昨日朝上海は霧と言いましたが、その後晴れました。寒波は一応収まったようです。今朝も靄が出ていますが、上空は青い空が見え今日は16度まで上がりそうです。
さて今日は、運城解州関帝廟(うんじょう・げしゅう・かんていびょう)です。
関帝廟は、三国志に出てくる蜀劉備(しょくりゅび)麾下(きか)の将軍で、勿論三国志にはよく出てる関羽(かんう)を祀る廟です。関帝廟は、各地にあり土地の守護神のように扱われています。洛陽の関帝廟を以前紹介したことがあります。洛陽の関帝廟には関羽の首塚があったように憶えています。
このレポートの為に、関羽を調べると、何と関羽はこの運城解州(うんじょう・げしゅう)が出身地であることが判りました。この廟は589年に作られたようで、現存する関帝廟では規模最大で、保存が最も良く、建築も美しいと案内書には書いてあります。
因みに、この解州の「解」は現代中国語発音では通常jie3声ですが、xie4声もあります。日本語音読みでは通常「かい」ですが、これはjie3声に相当し、xie4声に相当するのは「げ」ではないかと思います。漢和辞典が手許にないので、正確ではありませんが、その推定に基づき、ここでは「解州」を「かいしゅう」とはせず、「げしゅう」と読むこしました。
まず1枚目は、解州関帝廟の配置図です。入場券を拡大しました。見ての通り、なかなか立派な配置です。山東曲阜の孔廟の「文」に対する「武」の代表としてこの解州の関帝廟は「武廟之祖」と言われているようです。
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さて今日は、運城解州関帝廟(うんじょう・げしゅう・かんていびょう)です。
関帝廟は、三国志に出てくる蜀劉備(しょくりゅび)麾下(きか)の将軍で、勿論三国志にはよく出てる関羽(かんう)を祀る廟です。関帝廟は、各地にあり土地の守護神のように扱われています。洛陽の関帝廟を以前紹介したことがあります。洛陽の関帝廟には関羽の首塚があったように憶えています。
このレポートの為に、関羽を調べると、何と関羽はこの運城解州(うんじょう・げしゅう)が出身地であることが判りました。この廟は589年に作られたようで、現存する関帝廟では規模最大で、保存が最も良く、建築も美しいと案内書には書いてあります。
因みに、この解州の「解」は現代中国語発音では通常jie3声ですが、xie4声もあります。日本語音読みでは通常「かい」ですが、これはjie3声に相当し、xie4声に相当するのは「げ」ではないかと思います。漢和辞典が手許にないので、正確ではありませんが、その推定に基づき、ここでは「解州」を「かいしゅう」とはせず、「げしゅう」と読むこしました。
まず1枚目は、解州関帝廟の配置図です。入場券を拡大しました。見ての通り、なかなか立派な配置です。山東曲阜の孔廟の「文」に対する「武」の代表としてこの解州の関帝廟は「武廟之祖」と言われているようです。
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