今日から山西省運城(さんせいしょう・うんじょう)です。9月12・13日に行きました。風陵渡(ふうりょうと)を見て見たいと思い、運城へ出かけました。
竹内好(たけうちよしみ)編著の「岩波漢詩紀行辞典」に趙子貞という金代の人が作った「題風陵渡」(風陵渡に題す)という漢詩が収録されています。
一水分南北 一水(いっすい) 南北を わかち
中原気自全 中原(ちゅうげん) 気(き) おのずから まったし
雲山連晋壌 雲山(うんざん) 晋(しん)のつちに つらなり
煙樹入秦川 煙樹(えんじゅ) 秦(しん)のひろのに いたる
落日黄塵起 落日(らくじつ) 黄塵(こうじん) おこり
晴沙白鳥眠 晴沙(せいさ) 白鳥(はくちょう) ねむる
挽輸今正急 挽輸(ばんゆ) いま まさに 急(きゅう)
忙殺渡頭船 渡頭(ととう)の船(ふね)を 忙殺(ぼうさつ)す
その訳は、「東への流れが禹域(ういき)の大地を南と北に分け、中原の「気」はここに完全にととのって、めでたいことだ。
雲のたなびく山々の奥は、晋のくにだったし、もやのたなびく樹々は、秦の平原へとつらなり繁る。
景色をながめていると、日が沈み、黄色い砂塵がまいあがる。河の中州(なかす)の沙(沙はこまかい砂をいう)には、白鳥がおちついて眠る。
ところが、いま荷を運ぶ船がつぎつぎにやってきて、渡し場の船はどの船も、いそがしい。まことに活気ある風景だ。」と、いうものです。
この風陵渡という名前とこの漢詩にひかれて、風陵渡を見てみたいと思い行きました。因みに風陵渡の風陵は黄帝の賢臣である風后の墓がこの付近にあるので地名になったとのことです。渡は「渡し(場)」のことです。
まず運城の位置関係を示す地図から説明します。黄河は陝西省と山西省を分け、省境を北から南に流れ、西安の北を流れる渭水と合流します。その合流地点はこの地図では古県と書かれた地点です。黄河はここで突如、向きを南からほぼ直角に東に折れて、東行します。この渭水との合流点、直角に曲がったところのやや下流の渡しが風陵渡です。
今日は風陵渡の写真から始めます。というものの正確な風陵渡には行けませんでした。タクシーで運城から行ったのですが、おばさん運転手が風陵渡なぞ行って何になる、今は橋が出来て、使っていない、長いこと行っていないので良く判らない、ともかく「行ってもなぁーんにも無いよ」という有様で、真剣に風陵渡を探してくれません。仕方なく、俺はそれでも何にも無い様子を見たいのだ、ともかく黄河が見えるところに連れて行けと言い張り、運城から真っ直ぐ黄河を渡る橋に行きました。正確な風陵渡よりはやや下流になると思います。
それでも、やはり漢詩の通り、雄大な風景でした。
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竹内好(たけうちよしみ)編著の「岩波漢詩紀行辞典」に趙子貞という金代の人が作った「題風陵渡」(風陵渡に題す)という漢詩が収録されています。
一水分南北 一水(いっすい) 南北を わかち
中原気自全 中原(ちゅうげん) 気(き) おのずから まったし
雲山連晋壌 雲山(うんざん) 晋(しん)のつちに つらなり
煙樹入秦川 煙樹(えんじゅ) 秦(しん)のひろのに いたる
落日黄塵起 落日(らくじつ) 黄塵(こうじん) おこり
晴沙白鳥眠 晴沙(せいさ) 白鳥(はくちょう) ねむる
挽輸今正急 挽輸(ばんゆ) いま まさに 急(きゅう)
忙殺渡頭船 渡頭(ととう)の船(ふね)を 忙殺(ぼうさつ)す
その訳は、「東への流れが禹域(ういき)の大地を南と北に分け、中原の「気」はここに完全にととのって、めでたいことだ。
雲のたなびく山々の奥は、晋のくにだったし、もやのたなびく樹々は、秦の平原へとつらなり繁る。
景色をながめていると、日が沈み、黄色い砂塵がまいあがる。河の中州(なかす)の沙(沙はこまかい砂をいう)には、白鳥がおちついて眠る。
ところが、いま荷を運ぶ船がつぎつぎにやってきて、渡し場の船はどの船も、いそがしい。まことに活気ある風景だ。」と、いうものです。
この風陵渡という名前とこの漢詩にひかれて、風陵渡を見てみたいと思い行きました。因みに風陵渡の風陵は黄帝の賢臣である風后の墓がこの付近にあるので地名になったとのことです。渡は「渡し(場)」のことです。
まず運城の位置関係を示す地図から説明します。黄河は陝西省と山西省を分け、省境を北から南に流れ、西安の北を流れる渭水と合流します。その合流地点はこの地図では古県と書かれた地点です。黄河はここで突如、向きを南からほぼ直角に東に折れて、東行します。この渭水との合流点、直角に曲がったところのやや下流の渡しが風陵渡です。
今日は風陵渡の写真から始めます。というものの正確な風陵渡には行けませんでした。タクシーで運城から行ったのですが、おばさん運転手が風陵渡なぞ行って何になる、今は橋が出来て、使っていない、長いこと行っていないので良く判らない、ともかく「行ってもなぁーんにも無いよ」という有様で、真剣に風陵渡を探してくれません。仕方なく、俺はそれでも何にも無い様子を見たいのだ、ともかく黄河が見えるところに連れて行けと言い張り、運城から真っ直ぐ黄河を渡る橋に行きました。正確な風陵渡よりはやや下流になると思います。
それでも、やはり漢詩の通り、雄大な風景でした。
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