剱岳で10日ほど前遭難事故がありました。早月小屋(標高2200メートル)の拡張工事に来ていた5人の作業員(40~70歳)が仕事を終えて下山する途中、登山ルートから約300メートル外れた谷側で一夜を過ごしました。工事会社から「帰ってこない」との連絡で、翌未明に富山県警山岳警備隊に発見されヘリコプターで救出されました。作業員が迷ったのは、残雪が多く道が分からなかったからです。
写真では、頂上から手前に向かって下る早月尾根が延びており、そこに急な登山ルートが通っています(早月ルート)。
剱岳など立山周辺の高地では、今年降雪はそれほどではなかったけれど、5・6月が気温が低く雪の融け方が少なく、したがって例年より残雪が多いようです。そのため登山ルートが分からなくなっているようです。富山県警山岳警備隊は事前の状況把握とGPSなどの携行を呼びかけています。
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曲水流觴の説明板です。時間を決めて実際に曲水流觴の実演をしているようです。写真左手が実演の風景です。
説明板の大意は以下の通りです: 東晋永和九年(西暦353年)農暦3月3日王羲之が友人文士42人を集め、蘭亭で曲水流觴をおこなった。酒を満たした杯をながし、その間に詩を作らせ、失敗すると罰酒を飲まされるゲームをした。11人が詩を2首つくり、15人が詩を1首つくり、15人が詩を作れず罰酒を飲んだとのこと。出来た37の詩を一編し、それに王羲之が序文を書きました。それが蘭亭集序であるとのこと。
以前ご紹介しましたが、王羲之は酒に酔い、一気に序文を書き上げ、後日書き直したが、最初の序文に優る書は書けなかったということです。
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