マチンガのノート

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「人は怖くて嘘をつく」 曽野綾子 産経新聞社

2016-03-25 22:32:09 | 日記
最近、何かと話題になる曽野綾子氏の著作だが、
長年に亘る途上国の貧困地帯などに対する援助の経験に
基づいて書かれている。
そのようなところへの援助では、援助する側を騙そうとする、
自分の利益を掠め取ろうとする、盗もうとする、などが普通なことなので、
それらのことも織り込み、それがどのような影響を与えるかも考えて、
援助をするとのこと。
今の日本のように、「不正をする奴を許すな」などと言っていては、
援助自体がそもそも困難なのだろう。
援助される相手の困難さも考慮して、騙したり、過大な見積もりを出してきたものを
それがどのような波及効果を産むかを検討して援助するとのことだ。
相手にも様々な自力では解決できない困難さがある為、
善い相手と、悪い相手がはっきり別れて居るわけではないので
相手の状況も計算して対応するとのこと。
日本も昔は貧しく、そのことような事が背景にあったので、映画などでも、
「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」のどの映画が作られて、
善悪の中でどのように振る舞うか、などを観客が観に行っていたのだろう。
「話の訊き方から見た軽度発達障害」の中で畑中千紘氏も、
受け手として社会が弱まったことも、発達障害の増えた原因の
一つだろうとしている。
潔癖になり単純な善悪二分法がはびこる社会は、善悪が分化する前の
子供をそのまま受け止める力が弱いという面も在るのだろう。
コンプライアンス、説明責任などと言って、人の弱さや狡さが
在ってはならないかの様な風潮は、子供や養育者にとって、
とても負担になっているのではないのだろうか?
人の弱さや狡さを認めることは、子供や養育者が甘える余地を作り、
小林隆児氏の言う、「甘えられない」発達障害の子供を
減らすことに繋がるのではないのだろうか?
悪や不正が在ってはならないという傾向の強いリベラル派と、
そのような物は在るものだ、という保守派の器の違いが、現在の
日本の政治にも、反映されているのだろう。