植えつけられて、
戦後社会にも大きな影響を残しているそうだ。
もちろん強制収容された方々には何の責任もないが
単に生理的に生き残ったからと、その後の対応が
なされなければ、自然に元に戻る訳ではないようだ。


知的能力と心理臨床と発達障害 その2

2013-05-01 11:18:43 | 日記
心理臨床家のほとんど全ては、学校生活、社会生活を通じて
知的能力が高い、何かが出来る、などで評価されてきているので
発達障害の方が、無理矢理に何かを暗記したり、出来るように
表面上だけしていることを、解除するスタンスでは臨めないのではないだろうか?
無理に何かをしても、ストレスなどの負担が増えるので
続かない、様々な症状が出る、などでよい結果につながらない。
心理臨床家自身が、何かをできる、というところに自身の
基準を置くことから離れないと、畑中千紘氏の言う
「引き算の発想」の所には行けないのではないだろうか?
大学院生などで「主体の無さ」について理解出来ない方は、
畑中氏の著作を、「何か出来るようになろう」というスタンスで
読んでいるので、表面的な症状、特長が書いていないものは、
どこが発達障害の事を書いているのか、解らないのでは
ないのだろうか?